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部屋の残り香
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「散らかっているでしょう?恥ずかしい限りですよ」
恒子がそう言った。
「もっと散らかっているご家庭もありますよ。
それに、父子家庭でフルタイムなら仕方ありません」
ソファに座れるよう学校のプリントやチラシ類をかたす恒子にフォローを入れた早苗は続ける。
「私片付けますよ」
「良いわ、悪いから。
今お茶を淹れるから、ここに坐っていてください」
緑がかった青色のソファに腰かけ、早苗は部屋を見渡した。隣は子供部屋だろうか、引っ越してから何カ月も経過しているというのに、隣の部屋には引っ越し業者の段ボールが山積みになっている。
スライド式の扉は完全に解放されていた。レールの上には漫画やチラシが山積みになっていて、開閉している様には見えない。よく見ると、レールを境にして、散らかる内容が異なっている。
早苗がいる部屋は、スーパーのチラシやビニール袋が中心で、レールの向こうは学校のプリント類が中心だ。もう読まないであろう幼児向けの絵本も落ちている。
キッチンにはカウンターの様な仕切りは無い。リビングダイニングの端にシンクが付いているのだが、リビングとダイニングとしては、心なしか狭いように感じる。広いダイニングにキッチンが付いているようだ。
「あの子、いつもああなんですよ。
学校には行っていないみたいなんですけれど、外で友達とは遊んでいるみたいなんです」
「思ったよりも、問題なさそうですね。
お子さんによっては、私達と会いたくなかったり、お家に上がるのを嫌がる子もいますから。
意外に活発そうですから、何かのきっかけがあれば、学校に行く習慣がついてくれそうです」
「夫も言っているんですけど、登校する時間に誰もいないから、登校する習慣がつかないんじゃないかって。
でも、私がその時間に来ても、みのるは家に入れてくれないんですよ。
他の時間帯は入れてくれるので、単純に学校に行きたくないだけなんでしょうけど」
「起こされるのが嫌なだけかもしれませんね。
そういうお子さんもいますよ。
学校は嫌いではないけれど、朝起きたくないから行かないんです」
いつの間にか、早苗も部屋のかたづけを始めていた。恒子はこの部屋の鍵を持っていたが、内側に入れるのは午後の3時くらいからだ。夫の夕食の準備もしなければならないから、長居は出来ない。そのため、この部屋は一向に片付かなかった。
人が2人もいるとだいぶ違う。明らかに捨てても良いレシートやチラシ類は指定のゴミ袋にまとめられ、キッチンの脇に積まれた。70L3つ分だ。
書類やミュージアムのパンフレットは捨てずに別の袋にまとめて、テレビの傍に置いておいた。
とりあえずリビングダイニングの大きなゴミは大体集め終えた。
恒子は、日ごろの心配があふれ出たのか、キッチンの引き出しに入っていたお菓子類を早苗に出して、みのるの事を相談し始める。
「あの子、成績は悪くないみたいなんですよ、とても頭が良いんです。
理科とかに興味があって、先生も褒めてくれているんですよ。
それに、足がとても速いんです、クラスで1番ですって」
相談というよりも、孫の自慢話の様だ。早苗は、会話の内容から、親子関係に何か問題を見出すことは出来なかった。真一が話すみのるの元気な姿と、今日見たみのるの姿は一致していたし、祖母の口からも心配事が話される事は無い。祖父の言っている通り、登校時間に1人になる事で、家を出る習慣がつかないように思えた。
日が暮れ始めて、みのるが家に戻ってきた時には、既に早苗はいなかった。祖母を見送ってから1人になって、だいぶ片付いた部屋を見渡す。隅の方は相変わらず散らかっているが、視界に写る床の広さは、ゴミに埋もれた床の割合の3倍位ある。こんな事は、転居当初以来だ。
みのるは、テレビもつけずにソファに座って目を瞑り、大きく深呼吸を繰り返す。鼻腔を撫でる香りは、いつも真一を包む残り香ではない。
聖子が放つ香りは、とても甘く官能的だ。フランス・パリに本拠を置く歴史ある香水メーカーの品で、エレガントな黄金色のシャンパンを思わせるグラマラスでセンシュアリティーにして、淡く酔わせる香しい香り。
フローラル・スイートをベースにして、その奥にイランイランの様に男女をとろけさせるテイストがふんだんに合わされている。微睡むように深い。みのるの年齢では分からないが、性的な鼓動を生み、異性を魅了する艶やかな香りだ。
それに対して、早苗の香りは爽やかだった。シトラスや柑橘系の香りを基調としつつ、清々しさのある甘い香りが鼻をくすぐる。
聖子の香水と同じくパリを発祥とする香水であるが、1990年代創業の新しいブランドだ。
歴史や世代を超えて多くの女性を魅了する成熟したリッチでフェミニンな香調の聖子と比べ、その香気は、若々しくありながらも女性の奥深さや美しさを引き立たせる。前世紀末には世界で一世を風靡した新進気鋭の調香師による。
値段は雲泥の差で、聖子の物の方が高価だったが、早苗の香りの方が不快ではない。
みんながみんなそうではないだろうが、男の子にとって、香水の香りはとても不愉快に感じる事がある。みのるは、大抵の香水の香りは大嫌いだった。特別の時以外、母は香水を付けていなかったし、真一も使用していない。
みのるにとって香水の香りは、他人の女の人が侵略してきたように感じてしまうのだ。ただ、少なくとも父を奪ったあの香りでない事に、みのるは安堵していた。
恒子がそう言った。
「もっと散らかっているご家庭もありますよ。
それに、父子家庭でフルタイムなら仕方ありません」
ソファに座れるよう学校のプリントやチラシ類をかたす恒子にフォローを入れた早苗は続ける。
「私片付けますよ」
「良いわ、悪いから。
今お茶を淹れるから、ここに坐っていてください」
緑がかった青色のソファに腰かけ、早苗は部屋を見渡した。隣は子供部屋だろうか、引っ越してから何カ月も経過しているというのに、隣の部屋には引っ越し業者の段ボールが山積みになっている。
スライド式の扉は完全に解放されていた。レールの上には漫画やチラシが山積みになっていて、開閉している様には見えない。よく見ると、レールを境にして、散らかる内容が異なっている。
早苗がいる部屋は、スーパーのチラシやビニール袋が中心で、レールの向こうは学校のプリント類が中心だ。もう読まないであろう幼児向けの絵本も落ちている。
キッチンにはカウンターの様な仕切りは無い。リビングダイニングの端にシンクが付いているのだが、リビングとダイニングとしては、心なしか狭いように感じる。広いダイニングにキッチンが付いているようだ。
「あの子、いつもああなんですよ。
学校には行っていないみたいなんですけれど、外で友達とは遊んでいるみたいなんです」
「思ったよりも、問題なさそうですね。
お子さんによっては、私達と会いたくなかったり、お家に上がるのを嫌がる子もいますから。
意外に活発そうですから、何かのきっかけがあれば、学校に行く習慣がついてくれそうです」
「夫も言っているんですけど、登校する時間に誰もいないから、登校する習慣がつかないんじゃないかって。
でも、私がその時間に来ても、みのるは家に入れてくれないんですよ。
他の時間帯は入れてくれるので、単純に学校に行きたくないだけなんでしょうけど」
「起こされるのが嫌なだけかもしれませんね。
そういうお子さんもいますよ。
学校は嫌いではないけれど、朝起きたくないから行かないんです」
いつの間にか、早苗も部屋のかたづけを始めていた。恒子はこの部屋の鍵を持っていたが、内側に入れるのは午後の3時くらいからだ。夫の夕食の準備もしなければならないから、長居は出来ない。そのため、この部屋は一向に片付かなかった。
人が2人もいるとだいぶ違う。明らかに捨てても良いレシートやチラシ類は指定のゴミ袋にまとめられ、キッチンの脇に積まれた。70L3つ分だ。
書類やミュージアムのパンフレットは捨てずに別の袋にまとめて、テレビの傍に置いておいた。
とりあえずリビングダイニングの大きなゴミは大体集め終えた。
恒子は、日ごろの心配があふれ出たのか、キッチンの引き出しに入っていたお菓子類を早苗に出して、みのるの事を相談し始める。
「あの子、成績は悪くないみたいなんですよ、とても頭が良いんです。
理科とかに興味があって、先生も褒めてくれているんですよ。
それに、足がとても速いんです、クラスで1番ですって」
相談というよりも、孫の自慢話の様だ。早苗は、会話の内容から、親子関係に何か問題を見出すことは出来なかった。真一が話すみのるの元気な姿と、今日見たみのるの姿は一致していたし、祖母の口からも心配事が話される事は無い。祖父の言っている通り、登校時間に1人になる事で、家を出る習慣がつかないように思えた。
日が暮れ始めて、みのるが家に戻ってきた時には、既に早苗はいなかった。祖母を見送ってから1人になって、だいぶ片付いた部屋を見渡す。隅の方は相変わらず散らかっているが、視界に写る床の広さは、ゴミに埋もれた床の割合の3倍位ある。こんな事は、転居当初以来だ。
みのるは、テレビもつけずにソファに座って目を瞑り、大きく深呼吸を繰り返す。鼻腔を撫でる香りは、いつも真一を包む残り香ではない。
聖子が放つ香りは、とても甘く官能的だ。フランス・パリに本拠を置く歴史ある香水メーカーの品で、エレガントな黄金色のシャンパンを思わせるグラマラスでセンシュアリティーにして、淡く酔わせる香しい香り。
フローラル・スイートをベースにして、その奥にイランイランの様に男女をとろけさせるテイストがふんだんに合わされている。微睡むように深い。みのるの年齢では分からないが、性的な鼓動を生み、異性を魅了する艶やかな香りだ。
それに対して、早苗の香りは爽やかだった。シトラスや柑橘系の香りを基調としつつ、清々しさのある甘い香りが鼻をくすぐる。
聖子の香水と同じくパリを発祥とする香水であるが、1990年代創業の新しいブランドだ。
歴史や世代を超えて多くの女性を魅了する成熟したリッチでフェミニンな香調の聖子と比べ、その香気は、若々しくありながらも女性の奥深さや美しさを引き立たせる。前世紀末には世界で一世を風靡した新進気鋭の調香師による。
値段は雲泥の差で、聖子の物の方が高価だったが、早苗の香りの方が不快ではない。
みんながみんなそうではないだろうが、男の子にとって、香水の香りはとても不愉快に感じる事がある。みのるは、大抵の香水の香りは大嫌いだった。特別の時以外、母は香水を付けていなかったし、真一も使用していない。
みのるにとって香水の香りは、他人の女の人が侵略してきたように感じてしまうのだ。ただ、少なくとも父を奪ったあの香りでない事に、みのるは安堵していた。
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