猫のモモタ

緒方宗谷

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モモタとママと虹の架け橋

第百四十二話 曇りガラスのすぐ裏に

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 「うわぁ、このトラ猫、とても美人だわ」

 小学校高学年くらいの女の子が言いました。

 ここは、たくさんのオリが壁一面に積まれている部屋でした。たくさんの猫が閉じ込められていて、不安定な心持ちの鳴き声を上げています。美しい猫もその中の一つのオリに閉じ込められていました。

 美しい猫の親子が捕らえられてからしばらくしたある日、優しそうな人間の親子が猫の里親になろう、とやってきました。

 職員の男の人が、美しい猫のオリを覗き込みます。

 「この猫はほんといい毛並をしていますね。でも気性が荒いですよ。感じからいって生まれつきの野良ですよ」

 それを聞いた母親は娘に言います。

 「他の子にしましょう? 子猫がいいわ、しつけやすいし」

 ですが女の子は言うことを聞きません。

 「いや。この猫ちゃんがいいっ」

 そう言って譲らず、その美しさに魅了されたかのような眼差しで美しい猫を見つめます。そして愛おし気にゲージを撫ではじめました。

 母親は駄々をこねる娘をなだめるのを諦めて、美しい猫を連れて帰ることにしました。

 母親は、持ってきた真新しいゲージの中から洗濯ネットを取り出して、「これに入れてください」と職員に渡します。

 美しい猫は暴れました。今貰われてしまっては、子供たちと離ればなれになってしまいます。

 「やめて」美しい猫が叫びます。「お願いします。あの子たちも…あの子たちも一緒に連れていってください」

 そう懇願しますが、親子には伝わりません。

 「ママー」「ママー」と白と黒の坊やたちが泣き叫びます。不穏な三匹の鳴き声に当てられて、他の猫たちが騒ぎ出しました。部屋の中は異様な雰囲気です。

 洗濯ネットの中に入れられた美しい猫は必死に抵抗しますが、ネットのチャックを絞められてはもはや抗うことは叶いません。成す術なく親子が持ってきたゲージの中へ押し込まれます。

 唸る猫たちに気おされて怖くなったのでしょう。女の子は、早く部屋から出たい、と母親にせがみます。

 美しい猫は、子供たちに向かって叫びました。

 「坊や、坊や。必ず助けにきますからね。心配しないで! すぐに戻ってくるから」

 ――それからしばらく経ったある日のことです。室内猫として飼われ始めてルナと名付けられた美しい猫は、毎日毎日逃げ出す機会をうかがっていました。

 不意にチャイムが鳴って、配送業者の配達員が玄関に入ってきました。ルナは、つぶさに音を聞き取ろうと耳に意識を集中します。

 ルナのいるリビングと玄関の間に廊下があって、ドアで仕切られていました。来客がある時などにルナが逃げないように、と普段から閉じられるドアです。案の定、今日もリビングのドアは閉じられていました。これではリビングの外に出られません。にもかかわらず、ルナは身構えました。

 駆けてくる軽い足音が聞こえます。かかとの音から娘の芹菜ちゃんでしょう。その足音の向こうから聞こえる町の音は、遮られることなくリビングのドアの下を潜り抜けてきました。ルナは姿勢を低くしました。狩りをする時のように、そろりそろりと前進します。

 ルナには確信がありました。芹菜ちゃんの足音は間違いなくこちらに向かってきます。お夕飯の準備がもうすぐ終わる頃合いでした。いつもでしたら、この時間に宿題を終えた芹菜ちゃんが、テレビを見にリビングにやってきます。

 ドアの下にある隙間から玄関に向かって空気の流れができていました。ルナは、ゆっくりと瞬きを一度しました。部屋からは、微かな香りが外へと続く空気の流れに乗って、そのまま外へと飛んでいきます。ルナの気持ちも一緒に飛んでいきます。

 「あっああー!」芹菜ちゃんが叫びました。

 一瞬の出来事でした。リビングのドアが開くと同時に、矢のように走り出したルナは、そのまま廊下を曲がって、お外へと飛び出していってしまったのです。

 次の日の朝、ルナは保健所の敷地の中にいました。

 「坊や、坊や?」ルナが優しく問いかけます。

 「ママ?」

 黒猫坊やが、曇りガラスの窓ごしに言いました。

 「ママが来たのー?」白猫坊やも喜びます。

 幸いにも二匹のオリは、窓に面する位置にあったので、外からの声が届いたのでした。

 「聞いてちょうだい」ルナが言います。「ママの力では、すぐに出してあげられないわ。あなたたちが人間に貰われていくことになった時に、わたしもついていくわ。そしてまた一緒に暮らしましょう」

 「えー? すぐに出られないの?」白猫坊やは残念そうです。

 「しょうがないよ」黒猫坊やが言いました。「このオリ頑丈だもん。人間じゃないと開けられないよ」

 「そうかぁ。ママはどうしてるの?」

 「わたしは、優しい芹菜ちゃんに飼ってもらっているわ。だから安心して、あなたたちも同じようにいいご主人様に引き取られるから」

 「よかったね、お兄ちゃん」白猫坊やがほっとした声で言います。

 ルナは、芹菜ちゃんのお家で経験した色々な出来事を話してあげました。食器棚の上に置いてある箱と箱の間に入ってキッチンから食堂を見渡すと、とても気持ちがいいこと。とても居心地のいいティッシュボックスの中。くしゃくしゃの紙屑が捨ててある円筒形のゴミ箱。

 そのほかにも、たくさんの家具があって、アスレチックのようなお家の中のお話です。遊びたい盛りの二匹は、とても羨ましそうに聞き入りました。

 白猫坊やが言いました。

 「いいなぁ。ここのごはんまずいんだもん。おうちで食べてた缶詰やお刺身が食べたいよぅ」

 ママが笑います。

 「あそこは海が近いし、お魚好きの人間がたくさん集まったところだったからね、きっと。あなたたちはまだ食べたことないでしょうけれど、お肉もとっても美味しいのよ。ここを出たら、いっぱい食べさせてあげるわ」

 「やったぁー」二匹は喜びます。

 ですが、楽しげな親子の会話を快く思わない猫たちも大勢いました。

 「しらないのか、チビたち? お前たちは人間に食われるんだぜ」

 向かいのオリにいた顔に傷のあるどら猫が言います。

 子供たちは不安そうにどら猫を見やりますが、外にいるママに心配かけまい、と黙っています。

 どら猫の言葉に呼応するように、辺りから二匹を心配にさせるような話がちらほらと聞こえてきました。

 年老いた三毛猫が言います。

 「わしゃ、以前に妻が捕まっての、当てもなく探し回っておったんじゃが、ある時見つけたんじゃ。三味線屋の店先じゃった。妻は皮を剥がれて音の出る箱に張られてしもっておった」

 「本当かよ?」みんなが息を飲みます。

 「本当じゃ。懐かしい匂いがかすかに残っておったからの。間違いない。あの皮はわしの妻の皮じゃ」

 色々な怖いお話を聞かされて、泣き出しそうになる白猫坊やのために、黒猫坊やは一生懸命に楽しいお話をしようとします。

 黒猫坊も必死でした。とても怯えているということを気がつかれたら、ママが心配するでしょう。ママの声から、我が子を心配する苦しさがひしひしと伝わっていたからです。

 ルナはルナで、黒猫坊やが必死になって元気を演じていることに心を痛めていました。

 ルナは、昼夜を問わず子供たちと一緒にいたいと思っていましたが、そうもいきません。ここには野良ネコや野良犬を捕まえる人たちがたくさんいたからです。

 そこでルナは、夜は芹菜ちゃんのお家に戻ってベランダやお庭で過ごして、保健所の職員が敷地でタバコを吸ったりしていない時間を見計らって、子猫たちの所に通いました。

 そうして、何日も過ぎていきました。


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