バラの精と花の姫

緒方宗谷

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プロローグ

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 遠い遠い昔。本当に遥か遠い昔の昔。世界には何もありませんでした。
 真ん丸が黒くトロッとした油のような液体があるだけで、他には何もありません。その真ん丸は、どこまで行っても大きくて、どこまで行っても小さかったので、このお話を聞いている人間には、見ることができません。そう、この世界は無限大であり無限小でした。
 光も闇も有りませんから、明るくも暗くもなしいし、少し明るくも少し暗くも有りません。黒と表現しましたが、人間が認識出来る色で黒と表現したのであって、実際は黒いのかも分かりません。
 有限の物は何一つありません。私たち人間も存在していません。地上もなく、海もなく、空も雲もありませんでした。地球もなく、月もなく、太陽すらありませんでした。
 音もありません。自分という存在もないし、他人という存在もありませんから、お話しするということもありません。どこまで中心に向かっても、どこまで外に向かっても、静寂しか無い世界でした。
 何万年?何十万年?何百万年?人知の及ばない、とてつもなく長い時間でしたから、いったいどれだけの年月が過ぎたか分かりません。ですがある時、限りない永遠の中心の更に中心で、変化が起こりました。
 延々と光を放つ油のようなものと、延々と闇を放つ油のようなものとに分かれたのです。それは、途方もない年月をかけて、徐々に外側に向かって広がっていきました。
 その過程で、無色透明の水のようなものが現れました。光と闇の油のようなものから、水が分離したように見えました。ちょうど、水槽の中に絵具のついた筆を入れたかのように、白と黒がダンスを踊っています。
 いつしかそこに、淀んだところと澄んだところが生まれました。淀んだところでは、光と闇が混じり合った状態で、徐々に粘度を増していき、ついには塊に成りました。澄んでいたところは、混じり合うことなく、それぞれ塊に重なって、三層構造になりました。
 そして、その塊が塊として定着すると、ようやく人の目にも映すことができる存在に成りました。それに対して、光と闇は、その塊を構成する重要な要素であったにもかかわらず、目には見えません。ただ、その塊から発せられる光と闇に似たものは、見ることができました。
 その塊ができる時、耳が潰れるような爆音が響き渡りました。大きな大きな光の塊であったこともありましたし、大きな大きな闇の塊であったこともありました。大きな大きなマグマの塊であったこともあり、他にも水の塊であったり、氷の塊であったり、土や砂の塊であったこともあります。
 塊が塊を成す過程で、無限に考えることがなかった世界と、無限に考えていた世界が、淀みの中で有限となり、思考が生まれました。考える光が生まれ、考える闇が生まれ、考えるマグマが生まれ、考える水が生まれ、考える稲妻や考える音、考える土や砂が生まれました。私たちの良く知る星が誕生したのです。
 悠久の歳月をかけて、色々な考える何かが誕生しました。人間の暮らす現代では、もう知る術のない太古の生き物達です。
 この時、同時に生と死が生まれました。結果として、その一部は化石として、地中や海中で見つかることがありますが、そのほとんどは体も魂も滅びてしまって、どのような生き物であったか分かりません。無限であった存在から有限に変わったので、死が生まれたのです。
 沢山生まれた命が、それぞれ考えるようになり、自分の生と死を理解するようになると、争いが生まれました。それは、今、人の世界と呼ばれている地上でも、光の世界といわれている天でも、闇の世界といわれている魔でも同じです。
 3つの世界は重なり合って1つの世界でしたから、互いに影響し合いました。
 地上の覇者が植物であった時、天の最高神はシダの神でした。海底の覇者がサメのような生き物であったとき、魔界の悪魔王はサメの悪魔でした。地上と海底の覇者が、どちらも恐竜であったとき、天界の最高神は龍神で、魔界をもその支配下に置いていました。
 今、最高神も悪魔王も人の形をしているのは、私たちのいる世界が人間界と呼ばれている通り、人が覇を唱えているからです。魔を統べる悪魔王は蠅の悪魔でしたが、天を統べる最高神は人の神様です。ただ、最初に、人が人の形となったのか、神の形が最初にあって、人が神の形に似たのか分かりません。その両方かもしれませんし、交互に似ていって、今同じ形をしているのかもしれません。
 この物語は、私達人間が住む地球の天界と、その天界の真ん中あたりにある花の主神が統べる花の里の、更に隅っこから始まる物語。
 私達の形のない心の部分が、何故愛を欲するのか、なぜ美しい物を愛するのかを知るための物語です。
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