ホラー短編集

緒方宗谷

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シーツの下に蠢く夜話

金縛り

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 引っ越してきてから毎晩、深夜になると男は目が覚めた。枕元に気配を感じる。しずりしずりと忍び寄ってくる気配は、まくらの横を通って、布団の上を歩いていく。
 その足の気配が男の子腰あたりの位置で止まったかと思った瞬間、急に腹の上に乗っかって首を絞め始める。
 (か、体が動かない!)
 男は起き上がろうとするが、指一本動かない。目を開けることも出来ず、全身を強張らせる。
 (なめんな、くそ!)
 5分も10分も無理やり起き上がろうとしていると、不意に動けるようになる。もうこれが毎晩続いていた。
 男は失業していて家賃が払えず、マンションを追い出されて、この一軒家に越してきたのだ。
 引っ越し前の内覧の日、男は不動産屋の案内人に唸った。
 「これで、2万5千ですか?」
 「はい、もうすぐ取り壊す予定なので、住めるのは1年だけですが・・・」
 どこでも良かった。とりあえず、ネットカフェ難民にはならずに済む。住所がなくなれば、クリーンな仕事につくのは、著しく困難になってしまう。
 毎夜の如く金縛りに悩まされ続けたある日の晩。
 (くそ、またかよ、いい加減にしてくれ。これ、事故物件だったんじゃねぇか?)
 本来、事故物件なら借り手に伝えなければならない。もしかしたら、起きた事件事故が昔過ぎて、伝える義務が無くなっているのだろうか。
 少なくとも借り手がいなかった上、オンボロでもないのに取り壊すのは、この事象に起因しているのだろう、と男は思った。
 すぐにでも引っ越したかったが、金が無い。まだ新しい勤め先も見つかっていない。男は製造関係の仕事を長年していたが、今正に製造業が不況に陥っていて、どこも中途採用の広告を出していなかった。アルバイトの募集すらない。
 男に他の業種で働こうなんて意思は微塵もなかった。不況なのは分かっていたから、給料の2割減までは譲歩しようと思っていたが、前職が部長であったし、何かしらのポジションは欲しい、と思っていた。
 まったく条件に合う職場を見つけることができないまま、数か月が過ぎた。
 カリカリカリ、カリカリカリ。壁を引っ掻く音が聞こえる。いつからか、金縛りの主は、部屋を徘徊するようになっていた。
 男は考えた。
 (こういうのに反応するからいけないんだ。大体こっちが反応すると呪われる。
  電話をして距離を縮めるやつも、こっちが電話に出なければ近づいて来れないし、口裂け女も、質問に回答してからでなければ、殺しにこれないし)
 そう自分に言い聞かせて、男はいつも布団にもぐって震えていた。
 ドンドンドンドンドン
 寝室の扉が激しく叩かれる。無理にノブをまわして開けようとするが、開かない。
 (騙されないぞ! 入れないはずねぇだろ? 金縛りの時は行ってきているんだから)
 急に大音量でテレビがつく。もし一軒家でなければ、苦情が怖くて消しに行くしかなかっただろう。男はそれにも耐えた。
 「たすけ……て……、たすけて………」
 微かに女の声が聞こえはじめる。
 (そう言って、見に行ったら殺されるんだろ? 絶対行くか!!)
 辺りをかきむしる音や叩く音が日の出前まで続く間、度々助けを求める声が聞こえた。
 その内に男は、だんだんと本当に助けを求めているのではないかという思いに駆られ、同情すら覚えるようになった。
 (もしかしたら、本当にこの家で何かあって、成仏できないでいるのか?……まだ見つかっていないとかで)
 男は、仕事を探すのもそっちのけで、図書館で新聞を読み漁るようになっていた。もしかしたら、事件の記事があるかもしれない、と考えたからだ。
 初めは、近所の人に聞いて回ったが、みんなシドロモドロになって何も教えてくれない。その反応から、何かあったのは間違いない、と男は確信した。
 家に帰るって早めの夕食にカップラーメンをすすると、陽が沈む前まで家中を見て回る。天井裏を這い回ってみたり、一部直された壁が無いかなどを調べた。それでも何も見つからずに、とうとう庭中を掘り始める。
 金縛りも物音やうめき声も、止む気配は全くない。気が変になりそうで、出もしない嘔吐を毎晩繰り返した。
 いろいろ調べていると、過去この家に住んでいた女性が行方不明になったという記事を見つけた。
 「これか、これが原因か。確か、テレビで見たことがあるぞ。
  両親がどこかにいる犯人に向かって、解放してくれと泣いて必死に訴えていたな、生きていると信じて……」
 記憶では、両親は写真のプリントしたビラを配って娘を捜索していた。たしか100万円の懸賞金までつけていたはずだ。
 「見つければ、当面は食っていけるな」
 男は笑みを浮かべた。図書館のパソコンを使って被害者の氏名で検索したが、事件が解決したという記事は見当たらない。しかし、真っ黒な画面に恐ろしいまでにドロドロした呪いの言葉を連ねた記事ばかりが、ずらりと表示される。
 (何だよこれ、気持ち悪いな)
 幾つかの書き込みによると、あの家に住んでいた両親は事件の数年後に引っ越してしまったらしい。
 (どういうことだ?実の親なら、生きていることを信じている親なら、あの家に留まって、娘の部屋も事件当日のままにするはずじゃないのか?)
 色々なサイトにリンクしているが、どれも心霊関係だ。
 (分かってんだな、みんな、あそこが呪われた家だって)
 
 ‘今住んでいる男、殺される“
 “埋められるぞ”
 “腐る”

 (これ、俺のことじゃねぇか)
 男は戦慄を覚えた。

 “解決?もうでなくなる?”
 “生贄”
 “死ね。早くとり殺されろ”
 “精神病院のご両親も、さぞよろこばれることだろな”

 古い書き込みを探すと、幾つかのサイトで、とある精神病院に入院していることが分かった。男は、事件当時のことを聞くべく、その病院に会いに行った。
 「信子!? 信子―!! ギャー!! そらた香典緑見るたら、おだずげー!」
 色々と虚偽を並べて許可を取った男が病室に入るなり、両親が叫びだした。慌てて駆けてきたナースが男を怒鳴りつけて、病室から引き出す。
 「何したんですか!?」
 「いや、私は何も……」
 小さな窓を覗くと、2人は抱き合っている。何かに怯えているようだ。
 「うるリー!! ぐるっ! ぐるっ! ぐるっ! ぐるだー!!」
 やってきた医師に、男は病棟から追い返された。
 「こんなに取り乱すなんて、入院した時以来ですよ」
 監視のために出入り口まで付いてきたナースが、そう男に呟いた。
 (あの家で何があったんだ……)
 その晩寝ていた男は、ずんと揺れて目が覚めた。天上が動いている。いや、自分が動いていた。行方不明となった信子に、布団が勢いよく引きずられたのだ。
 目を開けた瞬間、引きずられる布団は止まったが、扉の向こうを駆けて行く気配がする。
 「こ……、殺されたんだろ? あんた、入院してる親に…――」
 ドン!! ドンドンドンドンドン!!
 「うぁ……………、ぅああぁああぁぁぁあぁあぁぁぁぁ」
 激しくドアが叩かれたかと思うと、かれた低い女のうめき声が聞こえた。部屋中が軋む。屋根裏を駆け回る足音に天井が揺れて、埃が落ちる。
 男はしまったと思った。答えてはいけない。布団を頭にかぶって、恐怖に全身を震わせた。
 正座をして丸く縮こまる男の頭があるちょうど真下から、布団越しにガリガリガリ、ガリガリガリ、と引っ掻く音がする。
 「ヒイィィィィィィィ……………、ヒイィィィィィィィ……………」
 呼吸が止まるような空気の通過音が聞こえる。
 (耐えろ! 耐えろ! 朝日が昇れば、また静かになる。もうだめだ! 明日逃げよう! ネットカフェ難民でもルンペンでも何でも良い!!」
 掛布団が引きずられる。必死に掛布団にしがみついて、なんとか耐えようとする男であったが、引っ張られる力によって敷き布団ごと引きずられ始めると、耐えるに堪えられなくなって思わず叫んでしまった。
 「見つけてやる! 見つけてやるから! 助けてくれぇ!!」
 その瞬間、四方八方から聞こえたラップ音は止み、うめき声も聞こえなくなった。男は、息をひそめて神経を研ぎ澄まして、聴覚だけで様子を窺う。
 不意にキィィィィと軋む音と共に寝室の扉が開いた。
 しばらく男は動かないでいたが、気が付いていた。今探せということなのだ。
 「うわあ!!」
 なお動かないでいる男の足首を力強く握る手がある。明らかに女の手だ。
 怪奇現象に答えてしまったがために呪われたと思った男だったが、布団から出る勇気がない。長い間逡巡している間に、気が付いたら朝を迎えていた。
 すぐさま着替えた男は、最小限の荷物をまとめて家を出ようとする。だが扉があかない。
 「勘弁してくれよ、なあ、朝は出てこないんだろう?」
 パニックを起こしたかのように、出られそうな開口部を探して回るが、窓は開かない。裏口も開かない。ようやく開く窓を見つけるが、外を覆う雨戸が開かず、一喜一憂に終わってしまう。
 涙と鼻水を垂れ流しながら、嗚咽と共に出たよだれが糸を引く。玄関に戻ってきてドアをけ破ろうとするがびくともせず、そのまま玄関に倒れ込んだ。
 みるみる間に、曇りガラスの外は赤く染まっていく。陽が沈み始めたのだ。
 諦めかけたその時、玄関扉の正面の壁が壁でなく戸であることに気が付いた。分かった瞬間に冷静さを取り戻した男は、ノブが捕れて木の壁と化していた戸の凹凸をつまんで、なんとか開けた。
 中には日本酒の1升瓶が数本あった。これを飲んで酔いつぶれてしまえば、朝までやり過ごせると思った男は、3本を抱えて1階の和室に行って、テーブルもつまみも用意せずに、グビグビとラッパ飲みで胃に入れていく。
 いい酒ではなかった。米と水だけで作ったわけではないベッチャリとした昔ながらの悪い酒だ。次の日悪酔いすることは間違いない。だが、それで良かった。早くに潰れてしまいたかったからだ。
 案の定、急速に眠くなった男は、そのままうつ伏せにとっぷして寝てしまった。
 ドンドンドン、と床下から響く音は聞こえない。幸運にも、悪霊が仕掛けるラップ音は、男には届かなかった。思惑通りだ。
 しかし、飲酒は眠りを浅くする。悪霊の仕業とは全く関係なく、男は目を覚ましてしまった。
 覚めたと自分で気が付いた瞬間、恐怖に心臓が締め付けられたが、何も起きる気配はない。男が寝たふりを続けていると、床下から信子が床板を叩き始める。
 長い間無視していたが、叩く力は激しさを増し、ついにはその振動で畳が浮き上がるのではないかと思えるほどになった。
 「そうか! この下か!!」
 男が気が付いて起き上がると同時に、床下からのラップ音がとまる。
 「見つけてほしいんだろ? 成仏できないもんな」男は語りかけた。
 急いで畳を剥がしてみると、大工が施工したには雑な床板が顔を出す。両親が開けてまた塞いだのだろう。
 男は、キッチンから包丁を持って来て隙間に差し込むが、ステンレスの刃は歪み、釘が抜けない。今度はハサミを持って来て、なんとか床板を外していく。
 床下はどろどろの沼みたいになっていた。腐ったような毒々しい色が、泥の水分と混ざり合うことなく、油の筋のように照明の光を反射する。
 男が覗き込んだ瞬間だった。音もなく急に2本の腕が沼の中から出てきて、男は引きずり込まれた。
 「うわぁ! なっ! 何だ!!?」
 室内に残った左手と両足を踏ん張って堪えようとするが、引きずり込む力は尋常ではない。
「そうか、分かったぞ! 俺に見つけてほしかったわけじゃないんだ!! 1人で寂しかったから、道連れに殺す気なんだ!!」
 腐ったブドウ色の女が、唸り声を吼えあげながら顔を出す。目玉のない穴2つで、男を見上げる。そして、はずれた顎で男の顔面をかじろうとする。
 「離せ! 死にたくない! 死にたくないよぉ!!」
 腐った女の上顎が男の頬にあたると、スプーンでプリンを抉るように、簡単に頬肉がそがれる。
 貪るように絡みつく女に男は抵抗するが、ゾンビの力に敵わず、男はなす統べなく、いとも簡単に沼の中に引きずり込まれていく。

 この男を皮切りに、何人の住人が引きずり込まれたのだろうか。今もまだ、次の犠牲を待っている。
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