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悪夢の後
20ー2
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悲嘆にくれる私が町に戻りついた時には、既に正午を過ぎていた。町は、焼け出された大勢の人で溢れている。しかし、煤汚れたレンガの建物の殆どは、半壊しながらも原型を留めていた。
崩れ落ちたレンガに座ってうな垂れる者、家族を探して叫び歩く者、それらの人々の多くは憔悴しきっている様であったが、中には家族と再会できたのか、頬に血の気が戻っている者もいる。
業火の中で焼け残った我が家で、なんとか安堵する人の顔が窓から見える事もあるが、大多数の人々は絶望に打ちひしがれていた。それでもなお、数年前にベルリンで起きた惨状には遠く及ばず、天罰はこれから下されるように思える。否、天罰のての字もまだ執行されてはいないのだ。
人をかき分ける力も沸かず、ただただ人波に流されるままに、ようやく自宅へとたどり着いた。
4階部分は粉々に粉砕されて、跡形もない。3階も前面部分の外壁は崩れ、中の様子がうかがえる。
鍵をかけて逃げなかったにもかかわらず、厚い木製の扉は無残にも破壊されていた。指で押すと、何の抵抗もなく軋む音を立てて開く入り口を抜けて、私は階上へと上って行った。
早く妻に会いたかったが、現実を直視するのが怖かった。結果は分かっている事であったが、脳裏には微笑んで出迎える妻の姿がある。お互いの命が無事であった事を喜び、抱きしめ合う2人の姿が、悲しみ涙に滲みながらも消えずに浮かび続けていた。
妻は、昨日別れたままの姿で横たわっていた。表情が安らかであったのは見間違いなどではなかった事が分かり、それだけが救いだ。
しかし、私の悲しみが癒える事は無かった。14歳の時、雨降る日本橋で初めてであった時の笑顔が思い出される。少しシドロモドロしながら傘を手渡す私に、とても健やかな笑みでお礼を言ってくれた。
もう2度と会う事は無い、と思って過ごしていた日々が、君の起こした奇跡によって打ち破られた日の歓喜に満ちた気持ちを、私は未だに鮮明に覚えている。貿易会社で繰り返す退屈な日々は、我が名を呼ぶ君の声で、天地がひっくり返った。
世界恐慌で父の会社は火の車であったが、そのおかげで君はドイツに帰れなくなって、内心私がどれほど喜んだことか。国に帰れなくなりつつも、私の傍に入れる事を喜んでくれている眼差しを見るのが、私は好きだった。
18歳で結婚してからの15年間、私達は一度も喧嘩をしなかったし、君といて不幸せだと思った事は、ただの1度もない。
私は、長い事2人の思い出を思い返していた。冷たくなった妻の右手を握って、寄り添って寝る。もはや生きる気力も尽きていた。まる2日、私は飲まず食わずで妻の横に寄り添っていた。
崩れ落ちたレンガに座ってうな垂れる者、家族を探して叫び歩く者、それらの人々の多くは憔悴しきっている様であったが、中には家族と再会できたのか、頬に血の気が戻っている者もいる。
業火の中で焼け残った我が家で、なんとか安堵する人の顔が窓から見える事もあるが、大多数の人々は絶望に打ちひしがれていた。それでもなお、数年前にベルリンで起きた惨状には遠く及ばず、天罰はこれから下されるように思える。否、天罰のての字もまだ執行されてはいないのだ。
人をかき分ける力も沸かず、ただただ人波に流されるままに、ようやく自宅へとたどり着いた。
4階部分は粉々に粉砕されて、跡形もない。3階も前面部分の外壁は崩れ、中の様子がうかがえる。
鍵をかけて逃げなかったにもかかわらず、厚い木製の扉は無残にも破壊されていた。指で押すと、何の抵抗もなく軋む音を立てて開く入り口を抜けて、私は階上へと上って行った。
早く妻に会いたかったが、現実を直視するのが怖かった。結果は分かっている事であったが、脳裏には微笑んで出迎える妻の姿がある。お互いの命が無事であった事を喜び、抱きしめ合う2人の姿が、悲しみ涙に滲みながらも消えずに浮かび続けていた。
妻は、昨日別れたままの姿で横たわっていた。表情が安らかであったのは見間違いなどではなかった事が分かり、それだけが救いだ。
しかし、私の悲しみが癒える事は無かった。14歳の時、雨降る日本橋で初めてであった時の笑顔が思い出される。少しシドロモドロしながら傘を手渡す私に、とても健やかな笑みでお礼を言ってくれた。
もう2度と会う事は無い、と思って過ごしていた日々が、君の起こした奇跡によって打ち破られた日の歓喜に満ちた気持ちを、私は未だに鮮明に覚えている。貿易会社で繰り返す退屈な日々は、我が名を呼ぶ君の声で、天地がひっくり返った。
世界恐慌で父の会社は火の車であったが、そのおかげで君はドイツに帰れなくなって、内心私がどれほど喜んだことか。国に帰れなくなりつつも、私の傍に入れる事を喜んでくれている眼差しを見るのが、私は好きだった。
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私は、長い事2人の思い出を思い返していた。冷たくなった妻の右手を握って、寄り添って寝る。もはや生きる気力も尽きていた。まる2日、私は飲まず食わずで妻の横に寄り添っていた。
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