Kaddish

緒方宗谷

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町の空き家と家庭の味

16ー3

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 ナチス党のマライが、息子のためにとビール酵母の錠剤を持ってきた。ジャムのお礼を兼ねて、息子の療養に役立てれば嬉しい、と言う。もしこの様な時代でなければ、このご夫人は面倒見の良い優しい女性だったのかもしれない。
 特別、異民族を排斥しようとかそういう討議を積極的に行う様子がないのは、彼女が国粋主義者でないのか、町がそこまで悪夢にうなされていないからなのかは分からなかった。ベルリンで行われているような悲劇を目の当たりにしていたとしたら、この夫人はどういう反応を示すのだろう。
 誰も何も言わないが、郊外がゴーストタウンと化している。町のみんなは知って何も言わないように思える。それを知った上で、ナチスを応援する活動を展開する夫人への印象は、いろいろ世話を焼いてくれる今でも、第一印象と変わらない。
 大日本帝国の存在が、ナチスにとって重要さを増してきたのか、ここ最近、黒い制服の男を乗せた車に見張られる事は無くなった。だが、町を歩けば常に視線を感じている。下っ端の私服警官か憲兵が私を見ているのだろ。
 この頃、私が葉巻をあげた陸軍士官のトーマスの話では、ゲシュタポはドイツ全土に勢力を伸ばしていた。その主な任務は民族狩りであったが、反ナチ狩りやスパイ摘発も担っている。私はこの町に住む唯一の異民族であるから、日本人でなければ、既に命は無かったのかもしれない。
 マライを通して、懇意にしてくれているトーマスの妻イングリットと知り合えていたから、何事も丸く収めてほしい、という気持ちを込めて、私達はジャムをプレゼントした。そのお陰か、彼の部下である陸軍兵士は、軍の事務所を訪問する私とすれ違う時、会釈位はしてくれる様になっている。
 妻は、ジャムをあげる先々で、子供が病弱である事を繰り返し伝えて、「小川で吸う自然の空気が肺を癒してくれれば良いと願ってやまない」と必ずそう話す。そうやって根回しする事で、自分が党員にならない事やピクニックの事を、子供のためだと何度もみんなの記憶に刷り込んだ。
 それでも気は休まらなかった。国防軍と親衛隊は別の組織であったから、どちらかに傾倒しすぎると妬みの対象になりかねない。
 本社は軍に缶詰を卸していたが、親衛隊とは接点が無い。そこで、ナチスを後援するマライに頼んで、親衛隊を率いるSS将校のダニエルの家に、イチゴやブルーベリーのジャムを届けてもらった。会社を通して手に入れた化学調味料をあげる事もあった。
 心情上、軍や親衛隊にかかわるのは極力避けたかったから、頻繁に付け届けをすることは無かった。葉巻はあまり手に入らなかったので、トーマスやダニエルの誕生日など特別な日にしかあげない。代わりに、なにか些細な理由を見つけては、彼らの妻や子供のためにケーキを焼いて届けたり、女の子のいるダニエル宅には、端切れで作ったお人形をプレゼントした。
 本人に何かあげるよりも、家族に付け届けをする方が効果を発揮するのは、洋の東西を問わないようだ。
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