Perfume

緒方宗谷

文字の大きさ
上 下
4 / 40

ガラスの壁

しおりを挟む
 毎日、太陽の熱光に顔を焼かれて起きる日々が続いていた。3日に1回は学校に行ってはいるものの、ほんの少しだけ、クラスメートとの間にズレが生じていた。
 意識して分かっていたことではないが、1人で過ごすみのると、集団で過ごすみんなとの間に、成長内容の差があるようだ。みんなと違って、みのるは一人遊びを得意とするようになり始めていたし、1人でいることを好んだ。
 協調性に欠けるところがあって、担任は少し心配していた。積極性に欠けるところがあるわけでは無かった。多少自信が無い性格であるが、別に内向的なわけでもない。どちらかと言えばアウトドアな性格で、平日の午後は畑や小山を歩いている。
 学校の時間は警察に捕まるのが怖くて、ずっと家にいてボーとしていた。HDDには沢山のアニメ映画が入っていたし、まだ見ていないものも幾つかあったが、いつでも見られると思うと、今見なくても良いかと思ってしまう。
 ダラダラとお菓子を頬張って、昔行ったヒーローショーのパンフレットを読んだりしては、オリジナルのヒーローを描いて遊んだ。
 昼間の時間は、自分が物音をたてさえしなければ、完全な無音の中にいる。目の前の道路は2車線で交通量はほとんどない。周りの家屋も、ほぼ高齢者が住んでいるから、静かなものだ。マンション自体は若い世帯が中心だが、朝の一時期が過ぎると、夕方まで何も聞こえなかった。
 この世に自分1人しかいないのではないかと錯覚させるような時間帯はとても長く感じたが、ごくまれに聞こえてくる小鳥のさえずりは、その環境下だからこそ、耳の奥に反響して、心の芯まで響く。
 生活に必要な教育を受けていないみのるは、箸が上手く使えなかったから、もっぱら手で食事をとっている。学校では箸を十字にして食べているが、外食はスプーンとフォークしか使わない。
 トイレにしても便座をあげる習慣が無いものだから、便座も床も黄色く黄ばんでいて、アンモニア臭を放っていた。父親は何も言わないし、みのるも特別嫌な気はしなかった。そもそも自分の汚れであるから、嫌悪を抱くことはない。
 真一は、トイレの汚さを問題視していて、今度掃除しなければと思っていたが、その今度は一向に訪れる気配を見せなかった。彼自身が、家で便座に座る機会は無いので、どうしても掃除せざるを得ない状況にも追いつめられることは無く、結局放置されてしまうのだ。
 本来なら、友達や両親と過ごす時間が、1日で最も多いはずの時期に、殆どの時間を1人で過ごしているのだから、1匹狼的な性格が形成され始めるのも無理はない。
 家事をする習慣のない父親に育てられていることが、一番の問題である。子供の頃の真一は、同然家事は母親任せであった。それは高校を卒業するまで続いたが、大学に入って一人暮らしを始めると、仕送りを使って毎日外食で済ませていた。親に買ってもらった冷蔵庫は空っぽのまま、無駄に電力を消費している。調理器具さえも1度も使われることはなかったし、食器も使ったことが無い。
 上京してすぐにできた彼女が部屋を掃除してくれていたから、掃き掃除はおろか、自分のパンツ1枚洗ったことが無い。結婚してからは、家事の全てを共働きの妻にしてもらっていた。
家事をした経験が無いから、それがどれだけ大変かを知る機会もない。洗面台のタオルがいつも白いのは当たり前だし、ゴミ箱が空っぽなのも当たり前だ。タンスやテレビの上に埃が溜まっていないのも当たり前だし、毎日違う料理が食卓に並ぶのも当たり前だった。
 本来なら、離婚して妻の有り難さを痛感するところなのだが、長時間労働に命を削られていた真一に、そう思える心の余裕は微塵もない。思おうとする思考すら無かった。
 親の思考状態は伝播するもので、みのるも真一と同じ様な性格に育っている。ただ、良い面もあった。真一は、大学に入った頃からTVゲームを卒業していて、今日に至るまで、その類の物を買うことはなかったから、みのるも電子の波におぼれる機会はほとんど無い。
 協調性に欠けるとは良く言ったもので、これに欠けている事はとても後ろめたさを感じる。教師側から見れば、制御が容易な子供だけを扱いたいだろう。初めの内は、担任もみのるに親身になっていたが、段々とみのるを疎んじるようになった。
 それほど若くない中堅教師で、既に若かりし頃の理想に燃える様子は、微塵も感じられない。ちょうど理想と現実がぶつかって萎えきってしまっているころだ。
 幸い、クラスにイジメは発生していない。みのる自身も友達と遊ぶことは望んでいたが、授業中に静かに席についていることが出来ないのか、いつもソワソワしている。
 以前は、担任が自宅を訪れて真一と話をしていたから、みのるも学校に行かないのはまずいと思っていた。休んだ日に電話を入れるだけになって久しいが、その電話も伝言をする伝に入れる事すら無くなっている。
 子供は、結構そういう変化を敏感に感じ取るものだ。担任の変貌ぶりに驚きもしないのは、大人である真一よりも早い段階から、徐々に変化していく様子を感じていたからだろう。
 そんな生活であるにもかかわらず、現在の所はそれほど成績は悪くない。真一がドリルを買い与えていたので、最低限の学力はそれで確保されていた。勉強は特別好きではないが、TVゲームがあるわけでもないし、することが無くなると、最終的にそれらを開く。
 みのるは、真一が褒めてくれるのが一番喜ばしいこととしていた。真一が褒めてくれる近道は、ドリルで良い点を取ることだ。だが、勉強を強要することは無い。
 真一もそれほど学校に行っていた方ではなかった。登校拒否をしていたわけではないが、とても朝が弱く、起きると大抵11時頃だったから、行かない事が度々あったのだ。それでも80年代後半の児童数は今とは比べ物にならないほど多く、毎日友達と外で遊んでいた。
 登校はしなかったくせに、放課後は校庭に来て遊んでいる事もある。親は何も言わなかったし、担任も何も言わなかった。担任は、一緒になって遊んでいたくらいだ。
 当時は、世界的に大ヒットした日本のゲーム機が全盛期を迎えていた。真一ももれることなくゲームにはまっていく。徹夜で遊んでいた事が、朝寝坊に拍車をかけていた。ただ、ゲーム熱は数年しか続かず、小学校高学年になると、エアガンを用いた銃戦に傾倒していく。
 ゲームは友達が集まるまでの時間つぶし程度にしか用いられなくなった。もともとキャンプや釣りが好きな少年であり、千葉や伊豆に旅行に行くと、いつも釣具店でレンタル釣竿を借りて、釣りをさせてもらっていた。
 もちろん学校の勉強も大事であることは、真一も重々理解している。だが、真一自身は、大学も含めて、遊びから得た経験ほど人生の役に立っていることが無かったから、みのるに与える親としての愛情は、遊びに尽くされていた。
学校に行くことは強要しないが、外食と旅行は強引に連れて行く。その教育方針のお陰で、心の内と外のバランスがとれていた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

RoomNunmber「000」

誠奈
ミステリー
ある日突然届いた一通のメール。 そこには、報酬を与える代わりに、ある人物を誘拐するよう書かれていて…… 丁度金に困っていた翔真は、訝しみつつも依頼を受け入れ、幼馴染の智樹を誘い、実行に移す……が、そこである事件に巻き込まれてしまう。 二人は密室となった部屋から出ることは出来るのだろうか? ※この作品は、以前別サイトにて公開していた物を、作者名及び、登場人物の名称等加筆修正を加えた上で公開しております。 ※BL要素かなり薄いですが、匂わせ程度にはありますのでご注意を。

イコとちず

ふしきの
ミステリー
家族とはなにか愛とはなにか血縁関係も肉体関係もないです。たぶん今後もないな。 当時の一話が見当たりませんので載せていませんが何となくの感覚で読めます。

少年よ空想を抱け

柿本マシュマロ
ミステリー
日々の空想を文字化してるだけでございます。

斯かる不祥事について

つっちーfrom千葉
ミステリー
 去年の春に新米の警察官として配属された、若き須賀日警官は、それからの毎日を監視室で都民を見張る業務に費やしていた。最初は国家に貢献する名誉な仕事だと受け止めていた彼も、次第に自分のしていることが一般庶民への背信ではないかとの疑いを持つようになる。  ある日、勤務時間内に、私服姿でホストクラブに出入りする数人の同僚の不正行為を発見するに至り、それを上司に報告するが、そのことが原因で、先輩や同僚から不審の目で見られるようになる。これにより、彼の組織への嫌悪感は決定的なものになる。警察という組織の腐敗というテーマよりも、むしろ、社会全体における犯罪と正義の境界と疑念をひとつの作品にまとめました。よろしくお願いいたします。  この作品は完全なフィクションです。登場する組織、個人名、店舗名は全て架空のものです。 2020年10月19日→2021年4月29日

アナグラム

七海美桜
ミステリー
26歳で警視になった一条櫻子は、大阪の曽根崎警察署に新たに設立された「特別心理犯罪課」の課長として警視庁から転属してくる。彼女の目的は、関西に秘かに収監されている犯罪者「桐生蒼馬」に会う為だった。櫻子と蒼馬に隠された秘密、彼の助言により難解な事件を解決する。櫻子を助ける蒼馬の狙いとは? ※この作品はフィクションであり、登場する地名や団体や組織、全て事実とは異なる事をご理解よろしくお願いします。また、犯罪の内容がショッキングな場合があります。セルフレイティングに気を付けて下さい。 イラスト:カリカリ様 背景:由羅様(pixiv)

顔の見えない探偵・霜降

秋雨千尋(あきさめ ちひろ)
ミステリー
【第2回ホラー・ミステリー小説大賞】エントリー作品。 先天性の脳障害で、顔を見る事が出来ない霜降探偵(鎖骨フェチ)。美しい助手に支えられながら、様々な事件の見えない顔に挑む。

孤島の洋館と死者の証言

葉羽
ミステリー
高校2年生の神藤葉羽は、学年トップの成績を誇る天才だが、恋愛には奥手な少年。彼の平穏な日常は、幼馴染の望月彩由美と過ごす時間によって色付けされていた。しかし、ある日、彼が大好きな推理小説のイベントに参加するため、二人は不気味な孤島にある古びた洋館に向かうことになる。 その洋館で、参加者の一人が不審死を遂げ、事件は急速に混沌と化す。葉羽は推理の腕を振るい、彩由美と共に事件の真相を追い求めるが、彼らは次第に精神的な恐怖に巻き込まれていく。死者の霊が語る過去の真実、参加者たちの隠された秘密、そして自らの心の中に潜む恐怖。果たして彼らは、事件の謎を解き明かし、無事にこの恐ろしい洋館から脱出できるのか?

ダブルネーム

しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する! 四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。

処理中です...