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池袋 ~喧騒とのどかさの交わる場所で見つけた不思議なカフェ~

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 ある日の昼下がり、僕は、池袋の大通りから外れた一角で、魅力的なカフェを見つけた。
 昔からある旅館の一階を改装してできたカフェらしい。
 僕は、普段ブラックしか飲まない。通と言うわけではないけれど、コーヒーの持つコク、苦味、酸味、甘味、が大好きで、ビビッときたカフェには入らずにはいられない、と言うほど、コーヒーに目が無い。僕は思わず、店の前へと引き寄せられていく。
 店の前で紹介されるメニューを見ると、まさに魅惑の宝庫だ。口に収まるのか疑わしいほど分厚いサンドウィッチにスコーンやマフィン。どれも僕の大好物。しかもスペシャリティコーヒーだって。
 それに、なにこれ? ピアーダって何? 見たところ、包まなかったラップサンドの様。
 時計を見ると、予定までまだ時間がある。お昼はまだ食べていないし、小腹がすいてきていたので、これは運命に導かれたな、と神様に感謝しつつ、半地下の入り口に向かって階段を下りた。
 中に入ると、オレンジめいた空気に包まれた、焦げ茶色の空間が広がる。薄暗い照明と木の床板の色が織り成す幻想的な空間だ。
 初めて入ったのに、どこか懐かしさを感じる。僕はそう思いながら、靴を脱いで下駄箱に入れ、右の廊下へと足を伸ばす。
 すぐに物腰柔らかな男性が出迎えてくれて、カウンターに案内してくれる。
 まず目に止まったのは、二段ほど低くなった床に大きな木のテーブル。あたかも囲炉裏でもあるのでは? と思わせる。思わず探してしまった。
 そして導かれた先で、シティミュージックといった風のコーヒーマシーンが目に止まる。昔からあるであろう旅館にしては随分とポップな感じだが、それがまた古民家チックな店内に調和している。
 幾つか並んだガラスのフードカバーの中には、河原でザリガニを捕っている丸坊主の少年の様な焦げ茶色のサンドウィッチ、宝石をちりばめたドレスに身を包んだ幼女のようなマフィン。絹のように滑らかでふんわりした乳白色の赤ちゃんみたいなプレーンのスコーンが並んでいる。
 僕は当然、生ハムとカマンベールチーズのピアーダとコーヒーを頼んだ。
 海の水面に煌めく光の結晶の様に微笑む美しい外国の女性は、今日のコーヒーはメキシコのコーヒーだと教えてくれた。
 ピアーダとは何か、と訊くと、イタリアの料理だと言う。クレープ生地で具を包んだ料理だが、生地は店内で作っているので、他にはない特別なものらしい。女性は加えて、フランスのクレープ生地より厚みがあってモチモチしている、と言った。
 僕は我慢できなくて、赤子のように僕を魅了してやまないスコーンも連れて帰ることにした。
 本当は店内で食べていきたかったが、この後用事あるから仕方がない。
 外に出て僕は、はて、この辺りには公園はあるのだろうか、と辺りを見渡す。土地勘がないわけでもないが詳しいわけでもない。景色を楽しみながら食べ歩くのも魅力的だと思いつつも、没頭できるほどの時間がない、と諦める。
 けれども途方には暮れなかった。旅館の壁にベンチが設けられていて、ありがたいことに小さな小さなテーブルまで備えてあったからだ。
 僕は、すぐさま座った。不思議な感覚だ。足元はすぐに公道。景色が良いわけでもない。なのになぜか、どことなく心が落ち着く。大通りの喧騒から離れたここは、時間の流れが緩やかなのだろうか。
 時折やって来る車の音で現実に引き戻されつつも、僕は穏やかな気持ちでコーヒーをすする。軽やかな味だ。優しく撫でれような苦味がまず広がる。柑橘を思わせる酸味にトゲは一本も無い。不思議と舌に染み広がらないその酸味は、青空の雲のように喉の奥に流れていく。
 立ち上る熱気に含まれる芳醇でフルーティーな香りが、鼻をくすぐる。紙コップでふたがしてあるのに、こんなにも香るのか、と僕は驚いた。大抵のコーヒーは、ふたがあると香らない。中には、ふたをとっても香らないものまである。こだわりのコーヒーを謳っているのに、だ。最初の一口で、このコーヒーは次元が違う、と気がついた。
 満を持して、ピアーダを食べる。酸味のあるクリーミーなドレッシングがかかっていて、生地の持つ自然な風味を誘い出す。なるほど、モチモチ食感だ。思わず頬がほころぶ。心が癒されるほどの超もち肌。それにレタスのシャッキリ感が合間って、歯に伝わる心地のよい音。トランポリンの上を浮かぶように弾んでいるようだ。レタスの奏でるシャキシャキ音が、メロディになって木霊する。
 のんびり視覚で楽しむ間もなく食べてしまった。少し後悔。でも大丈夫。一口コーヒーをすすって、僕は思った。まだ僕には可愛いスコーンちゃんが残っているから。
 笑みが溢れるのが、見なくても分かる。頬の筋肉の躍動からではない。気持ちの躍動からだ。今まさに喜びが満ちている、と確信できる心持ちだった。
 そしてその確信は真実へと変わる。一口噛った瞬間、ベートーベンの第九の一番盛り上がるところが聞こえてくる。まさにほころぶ頬が、歌っている。
 スコーンらしい独特の歯触りに優しい甘さ。思い出の味と言うわけではないのに、スコーンを食べると、なぜか幼少期を思い出す。そういう甘さ――と言うか、優しさが詰まっている。
 僕は、目の前を通った青いトラックを見送りながら、コーヒーを飲んだ。いつもは気にしないトラックのデザインの、ドアの窓の上の隅の、角のとれた端っこが妙にかっこいいと思った。
 爽やかなヒーロー色のブルー。見えなくなるまで見送ってから、名残惜しくも最後の一口を口に含んで舌の上で転がして、コーヒーにさよならを告げた。
 そうして僕はスーパーの前を、風と共に抜けていった。
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