Kaddish

緒方宗谷

文字の大きさ
上 下
10 / 90
ドイツ人の渇望したもの

4ー1

しおりを挟む
 彼らは、別に世界征服がしたかったわけではなかろう。自分達以外を全て滅ぼしたいなどとは思っていなかったはずだ。少なくとも、私の家族はそう思っていないし、気が狂った様な彼らを「本当は善良な市民で、今は熱にうなされているだけだ」と主張している。
 私もそう思う。ドイツにやってきた時、既に世界恐慌で深い傷を負っていたし、見る人見る人皆心が荒んでいるように見えはしたが、悪魔のような所業を行なえるようには見えなかった。
 もともと、私の実家は、欧州向けに日本製品を輸出する貿易商を営んでおり、私はそのために訪独したのだが、日本にいた時からドイツ人の知人は何人もいた。彼らは、他の欧米人と比べてとても真面目な気質でありながら、ビールを飲むととても気さくでとっつきやすい性格に変わる。
 我々黄色人種を差別する事もなく、ましてや母国に住む他民族を蔑むような発言をしたこともない。第一次欧州大戦で、日本とドイツは敵国同士であったが、親族に軍人がいる友人達も私をののしる事はしなかった。
 私がまだ8歳位の出来事であるが、当時の日本には多くのドイツ人捕虜が連れてこられた。彼らに対し日本は国際条約を真摯に守り、ドイツ兵捕虜は徹底して人道的に扱われた。収容されたドイツ兵からも称賛されるほどだったのだから、事実であろう。
 戦争が終わって、彼らが帰国する際には、ベートーベンの第九“歓喜”を演奏して、日本への感謝を表した。
 私がドイツに来て以来、今まで当時の事を罵られた事はただの1度もなく、疲れ切った様子ながらも、「日本人か? こんな不景気で何ももてなす事が出来ないんだ、本当に申し訳ないね」と言ってくれた。
 人々の心にだんだんと統制が浸透していくにつれて、彼らの優しさはなりを潜めていく。うって変わって頭をもたげたのは、鬼のような存在だった。
 そうなるまでに時間はかからなかったが、そうなる過程で疑問を持った者はいないように思える。反ナチスの義父達ですら、ナチス政権が独裁であるとか、彼らに政権を与えてしまった事、異民族を一区画に集めて生活させる事にあまり疑問を持たなかった、と言っていた。
 街中で平然と虐殺が始まるまでは、妻でさえ、住処から退去させられる人々を憐れみながらも、ベンチに貼られたドイツ人のみ使用可と書かれた文字を見て疑問に思わなかったらしい。
 私の家族は、ただただ、平穏な生活を望んでいた。家族だけではない。ほとんどのドイツ人は、1929年にニューヨーク株式市場の大暴落で始まった世界恐慌によって壊滅したドイツ経済の立て直しを望んでいただけだ。
 しかし、人は慣れる生き物で、少しずつ少しずつ、非人道的な所業にも慣れていき、良心の呵責を忘れて行った。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

信長最後の五日間

石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。 その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。 信長の最後の五日間が今始まる。

法隆寺燃ゆ

hiro75
歴史・時代
奴婢として、一生平凡に暮らしていくのだと思っていた………………上宮王家の奴婢として生まれた弟成だったが、時代がそれを許さなかった。上宮王家の滅亡、乙巳の変、白村江の戦………………推古天皇、山背大兄皇子、蘇我入鹿、中臣鎌足、中大兄皇子、大海人皇子、皇極天皇、孝徳天皇、有間皇子………………為政者たちの権力争いに巻き込まれていくのだが……………… 正史の裏に隠れた奴婢たちの悲哀、そして権力者たちの愛憎劇、飛鳥を舞台にした大河小説がいまはじまる!!

ワルター機関

wawabubu
歴史・時代
英米との戦争が始まって早(はや)三年の月日が経とうとしていた。戦局は思わしくないが国民には本当のことは知らされないでいた。わたくしは横山子爵令嬢として京都帝大理学部に進み、宇治村の帝大研究所でドイツの最新技術「ワルター機関」で逼迫している石油を使わない推進装置研究の助手を仰せつかっていた。

龍馬暗殺の夜

よん
歴史・時代
慶応三年十一月十五日。 坂本龍馬が何者かに暗殺されるその日、彼は何者かによって暗殺されなかった。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

ずっと君のこと ──妻の不倫

家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。 余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。 しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。 医師からの検査の結果が「性感染症」。 鷹也には全く身に覚えがなかった。 ※1話は約1000文字と少なめです。 ※111話、約10万文字で完結します。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...