バラの精と花の姫

緒方宗谷

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たった1人でも世界を変えようと思えば、1人分世界は変わる

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 野営のテントで、姫とバラは2人きり。さっきまで侍女が、姫の手のひらに刺さったとげを抜いて、薬を塗って、包帯を巻いていました。
 姫がバラの精の手を引いて、石の裏から出てきたとき、爺やも兵士達も大騒ぎ。爺やは何かをまくしたて、兵士達は槍を構えて、バラを取り囲みました。
 姫が嘘をついたのだと思ったバラは逃げ出そうとしましたが、姫は手を離しません。その時の引っ張り合いが原因で、姫の肉の中までトゲが達して、折れたものが何本も残っていたのです。
 兵士達を遠ざけ、また時間をかけてバラをなだめた姫は、翌日になってようやくテントに入ることが出来ました。侍女達が桶に水を用意してくれたので、姫は楽しそうに足をつけて、ちゃぷちゃぷしています。
 とても喉が渇いていたから、すぐに水が減っていきます。継ぎ足し継ぎ足し、侍女は行ったり来たり、大忙し。姫が、どれだけバラの精のために親身になったかうかがえます。
 バラは、端っこの方で体育座りをしていました。とても喉が渇いているはずですが、水の傍には寄ってきません。姫が何度呼んでも、水を飲みに来ません。
 口から水を飲むこともできますが、本性は植物なので、肌からも水を飲むことが出来ます。渇いた喉を一緒に潤したい、と思った姫は、傍までよってバラを立たせ、木の長椅子に並んで座って、桶に足を入れました。
 ちゃぷちゃぷ、ちゃぷちゃぷ、楽しそうです。何日も松の神の神気に包まれていた水ですから、とてもよい香りがしました。冷たくて美味しい水です。
 生まれて初めて、安らかな時間を過ごしています。ですが、このような気持ちは初めてでしたから、不安で仕方がありません。バラの精は、勇気を出して姫に訊きました。
 「姫様は、どうして僕を助けてくれたのですか? 僕はどうしてよいか分からないのです。   
  生まれてから今まで、僕は、毎日悪口を言われてきました。僕は辛くて辛くて、堪りません。
  手を繋いでくれている姫を見ると、色鮮やかに輝いていています。姫の血は蜜となって、とても甘くて幸せになります。
  ですが、周りを見ると、花も草も木も、みんなが僕を睨んできます。姫しか僕にやさしくしてくれないと思うと、僕は花の里が怖くてたまりません」
 姫は、にっこり笑って言いました。
 「なぜ、わたししかいないと思うの? わたしがいたのよ。お友達は1人もいないと思っていた花の里に、1人いたのですよ。
  たった1人かもしれないけれど、わたし1人分、あなたの周りに光がさしたのよ。
  それに、わたし1人いたのだから、2人いないとは限らないでしょう。たった1人でも、1人分あなたの世界は変わったのですよ。
  悪いことをすれば、1人分世界は悪くなるし、良いことをすれば、1人分世界は良くなるの。
  わたしは、あなたに良くしてあげようと思ったの。そうしたら、わたし1人分あなたの世界は良くなったわ。
  バラちゃんも、人に良くしてあげなさい。そうすれば、あなた1人分、その方は良い方向に変わるのよ。
  そうやって、みんなはお友達になっていくの」
 そんな話、バラは信じられません。いつだってみんなは自分をイジメてきました。死んでしまいたいと思ったほどです。自分は花の精なのに花は咲かないし、ツルも中途半端で、草なのか木なのか分かりません。だから、自分は嫌われているのだと言いました。
 確かにそうなのかもしれません。ですが、そうではありません。バラは誰かと友達になることを途中で諦めてしまったのです。だから、一人ぼっちのままだったのです。いつしか、みんなの言うように、花の精なのに花が咲かないから友達になれない、と思うようになったから、それを理由に友達を作らなくなったのです。
 「バラちゃん、思い出して。あなたが種を蒔いてあげたアケビの精は、あなたに意地悪をした? 竹の神は、あなたに意地悪をした?」
 バラは首を横に振りました。もし、あの後アケビの元に戻ったのなら、お友達になれたかもしれません。もしあの後竹の元に戻ったのなら、お友達になれたかもしれません。特に竹の神は、周りに畏れられていて、1人で寂しがっていましたから。
 「みんなが、行っちゃいけないって言うんです」
 いじめっ子は、イジメられている子が良い思いをするのを快く思いません。ですから、遠くからそう言って、何かをしようとする心を挫こうとするのです。
 自分とお友達になってくれる精達がいたなんて、とても信じられません。もはや、アケビや竹の優しさを思い出すことが出来ないほどです。
 アケビは、実が苦いから食べられない、と気遣ってくれました。甘い実をあげられなくて申し訳なく思っていたし、種も蒔かなくて良い、と言ってくれました。
 竹は、筍狩りで泥だらけになったバラの為に自らの一部である竹を切って、水を注いで水浴びさせてくれました。服も洗えるほどに水を集めてくれたのです。筍を茹でてくれましたし、食べきれない分は塩漬けにして持たせてくれました。
 バラは少し思い出せそうでしたが、自らその思い出にフタをしてしまい、思い出しません。本人も気づかぬうちにです。
 姫のところに飛んできたタンポポの種が、果ての岩地に追いやられたバラを助けてほしい、と陳情した話しを姫はしてあげました。
 バラを森から追い出した精達が言うような悪いことを、バラは何もしていないという内容です。タンポポはどこにでも咲いていましたし、種も空を飛んでいるので、色々なことを見ていたのでした。
 そのおかげで、姫はバラのことを知ることができたのです。そして、タンポポの精が言っていることが本当なのか、バラの住んでいた森を見に行きました。バラがした悪さの痕跡があるか、方々を見てまわるためです。
 バラを悪く言う精達の話を聞き、本人達の話も聞きました。そして、タンポポの精が言ったことが正しい、と思うようになりました。姫がそう思ったことで、多くの精が姫の考えに従いました。みんながバラをイジメるので、イジメる理由はないのに、自分達もバラをイジメていただけなのです。一部の者達を除いて、本当はみんなもバラをイジメたくなかったので、姫の方にたなびいたのです。
 もし、周りがみんないじめっ子でも、自分がいじめっ子に加わらずに、神様に言えば、自分1人分、誰かが幸せになるのかな、とバラは少し思いました。
 姫はバラを優しく撫でながら、「みんなが間違っていると思った時、自分1人だけ正しいと思うことをするのは、大変だけど大事なことね」と言いました。  
 姫の言葉が心にしみて、バラは少し勇気を持ちました。
 「タンポポさん、僕を助けてくれて、ありがとう」
 バラは気持ちを込めて、お礼を言いました。そのタンポポの精が、どこで花を咲かせているか分かりませんが、彼の気持ちはタンポポに伝わりました。



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