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シーツの下に蠢く夜話
ひき逃げ
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楽しいデートだった。映画をみて、食事をして、2人とも大満足の1日だ。
当然のようにホテルに入って、激しく抱き合う。お互いの汗が混じり、手も足も淫らに絡み合って、激しく求め合い受け入れ合った。
何もかもが最高だ。今日1日は幸せのうちに終わるはずだった。
重い衝撃が車内に響いた。何かを轢いてしまった。彼女を家に送り届ける途中だった。
閑静な住宅街で街灯も少ない。家の明かりも疎らな暗い夜道に車を止め、運転手の彼氏と助手席の彼女が轢いた男を探す。ヘッドライトを上下させて道を照らすが誰もいない。
「ゴミか何かを轢いたんじゃないの?」
彼女が言う。ホッとした彼氏は車を発進させた。
それから数日したある日、シートが湿っていることに2人は気が付いた。
「何これ? いったい何があったの?」彼女が訝しげに呟いた。
触ると生温かい。薄い黄土色のシートが薄らと黒く変色している。
「分かった、この間飲んだコーラだよ」
彼女がキャップのないコーラのボトルを座席の下から拾って言った。
「なんだ、そうか。車内の温度が上がって、破裂したんだな」そう言って深呼吸をした彼氏が続ける。
「てっきり俺、何かやばいことが起きてるのかと思ったよ」
「やばいことって?」
「この間轢いた男の血とか」
とても怯えた様子の彼女は、彼氏の言葉を遮る。
「やめてよ、結局誰も轢いてひいてなかったじゃん」
あの日の翌日、2人してニュースに注目したが、自宅付近でひき逃げがあったなどという報道は無かった。人を轢いた場所まで行ったが、警察が調査しているわけでも無い。そもそも、自分の車には凹みも傷も何1つ無い。
だが、2人は事故を忘れることができなかった。度々後部座席に気配を感じる。物音が聞こえたり、後ろから座席を押すような圧力を背中に感じる時がある。
彼女は何も言わない。怖くて振り向くことも出来ない。
しかし彼氏はそうもいかない。運転している以上、バックミラーを視界に入れないわけにはいかない。ふと視線を感じる。気が付くと、バックミラー越しに誰かが見ているように思える。だがミラーを見ると、そこには誰もいない後部座席が映っているだけだ。
「車、買い替えようぜ」彼氏が言った。
「そうだよね」
「でも、今金無いし、半分頼むよ」
状況が状況だけに、彼女もこの車を処分したい、と考えていたから、定期預金を崩して、出してあげる事にした。
「貸すだけだからね?ちゃんと返してね」彼女が念を押す。
「分かってるよ、必ず返すよ」
車を買い換える時、メーカーも換えた。車が納品されるまでの数日を利用して、2人は同棲する愛の巣を引き払い。区を跨いで別のマンションに引っ越した。
だが、事態は変わらなかった。
車のシートは時折生温かく湿っている。座っている時に急に湿り出すことすらあった。そういう時は、必ずボトムスは薄らと黒く滲んでいる。
彼女は落ち着かない様子で下を向いて、ためらいながらも恐る恐る言った。
「わたし、前から思っていたんだけどさ、後ろに誰かいるよ」
「ああ、俺も気づいてたよ」
ドン!!
信号待ちで停車していた車に、何かにぶつかった様な衝撃音が響いて、車体が揺れる。あの日誰かを轢いた時と同じ音だ。
車体に、ボツ、ボツ、ボツ、と何かが当たる。雨が降ってきたのだ。段々と強くなってきたが、フロントガラスに雨はたれてこない。
お天気雨かと思って、彼氏はワイパーを動かさないでいたが、しばらくして屋根からフロントガラスに雨が流れてきた。
「おい、何だよこれ、雨じゃないよ」彼氏が唸るように慄いた。
彼女がフロントガラスの上の方を見ると、赤黒い液体が流れてくる。
「きゃ!」
「これ、これ血じゃねーのか?」
「うそ! やだ怖い!!」
バン……、バン……、バン、バン、バン
車を叩く音が、そこら中から聞こえる。
どこかに車を止めたかったが、クラクションに促されて走り続けた。ようやく駐車場のあるコンビニを見つけ、そこに車を止めた。
「開けるなよ!開けちゃだめだぞ!」彼氏が言った。
「うん、分かってるよ」
車を叩く音は延々と続いた。2人は強く手を握り合って、俯いて耐えていた。
しばらくして、車を叩く音は聞こえなくなっていたが、2人は気が付かない。
「すいませーん」
そう言う声と共にノックが響いて、彼氏は我に返った。
「何も買物しないのに、駐車されると困るんですよね。ちょっと、窓開けていただけますか?」
「あ、はい、すいません」
右を向くために頭を上げながら一言答える彼氏に、訝る彼女が言った。
「え? 誰と話してるの?」
「誰って」
彼氏は、窓の外を向く前に彼女を見やる。
「あっ! 開けちゃ駄目!!」
彼女が叫ぶが、既に窓を開けるボタンは押されている。びっくりした男は、咄嗟にボタンから指を離した。
彼女が見上げると、窓は開いていない。
「あれ? 店員は?」
外を見やる彼氏に、彼女が言った。
「誰もいないよ、誰もいないのに話していたんだよ」
2人はゾッとした。あの男だ。あの日轢いた男が出てきたんだ。やはり、あの日、誰かを轢いていたのだ。
怖くなった2人は、急いで家に帰るために車を発車させた。
車内には重い空気が漂う。一言も言葉を交わすことなく、時間だけが過ぎる。
「そこ……、右に曲がってください」
後部座席から声が聞こえる。
「窓、開けてないのに」
そうつぶやいた彼氏が、目だけで右の窓を見やる。確かに窓は開いていない。だが、空気の流れを感じる。ほんの少し、視認できないほど少し、窓は開いていたのだ。
急いで閉める彼氏に、後部座席に座るサラリーマンは言った。
「もう・・、遅いですよ」
フロントガラスが真っ赤に染まって前が見えにくい。ワイパーを動かすが、たれ流れる血を拭うことは出来なかった。
流れる血は徐々に範囲を広げて、サイドミラーや他の窓にも及んだ。バックミラーに血が流れるようになって、ようやく2人は気が付いた。
窓ガラスに流れる血は、外側だけをつたっているわけではない。内側にも流れているのだ。だから、いくらワイパーをかけても、血を拭うことができなかったのだ。
「もっと早く走ってください」
後部座席から、声が聞こえる。
彼氏恐怖のあまりに震えて、喉に穴が空いたような空気の抜ける声で言った。
「無茶言わないでくださいよ、前も見えないのに、事故っちゃいますよ」
サラリーマンは何も言わない。代わりに、ドスッ、ドスッ、と後ろから運転席のシートを殴り上げた。
男は、たれ落ちる血の筋と筋の間から辛うじて見える前方を凝視しながら、可能な限りスピードを出した。
車体に、ボツ、ボツ、ボツ、と何かが当たる。今度は何が起こるのだと2人が身構えていると、段々とフロントガラスの血が洗い流されていく。本当の雨が降ってきたのだ。
内側の血の量は視界を遮るほどではない。
「これで、進むことが出来るでしょう?」サラリーマンが言う。
だが、彼氏は車を出さなかった。いや、出せなかった。
目の前には坂が続いている。左右を見ると線路の上を通る道路のようだが、男は違和感を覚えた。この道路を走ったことは無いが、知っている場所だ。
もし本当に自分が知っている場所であるなら、この道路を上った先に道は無い。
実は予算不足で、この道の工事は途中で止まっているのだ。今いる部分と反対側の部分が作られてはいるが、中央部分は作られていない。繋がっていない。このまま走れば、線路に真っ逆さまだ。
「どうしたんですか?早く走ってくださいよ」サラリーマンが彼氏を急かす。
「出来ません! 出来ませんよ!!」
サラリーマンは言った。
「ひどいなー、私の事を轢いておいて。しかも、もう潰れてしまったんですよ」
何を言っているのだろうか、死体が発見されたのだろうか。潰れた理由が分からない2人に、サラリーマンは説明した。
「貴方、前の車を捨てたでしょ。あの車、欠陥が見つかって、今日スクラップにされたんです」
彼氏はバックしようとするが、車は動かない。2人は金縛りにあっていた。上り坂なのに、なぜか自然と車は前方に発進した。
「うわぁぁぁ! 助けて!!」
男は必死に固まった体を動かそうとするが、何かに押さえつけられているかのように動けない。
「ああああ!」
何とか呪縛から脱した男は、アクセルを踏んだ。本来ならブレーキを踏まなければならないのだが、突然体が動いた拍子に、間違って踏んでしまったのだ。
「きゃぁぁぁぁ!!!」彼女の悲鳴が耳を剪く。
急なブレーキで、2人の体は前に飛ばされそうになる。
ズザザザザザー
車の下から、何かが飛び出てきて、地面に転がった。ヘッドライトに照らされたそれは、あの日轢いたスーツのサラリーマンだった。
しばらく沈黙が続く。その間動かなかったサラリーマンがゆっくりと立ち上がった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
彼氏は荒い呼吸を整える。早く逃げようと叫ぶ彼女の声も耳に入らない。意を決した男は、車を急発進させた。
ドカッ!!
起き上がったサラリーマンを車で轢いた男は、急いでバックする。
サラリーマンは、あの日と今日と2度轢かれた上に、両手にタイヤが乗り上げて骨折してしまった。サラリーマンは顔を上げるだけが精一杯だ。だが、それでも十分サラリーマンの表情が彼氏の脳裏に焼き付いた。
サラリーマンはニタニタと、溶けた脂身のような身持ち悪い微笑を湛えていた。
不意に2人の体が浮く。何が起きたのか理解できなかった。急に右が眩しくなって顔を向けると、猛スピードで走る電車が目に飛び込んでくる。ブワ――――ンと音を発して急ブレーキをかける電車だったが、全く間に合わなかった。
弾き飛ばされた車は、反対側から走ってきた電車にもはねられて引きずられた。そのまま電車は脱線して、向こうからやってきた電車と正面衝突した。
電車と電車の間に挟まれた乗用車は、完全にペシャンコになっていて、もう乗っていた2人の遺体と車を分けることは困難であった。
当然のようにホテルに入って、激しく抱き合う。お互いの汗が混じり、手も足も淫らに絡み合って、激しく求め合い受け入れ合った。
何もかもが最高だ。今日1日は幸せのうちに終わるはずだった。
重い衝撃が車内に響いた。何かを轢いてしまった。彼女を家に送り届ける途中だった。
閑静な住宅街で街灯も少ない。家の明かりも疎らな暗い夜道に車を止め、運転手の彼氏と助手席の彼女が轢いた男を探す。ヘッドライトを上下させて道を照らすが誰もいない。
「ゴミか何かを轢いたんじゃないの?」
彼女が言う。ホッとした彼氏は車を発進させた。
それから数日したある日、シートが湿っていることに2人は気が付いた。
「何これ? いったい何があったの?」彼女が訝しげに呟いた。
触ると生温かい。薄い黄土色のシートが薄らと黒く変色している。
「分かった、この間飲んだコーラだよ」
彼女がキャップのないコーラのボトルを座席の下から拾って言った。
「なんだ、そうか。車内の温度が上がって、破裂したんだな」そう言って深呼吸をした彼氏が続ける。
「てっきり俺、何かやばいことが起きてるのかと思ったよ」
「やばいことって?」
「この間轢いた男の血とか」
とても怯えた様子の彼女は、彼氏の言葉を遮る。
「やめてよ、結局誰も轢いてひいてなかったじゃん」
あの日の翌日、2人してニュースに注目したが、自宅付近でひき逃げがあったなどという報道は無かった。人を轢いた場所まで行ったが、警察が調査しているわけでも無い。そもそも、自分の車には凹みも傷も何1つ無い。
だが、2人は事故を忘れることができなかった。度々後部座席に気配を感じる。物音が聞こえたり、後ろから座席を押すような圧力を背中に感じる時がある。
彼女は何も言わない。怖くて振り向くことも出来ない。
しかし彼氏はそうもいかない。運転している以上、バックミラーを視界に入れないわけにはいかない。ふと視線を感じる。気が付くと、バックミラー越しに誰かが見ているように思える。だがミラーを見ると、そこには誰もいない後部座席が映っているだけだ。
「車、買い替えようぜ」彼氏が言った。
「そうだよね」
「でも、今金無いし、半分頼むよ」
状況が状況だけに、彼女もこの車を処分したい、と考えていたから、定期預金を崩して、出してあげる事にした。
「貸すだけだからね?ちゃんと返してね」彼女が念を押す。
「分かってるよ、必ず返すよ」
車を買い換える時、メーカーも換えた。車が納品されるまでの数日を利用して、2人は同棲する愛の巣を引き払い。区を跨いで別のマンションに引っ越した。
だが、事態は変わらなかった。
車のシートは時折生温かく湿っている。座っている時に急に湿り出すことすらあった。そういう時は、必ずボトムスは薄らと黒く滲んでいる。
彼女は落ち着かない様子で下を向いて、ためらいながらも恐る恐る言った。
「わたし、前から思っていたんだけどさ、後ろに誰かいるよ」
「ああ、俺も気づいてたよ」
ドン!!
信号待ちで停車していた車に、何かにぶつかった様な衝撃音が響いて、車体が揺れる。あの日誰かを轢いた時と同じ音だ。
車体に、ボツ、ボツ、ボツ、と何かが当たる。雨が降ってきたのだ。段々と強くなってきたが、フロントガラスに雨はたれてこない。
お天気雨かと思って、彼氏はワイパーを動かさないでいたが、しばらくして屋根からフロントガラスに雨が流れてきた。
「おい、何だよこれ、雨じゃないよ」彼氏が唸るように慄いた。
彼女がフロントガラスの上の方を見ると、赤黒い液体が流れてくる。
「きゃ!」
「これ、これ血じゃねーのか?」
「うそ! やだ怖い!!」
バン……、バン……、バン、バン、バン
車を叩く音が、そこら中から聞こえる。
どこかに車を止めたかったが、クラクションに促されて走り続けた。ようやく駐車場のあるコンビニを見つけ、そこに車を止めた。
「開けるなよ!開けちゃだめだぞ!」彼氏が言った。
「うん、分かってるよ」
車を叩く音は延々と続いた。2人は強く手を握り合って、俯いて耐えていた。
しばらくして、車を叩く音は聞こえなくなっていたが、2人は気が付かない。
「すいませーん」
そう言う声と共にノックが響いて、彼氏は我に返った。
「何も買物しないのに、駐車されると困るんですよね。ちょっと、窓開けていただけますか?」
「あ、はい、すいません」
右を向くために頭を上げながら一言答える彼氏に、訝る彼女が言った。
「え? 誰と話してるの?」
「誰って」
彼氏は、窓の外を向く前に彼女を見やる。
「あっ! 開けちゃ駄目!!」
彼女が叫ぶが、既に窓を開けるボタンは押されている。びっくりした男は、咄嗟にボタンから指を離した。
彼女が見上げると、窓は開いていない。
「あれ? 店員は?」
外を見やる彼氏に、彼女が言った。
「誰もいないよ、誰もいないのに話していたんだよ」
2人はゾッとした。あの男だ。あの日轢いた男が出てきたんだ。やはり、あの日、誰かを轢いていたのだ。
怖くなった2人は、急いで家に帰るために車を発車させた。
車内には重い空気が漂う。一言も言葉を交わすことなく、時間だけが過ぎる。
「そこ……、右に曲がってください」
後部座席から声が聞こえる。
「窓、開けてないのに」
そうつぶやいた彼氏が、目だけで右の窓を見やる。確かに窓は開いていない。だが、空気の流れを感じる。ほんの少し、視認できないほど少し、窓は開いていたのだ。
急いで閉める彼氏に、後部座席に座るサラリーマンは言った。
「もう・・、遅いですよ」
フロントガラスが真っ赤に染まって前が見えにくい。ワイパーを動かすが、たれ流れる血を拭うことは出来なかった。
流れる血は徐々に範囲を広げて、サイドミラーや他の窓にも及んだ。バックミラーに血が流れるようになって、ようやく2人は気が付いた。
窓ガラスに流れる血は、外側だけをつたっているわけではない。内側にも流れているのだ。だから、いくらワイパーをかけても、血を拭うことができなかったのだ。
「もっと早く走ってください」
後部座席から、声が聞こえる。
彼氏恐怖のあまりに震えて、喉に穴が空いたような空気の抜ける声で言った。
「無茶言わないでくださいよ、前も見えないのに、事故っちゃいますよ」
サラリーマンは何も言わない。代わりに、ドスッ、ドスッ、と後ろから運転席のシートを殴り上げた。
男は、たれ落ちる血の筋と筋の間から辛うじて見える前方を凝視しながら、可能な限りスピードを出した。
車体に、ボツ、ボツ、ボツ、と何かが当たる。今度は何が起こるのだと2人が身構えていると、段々とフロントガラスの血が洗い流されていく。本当の雨が降ってきたのだ。
内側の血の量は視界を遮るほどではない。
「これで、進むことが出来るでしょう?」サラリーマンが言う。
だが、彼氏は車を出さなかった。いや、出せなかった。
目の前には坂が続いている。左右を見ると線路の上を通る道路のようだが、男は違和感を覚えた。この道路を走ったことは無いが、知っている場所だ。
もし本当に自分が知っている場所であるなら、この道路を上った先に道は無い。
実は予算不足で、この道の工事は途中で止まっているのだ。今いる部分と反対側の部分が作られてはいるが、中央部分は作られていない。繋がっていない。このまま走れば、線路に真っ逆さまだ。
「どうしたんですか?早く走ってくださいよ」サラリーマンが彼氏を急かす。
「出来ません! 出来ませんよ!!」
サラリーマンは言った。
「ひどいなー、私の事を轢いておいて。しかも、もう潰れてしまったんですよ」
何を言っているのだろうか、死体が発見されたのだろうか。潰れた理由が分からない2人に、サラリーマンは説明した。
「貴方、前の車を捨てたでしょ。あの車、欠陥が見つかって、今日スクラップにされたんです」
彼氏はバックしようとするが、車は動かない。2人は金縛りにあっていた。上り坂なのに、なぜか自然と車は前方に発進した。
「うわぁぁぁ! 助けて!!」
男は必死に固まった体を動かそうとするが、何かに押さえつけられているかのように動けない。
「ああああ!」
何とか呪縛から脱した男は、アクセルを踏んだ。本来ならブレーキを踏まなければならないのだが、突然体が動いた拍子に、間違って踏んでしまったのだ。
「きゃぁぁぁぁ!!!」彼女の悲鳴が耳を剪く。
急なブレーキで、2人の体は前に飛ばされそうになる。
ズザザザザザー
車の下から、何かが飛び出てきて、地面に転がった。ヘッドライトに照らされたそれは、あの日轢いたスーツのサラリーマンだった。
しばらく沈黙が続く。その間動かなかったサラリーマンがゆっくりと立ち上がった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
彼氏は荒い呼吸を整える。早く逃げようと叫ぶ彼女の声も耳に入らない。意を決した男は、車を急発進させた。
ドカッ!!
起き上がったサラリーマンを車で轢いた男は、急いでバックする。
サラリーマンは、あの日と今日と2度轢かれた上に、両手にタイヤが乗り上げて骨折してしまった。サラリーマンは顔を上げるだけが精一杯だ。だが、それでも十分サラリーマンの表情が彼氏の脳裏に焼き付いた。
サラリーマンはニタニタと、溶けた脂身のような身持ち悪い微笑を湛えていた。
不意に2人の体が浮く。何が起きたのか理解できなかった。急に右が眩しくなって顔を向けると、猛スピードで走る電車が目に飛び込んでくる。ブワ――――ンと音を発して急ブレーキをかける電車だったが、全く間に合わなかった。
弾き飛ばされた車は、反対側から走ってきた電車にもはねられて引きずられた。そのまま電車は脱線して、向こうからやってきた電車と正面衝突した。
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