Perfume

緒方宗谷

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成長

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 事務の女性と物資の仕分けを行っていたみのるは、戻ってきた葛西を出迎えた。しばらくすると、他のメンバーも戻ってきたので、みんなして道の駅の温泉に行くことにした。
 まだ日は落ちていないので、町がどうなっているのか車で見て回ると、砂ほこりが舞う街は閑散としている。本来なら観光客が多く訪れているであろう商店街も、全半壊した建物が多く、みのるは大きな衝撃を受けた。
 建築中や解体中の建物を見たことはあるが、爆撃を受けたように崩れ去った建物を見たことは無い。みんながみんなそのような状態ではないが、みのるの丈よりも大きな亀裂が入った建物があったりして、どこを見ても涙が出そうだ。
 ただ、それでも面白いことはあった。後のみのるに、どんなに悲しくても何か楽しい事を見つけられると思える心は、ここでついたようだ。道の駅は普通に営業していて、大きな温泉に浸かって、お土産を選んで一時は、ついついボランティアでやってきたことを忘れてしまった。
 特に、そのあと訪れたレストランでの会話が、印象的だった。
 どの様な店だったか忘れてしまったが、2つともチェーン系の店舗で、車の中からどちらに入るかを多数決で決める事になった。みのるが乗っていたワゴンには、8人乗っていたが、葛西、みのる、真一を除いて、5人がハンバーグレストランを選んだのだ。
 「私、お昼もハンバーグだったんですよぉ、もうやだぁ」
 みのる達は大笑いだ。5人は初耳だったが、聞いてもなお店舗を変更しなかった。
 聞くと、行った先の避難所には、ちょうど料理を提供するボランティアが来ていて、鉄板を準備していた。最初葛西は、自分も食べられるのではと期待したらしいが、調理が始まると、白石と顔を見合わせて笑うしかなかった。沢山のハンバーグが焼かれ始めたからだ。
 遂に、葛西のハンバーグ記録は、6食に突入した。もう足かけ3日ハンバーグしか食べていない。食事中はほぼハンバーグの話題続き、もう当分は、ハンバーグを見たくもないとまで言い出した。
 田舎育ちのみのるは、東京の子供と違って、夜がとても暗いことを知っていた。だが、ここの暗さは、本当の意味での暗闇であった。手を伸ばすと、自分の指が見えない。それもそのはずで、電気が来ていないのだから街灯は付かないし、窓から漏れる生活の明かりもない。
 祖父の家に泊まった時に見る闇夜には、遠くに家々の灯がポツリポツリとあったが、ここはどこまで見渡しても限りない闇だ。静まり返っていて、虫やカエルの鳴き声も聞こえない。
 拠点に戻ると、みんなはメンバーが持ち込んだビールを飲み始めた。全員で手を振りって、おつまみにたかろうとする蠅を追いやりながら、1日の疲れを酔い消そうとする。
 少ししてから、庭に出で何の気配も感じない闇夜を見ていたみのるは、酔い覚ましに出てきた警備会社の大野と、一緒に外を見て回る事にした。歩き始めてからほどなく、彼はハンバーグの話を切り出した。
 「みんな面白がって聞いていたけれど、温かいご飯を食べられるだけでも、幸せ者だよ。
  避難所にいるみんなは、冷たいご飯や、唾液がすべて吸い取られるような乾いた食事をとっている人もいるんだ。
  僕も、以前ここに来た時は、駅近くのスーパーの存在も知らなかったから、3食全て支援物資で過ごしたことがあるよ。
  とても有り難かったけれど、朝昼晩毎日カップラーメンじゃ、パッケージを見ただけでも吐き気がしてしまって、本当につらかったよ。
  埼玉からひと時だけ来た僕がそう思うんだから、どこにも行きようが無く、避難所にいる方々は、本当につらい思いを我慢して過ごしているんだろうね。
  食べ物を送ってもらえているだけ幸せなんだけど、そう思おうとしても、僕はとても辛かったよ。
  カップラーメンだけの日が数日続いて、ある時メンバーみんなであの温泉に行ったんだ。
  今日と同じ店に入ったんだけれど、温かいご飯に味噌汁そしてハンバーグはとても美味しかったなぁ、出てきた涙を我慢できなくて泣いてしまったよ。
  東京でも見る店で、あの時と今日の2回しか入ったことが無いんだけど、看板を見つける度に、あの時の事を思い出して、温かいご飯ってとても有り難いんだなって、いつも思うんだ。
  こんな状況だから、売り上げはあまりないかもしれないけれど、頑張って営業してくれている店が沢山ある。
  コンビニだって、週に2回は車を出して、パンやお弁当を売りに来てくれているんだ。
  助ける側の僕でさえ、とても励みになったんだから、被災者はもっと心強かったろうね。
  会う人合う人がみんな言うんだ。
  来てくれるだけでありがたい、知ってくれるだけでありがたい、忘れないでください、どうかみんなに伝えてくださいって」
 みのるは昼間に見たタクシーを思い出した。そのタクシーから登山用のリュックを背負ったボランティアが下りてきたのだが、中には地元のおばちゃんが乗っていた。石巻駅辺りから相乗りしてきたのだろう。
 お金を払おうとしたボランティアを制止して、私が払うと言って聞かない。運転手もおばちゃん側に立って、男性からお金を受け取ろうとしない。助けてほしいはずなのに、助ける側を思いやっている。みのるは、何年たってもそれを美しい人の思いとして忘れなかった。
 お酒が入っているせいで、大野はとても饒舌だった。みのるの話を聞いて、もう1つ話してくれた。
 「この近くの民家のヘドロかきをした時なんだけどね、今日のヘドロかきみたくとても大変で、熱射病気味になったことがあったんだよ。
  その日自宅にボランティアが来ることを知っていたその家のお爺ちゃんがね、どこからか沢山のアイスを手に入れてきて、言うんだ。
 『こんなに汗だくになって、ご苦労様です。
  私にはこんな事しか出来ないけれど、どうかみんなで食べてください』って。
  あの時、まだ、地震から何ヶ月かしか経っていなかったから、真夏でとても暑かったし、匂いや蠅もすごくて、何人かのボランティアは挫けそうになっていたんだけど、そのお爺ちゃんの優しさに助けられて、2日掛かりでヘドロをかききったんだ。
  この災害で、絆って言葉がよく言われるようになったけど、本当に絆は大事だよ」
 曇っていたせいで、大野が持っていた懐中電灯の明かり以外に、道を知る術は無かった。真っ暗な家におばさんがいて、みのるは何をしているのか話しかけると、泥棒が来るから、夜は避難所から戻るようにしていると、教えてくれた。
 災害で辛い思いをしているのに、追い打ちをかけるように残った物まで奪おうとするなんて、みのるには信じられない。自分も警備員になったつもりで、辺りの様子を窺いながら、拠点に戻って行った。
 何人かは既に寝ていた。1人だけキャンプ道具を携えてきた男がいて、室内にテントを張って寝床としている。初めは可笑しな風景だなと思ったが、夜寝ようとして理由が分かった。
 室内には何匹も蠅がいて、真っ暗な中頭にとまってモゾモゾと這い回るのだ。みのるは泣きたくなった。自分が哀れだと思ったからではない。この様な環境で辛い思いをする被災者を思うと胸が締め付けられて、こみ上げてくる感情を抑える事が出来なかったのだ。
 長旅とボランティアの疲れ、そして被災地を見て受けた衝撃が重なって、心身ともに疲疲労困憊していたみのるは、蠅に苛まれながらもすぐに深い眠りへと落ちて行った。
 ハンバーグを見る日はすぐに訪れた。次の日の朝、みのる達は、白石の車で拠点を後にして、東京への帰路へとついた。朝ご飯を食べていないから、何か食べ物を買うことにしたのだが、車を寄せたのは、石巻について最初に寄ったドライブスルーだ。
 「もう16円しかないから、私は良いです。
  高知まで我慢しますから」
 「良いよ、おごってあげるよ」
 葛西は、真一と数回の押し問答の末、勝手に白石が注文した葛西の分のセットを渡されて、申し訳なさそうに食べ始めた。
 「これで、7食目のハンバーグ記録だね」
 「もう、泣くしかないよ」
 笑顔で言うみのるに、苦笑いで答える葛西であった。
 「あのお姉ちゃん、病院の先生になってるかな?」
 一生みのるは、ハンバーグを見る度に、必ず石巻のみんなを思い出した。




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