バラの精と花の姫

緒方宗谷

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良いことも悪いことも、いつか自分に帰ってくる

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 姫は、なぜ岩地で何百年も生きていられたのか訊きました。バラは首をかしげます。分からないわけではありません。昔は、毎日誰と会うこともなく、喋ることもなく、ただ同じ景色を見ていることが、とても苦痛でした。
 果ての岩地に追いやられた当初、イジメから解放されたバラは、少しほっとしていました。あんなにつらい思いをしながら過ごすのであれば、1人ここで過ごしていた方が良い、と考えたからです。
 初めの内は快適でした。周りは石ばかりです。石はバラのトゲよりも固いので、気を遣わなくても傷つくことはありません。精も宿っていないから、悪口も言われません。小さく縮こまっていなくても、誰にも迷惑をかけることはありませんでした。
 ですが、バラは本当に幸せになれたのでしょうか。1人になってから何年も過ぎましたが、1度も笑うことはありませんでした。1人になったことで、イジメられる苦痛から解放されましたが、幸福ではありませんでした。大の字で寝っころがれるのにです。
 以前は、色々とやりたいことがありましたが、みんなに睨まれてしまうので、することが出来ませんでした。
 春に生る山菜を食べたり、夏に生る果実を食べたり、秋になる茸を食べたりしたい、と思っていました。木に登って遊んだり、川で泳いで遊んだりしたい、と思っていました。みんながしているように、楽しく過ごしたいと思っていたのです。
 お勉強をしたり運動をしたりして、妖精に成長したいとも思っていました。いつかは、神話に出てくる格好いい精霊のように成長して、自分も神なりたい、と夢見ていました。
 今は、何もすることがありません。今までやりたいと思っていたことは、しても意味がありません。石しかありませんし、1人なのですから。
 退屈で仕方ありません。バラは退屈から逃れるために、毎日寝て過ごしました。寝ている間は、退屈ではなかったからです。ですが、目が覚めると、同じ時間が繰り返されるだけです。
 たった1人でいるということは、真綿で首を絞めるように、少しずつバラの心をむしばんでいきました。段々と憂鬱になり、心が沈んでいきます。こんなはずではありませんでした。なぜこのようになってしまったのでしょう。自由になれた、と思ったはずなのに。自由すぎるせいか、とても不自由です。結局森にいた時のように、ただじっと坐っていることしかできません。
 ただ座っているだけなのに心拍数は上がり、苦しくなります。胸が締め付けられるようになりました。風邪もひいていないのに吐きそうです。これでは、森の中にいた時と変わりません。ただ1人でいるということは、とても辛いことなのでした。起きている間は、ずっと泣いて過ごしました。
 人間でいえば、まだ3歳にもなっていないバラでしたから、本来なら、お母さんに抱かれていてもおかしくない齢です。それが独りぼっちでいるのですから、当然のことです。
 ある時、バラは気づきました。今まで気にも留めなかった石ころも、色々な形がある、と。丸いもの、平べったいもの、楕円なもの、四角っぽい物や三角っぽいもの。色々です。
 死んだような目でそれを眺めていたとき、ふと、その1つを手に取りました。ちょっとぽっちゃりした円筒形で、中央がくびれています。バラは、なぜかそれが好きになりました。本人は気が付きませんでしたが、アケビの形に似ていました。
 それからというもの、毎日毎日石ころを積んで遊んだり、手のひらサイズの違う形の石を集めては、気に入る形の石を選びました。石と岩の違いを何十年も考え続けたこともありました。見た目の違い以外で、その差は発見できなかったけれど、そう思えた瞬間、興味が薄れて消えました。
 それから、姫とお会いするまでの2百年程度、バラは1度も幸福に感じることはありませんでしたが、苦痛を感じることも徐々になくなっていきました。1000歳を迎える頃には、独りでいることにも慣れ、目の前の石ころを眺めているだけでも、退屈しなくなりました。
 バラが当時を振り返ると、苦痛と空虚しかありません。ですから、姫に話したくありませんでした。
 「あなたを守っていた何かがあるはずよ」
 姫の言葉に、バラは急に思い出しました。アケビの精と竹の神のことをです。
 ここは、命のない果ての岩地。神様の姫ですら、足を踏み入れるのを躊躇する地です。現に、沢山の水と食料を用意しても不安が残ります。あまり奥に行き過ぎると、迷子になって出られなくなるかもしれません。水と食料が尽きれば、神といえども死んでしまいます。
 それなのに、弱々しいバラは、なぜ300年近くも生きてこられたのでしょうか。普通に考えれば、30年と経たずに枯れてしまうでしょう。姫が来たときには既に干からびて砂と化し、風に飛ばされて痕跡すら残っていなくてもおかしくありません。
 果ての岩地にやってきた時、バラの袖の袋の中には、食べ残した苦いアケビと竹の神がくれた塩漬けの筍がありました。その胸には、両手で大事に抱えた竹のコップがありました。
 バラが住処にしていた大きな石の陰にやってきた時、真っ先にしたことは、竹のコップの内側に滲み出た水を飲むことでした。ここを見つけた時、既にシオシオでしたから、全身の細胞に滲みわたる様です。まさに生き返る気分でした。
 バラは全く覚えていませんでしたが、この水を飲んだ時、心の奥底で生きる喜びを感じていました。このコップは、根と繋がった竹の切り口と違い、溢れ出るほど水をたたえることはありませんでしたが、バラが枯れてしまわない程度の水は常に滲み出てきます。
 元気を出したバラは、袖の袋の中から沢山のカメを出しました。茶色く色を塗られたカメの中には、塩漬けの筍が入っています。自分が植わるそばに沢山穴を掘って、全てのカメを埋めました。地面は石に覆われていたのでとても固く、全部埋め終わるのに何十年もかかりました。
 仕事があるということは素晴らしいことでした。バラは毎日毎日飽きもせず働き続けました。自分が生きるために、本当に必要な仕事、楽しいと思える仕事をするのは、とても心が弾む気分です。
 遠い昔、甘い実をつける木々に、「あなたはそこに立って見ていなさい」と言われて、みんなが美味しそうに実を食べている様子を見ていたことがありました。人から言われた不必要な仕事をするのは、とてもつまらないことでした。結局何も得る物は無く、立って見ている仕事は終わりました。
 カメを埋める仕事はとても大変で、ただ立っているだけの仕事は、とても楽ちんでした。それなのに、カメを埋める仕事に対しては、沢山の力が溢れてきましたし、強くなる訓練になったので、少し神気が増しました。
 松の精霊から、根の上にあった石を除けるように言われて、除けたこともあります。松は言いました。
 「根っこの上に石があると、私達は苦しくなるだろう? この石さえなければ、みんな幸せなんだ。
  この石を退ければ、君も幸せになれるんだよ」
 バラは、信じて石を掘り起こして除けましたが、幸せにはなりませんでした。この石があるせいで不愉快に思っていたのは、この松の精霊だけだったのです。みんなという言葉に騙されて、松の精霊の負担を背負ってしまったのです。ですから、何も得る物はありませんでした。
 カメを埋める仕事は違いました。本当に必要なことに対しては、とても辛いことだったけれど、やってよかった、と思えます。今振り返ると良い思い出です。同じ仕事なのに随分と違います。
 植物は根っこから栄養を吸い上げ、枯葉を落として、栄養を土に返します。自然の摂理ですが、この地には通じません。大地は乾ききっており、水も栄養もバラには与えてくれませんでした。
 ですからバラは、筍を食べて栄養を補充していました。大急ぎで付け込まれたために、竹の葉が多く混じっていました。長い年月をかけて塩の中で溶け、筍に風味をつけています。普通は食べるものではありませんが、これがとても良い効果を発揮しました。
 太陽の光は光合成に必要なものでしたが、とても強すぎるので、葉やツルが傷んでしまいます。光は白く見えますが、その中には沢山の色が混ざっていて、体に合わないものもありました。竹の青い色が、その合わない光からバラの体を守ってくれていたのです。
 死の臭いすら乾いて果ててしまったような地で、バラはひもじい思いをしませんでした。毎日食べる物は同じでしたが、何十年かに1度一口齧る苦いアケビの味が、筍に飽きた舌を口直ししてくれたからです。
 「あなたは、知らず知らずの内に誰かに愛されていたのかもしれませんね。
  なんせ、わたしですら長いことここにいれば死んでしまうのに、あなたときたらとても瑞々しい肌をしていますもの。
  汚れてはいますが、あなたの肌は卵色の瑪瑙のようにとても澄んでいて、女の子みたい」
 姫は、バラの服を脱がして、桶の水で全身を洗ってやりながら言いました。綿でできた真っ白なバスタオルを使って、バラの体を丁寧に拭っていきます。ちっちゃなおしるしを見て、可愛い弟ができた気分。今日からお姉ちゃんです。
 フワフワ柔らかくて気持ちいいタオルで拭いてもらったバラは、姫のシャツを着せてもらいました。袖が長すぎて、バラの腕には合いません。スカート状になっていましたから、裾も地面を引きずってしまいます。ですが、さすがは姫のお召し物、大変軽くて肌と溶け合ってしまったかのようです。
 着せてもらった瞬間、バラはテントを飛び出し、走って行ってしまいました。姫はバラを呼んで追いかけます。
 自分が植わっていたところまで戻ったバラは、一生懸命に石ころを掘りました。そして、掘り起こしたカメと布に包まれたアケビを姫に見せました。
 「バラちゃん、あなたは1人ではなかったのね」
 もし、あの時、お友達になってください、と2人に言っていたらどうなっていたでしょう。今となっては分かりませんが、少なくとも、今とは全く違った世界が、バラの周りに広がっていたことでしょう。
 全てのカメを掘り起こして持って帰るように、爺やが言いました。兵士達が作業に取り掛かろうとしたとき、バラが小さな声でつぶやきました。
 「このままが良い。また誰かが追い出されてきた時、悲しみながら死なないように。
  いつかお友達ができるかもしれないから」
 掘り起こしたカメとアケビを埋めなおしたバラが立ち上がると、姫はそっと手を握りました。
 バラは、アケビの精と竹の神に良い事をしました。それが、長い年月をかけて、必要な時にバラの力になってくれました。今バラがした良い事も、いつの日か誰かの役に立つ時が来るかもしれません。そして、それに感謝した誰かが、何かの形で誰かに伝えます。それが巡り巡って、何かの形でバラに帰ってくるのです。
 姫は気付いていました。そうやって、バラのお友達は増えていくのだと。
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