バラの神と魔界の皇子

緒方宗谷

文字の大きさ
上 下
32 / 33

31 悪魔に魂を奪われても諦めないで、いつか必ず取り戻せるから

しおりを挟む
 積乱雲の中ではぐれたスズとハルは、運よく死なずに、バラと姫が落ちたのと同じ時代の同じ国に落ちてきました。
 辺りをキョロキョロ見渡して、状況を飲み込めないよ様子のスズが叫びます。
 「ここはどこ! ハルちゃん!?」
 「分からないわ。花の里では無いようだけれど・・・」
 「本当、戦争が嘘みたい。バラ様はここにいるのかしら」
 しばらく辺りを探し回った2人は、ようやくバラを見つけて、神気を感じる方向に飛んで行きます。
 もはや神気の一滴も残っていないと察したバラは、声も出せず絶望に打ちひしがれていました。姫のドレスの胸元を握りしめて、絶望のどん底から這い上がったバラは、追い腹を切る覚悟を決めました。
 その時不意に、姫がバラの心に触れた様な気がしました。バラは、顔を歪めてさらに泣きました。姫は後を追うことを望んでいない、と察したのです。
 ですが、バラは、その意に従いたくありませんでした。自らの胸に手を突きたて、心臓を握りつぶし、己の魂魄を取り出したのです。
 ザクロ石で作られたようなローズヒップの勾玉をかみ砕いて、嚙み酒を醸したバラは、姫に口づけをして奉献しました。
 なんとしてでも姫だけは生かす。バラの決意は変わりません。姫は自らの命と引き換えにバラを生かそうとしました。それに応えるためには、バラも自らの命と引き換えに姫を生かさなければなりません。どうしても、バラは、姫への気持ちを示したかったのです。 
 バラの体は、急速に飛散を始めました。砕け散った姫の魂魄を繋ぎとめようと、薔薇酒が姫に滲み入っていきます。しかし、自らの生命全てを醸した甘く芳醇な香りの神酒ですら、姫の生命を維持しきれません。
 走馬灯のように巡る姫との思い出がバラに力を与えました。追懐する姫は、どんな困難に道を阻まれようと、いつ何時も諦めたことはありません。
 バラは、ずっとその姿を見てきたではありませんか。まだ何か手はあるはずです。なんせ、まだバラも姫も、体はこの世に留まっているのですから。
 差し伸べた手の指先1cm先に幸せがあるにもかかわらず諦めてしまったのでは、後悔してもし切れません。諦めてしまっては、その1cmも万里先と変わらないのです。
 多くの人々は、その1cmを万里先と思い込んでいるから、成功を手にすることが出来ません。ですが、姫は、望むものを全て手に入れてきました。そして、バラも手に入れてきたのです。
 2人の歴史を余すことなく思い出したバラにとって、人生の最後に最も大切なものを諦める、という選択肢はありません。
 不意にバラは振り返りました。その道には誰もいません。ですが、バラは向こうの十字路を見つめ続けていました。
 バラは何かを確信していました。そして確信は現実のものとなります。見つめていた十字路から2人の女性が出てきました。目を凝らしてよく見ると、2人共妊娠しているようです。息を飲みました。間違いなく妊婦なのです。
 バラは、姫を妊婦のお腹に宿らせて、人の器を用いて転生させることを思いつきました。1人は向こうに曲がってしまいましたが、1人はこちらにやってきます。バラ達の姿は見えていないようです。
 バラは、全身を使って重くて上がらない腕を振るい、そばを通るこの女性に狙いを定めて、姫をその子宮に封じました。
 バラは、歩いて行く人の女性の背を見送りながら、受け身も取れずに、頭からアスファルトにとっぷします。瞬きもせず見つめ続けていましたが、ついに力尽きて、目を閉じました。
 「ああ、僕の愛する花の姫。
  この戦乱の恐ろしい記憶は、あの優しき女性が貴女の母親となって、何もかも洗い流してくれるでしょう。
  僕はここで力尽きます。
  1人死にゆくのはとても悲しい事ですが、それ以上の喜びが満ちていますから、心配しないでください。
  一つ心残りがあるとすれば、御身から僕の記憶がなくなる事です。
  それでもなお、僕はさびしくありません。
  記憶が消え失せ、僕達2人の過ごした日々が神話の彼方に葬り去られようとも、僕達が愛し合った歴史は、まぎれもない事実なのですから。
  あの母親には、我々とは違う体があります。あれが肉体という物なのでしょうか。もしそうならば、ここは伝説に聞く人間界なのでしょう。
  ならば魔界の皇子とて、もはや姫には干渉できますまい。僕は、心安らかに逝くことができます。
  どうかお許しください、貴女1人を残して先に旅立つ事を」  
 ついに、スズとハルが駆けつけて来ました。そばに舞い降りるや否や、神気をバラに注きます。ですが、力が小さすぎて、全く効果がありません。そもそも魂魄自体が砕けて半分以上無いのですから、バラはもはや注がれる神気を受け入れることも出来ません。
 スズが、瞳を潤ませて言いました。
 「どうしよう、バラ様が死んじゃうわ!!
  ハルちゃん、ぼうっとしていないで、貴女も神気を分けてちょうだい!!」
 途中で神気を注ぐのをやめて、後ろを見つめていたハルに、スズが叫びます。
 急にハルは思いつきました。そして振り返って大声で言いました。
 「そうだ、あの人のお腹に赤ちゃんができているわ。 
  感じてみて、あの赤ちゃんの神気を」
 「姫様!?」
 「そうよ、もしかしたらバラ様は、姫様をあの方のお腹に転生させたんじゃないかしら? なら、同じことだってできるはず、バラ様を姫様のお腹に転生させたらどうかしら?」
 突拍子もない発案に、スズはビックリして言いました。
 「そんな事できるはずないでしょう!? わたし達に、そんな力ないわ。
  それに、赤ちゃんに赤ちゃんを宿すなんて!!」
 「だから良いのよ、まだ魂は宿っていないから、あの赤ちゃんを憑代にして、バラ様を生んでもらいましょうよ」
 ようやく、ハルの言わんとしている事が分かりました。内容が内容だけに、スズは答えられません。
 もしうまくいけば、人間に転生した姫が10か月後に生まれます。そして、成人した姫が、誰か愛する人と結婚して子供を生んでくれれば、お腹に宿したバラが姫の子として生まれてくるのです。
 スズは悩みました。
 「確かにバラ様は、自分の命を使って、姫様をあの人のお腹に転生させみたいだから、今の姫にはバラ様の魂が混じっているわ。
  それなら・・・、相性は良いかも…。それに・・・」
 それ以上スズは言いません。ハルも言いませんでした。
 失敗したとしても、姫とバラは魂魄が繋がっていますので、もしかしたら一つに融合するかもしれません。姫としてもバラとしても存在しなくなってしまいますが、バラが完全なる死を免れる可能性は、他の誰のお腹に転生させるより高いはずです。
 「・・・でもわたし達の力で、そんな大きな事出来ないわ」スズが頭を横に振りました。
 「大丈夫よ、この天魔戦争で、わたし達とても成長したはずよ。
  もしかしたら、妖精にだって昇華しそうなほどなのかもなのよ」
 「それもそうだけれど、妖精って、妖精よ? 精霊でも神でもないんだから、神気全部使ったって出来ないかもしれないわ」
 スズの言葉を聞いて、もしかしたら神気を使い果たして自分達も死んでしまう、とハルは思いました。
 ですが、不意に躊躇の色を見せたハルにスズが言います。
 「そうね、良いわ、やってみましょう。 
  このままじゃ、バラ様が死んでしまうのは確実だもの。
  わたし達、今までバラ様には散々お世話になったのよ。
  今ここで何もせずにバラ様を見送ったら、一番の眷属ミツスイのスズの名折れだわ」
 「何言っているの? 一番の眷属はわたしよ? スズちゃんは2ばーん」 
 今は争っている場合ではありません。弱りゆくバラの神気に気が付いた2人は、意を決しました。
 決してなお、不安を滲ませる瞳で、ハルがスズを見つめます。
 「スズちゃん、もし失敗して、バラ様が死んだらどうしよう」
 「バラ様は怒ったりしないわ、だって、わたし達のバラ様だもの。
  それに何もしなければ、このまま死んでしまうのよ。
 どうせ死ぬなら、やれることをやってもらってから死んだ方が、後悔はないはずでしょ? しない方が怒られちゃうわ。
  やった後悔よりも、やらなかったときの後悔の方が大きいって言うじゃない?」
 スズは、深呼吸をして話を続けました。
 「それにね、わたし達何もしなかったら、生まれ変わった姫様に怒られちゃうわ。
  ハルちゃん、もし力尽きて死んでも、わたし達来世でお友達になりましょうね」
 「もちろんよ、スズちゃん」
 2人は意識を集中して、バラの背中においた掌に神気を集めて、2人分を1つにこね合わせました。魂そのものも使って神気をバラに注いでいますので、もしかしたら、2人共消滅してしまうかもしれない危険がありました。
 見る見るうちに、バラの体が光の玉になって、2人の掌を覆います。
 「いくわよ、ハルちゃん」スズが微かな笑みを浮かべて、ハルを見やります。
 「良いわよ、スズちゃん」ハルも微かな笑顔で、スズを見ます。
 いっせいのせで、離れて行く妊婦さんの背中めがけて、バラを飛ばします。光の玉は、妊婦さんに当って吸い込まれました。更に、お腹に宿った姫の中に宿ったようです。
 何とか転生の成功を見届けた2人は、グッタリしながら、姫とバラを宿した女性を見送りました。
 姫とバラの2人には、必ず守らなければならない、何にも代えがたい大切なものがありました。それは、お互いが注ぎ合う愛です。イバラで城を閉ざしあの日に誓った、永遠の愛です。
 神の力も、贅を尽くした生活も、何もかもいりません。お互いの為ならば、自らの命だってなげうって尽くす事が出来るのです。そして、2人は正にそうしました。
 それでも2人の力は不完全でした。その足りない部分を補ったのは、殆ど一心同体にまで友愛を育んだスズとハルです。種の違う姫と愛し合い、種の違う子供達を育ててきたバラと姫の2人は、スズとハルという博愛も育てていたのです。
 バラが精から妖精に昇華した時を思い出してください。生れて始めていだいた愛情が、初めて姫以外に向いたのです。バラが見せた博愛の片鱗でした。その愛が結晶化して、今ここに実を結んだのです。
 今はもう、お互いの存在を感じる事が出来ません。ですが信じられたのです。バラと姫は眠り続けました。人間に生まれ変り、またいつか出会うことを夢に見ながら。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

湖の民

影燈
児童書・童話
 沼無国(ぬまぬこ)の統治下にある、儺楼湖(なろこ)の里。  そこに暮らす令は寺子屋に通う12歳の男の子。  優しい先生や友だちに囲まれ、楽しい日々を送っていた。  だがそんなある日。  里に、伝染病が発生、里は封鎖されてしまい、母も病にかかってしまう。  母を助けるため、幻の薬草を探しにいく令だったが――

おねしょゆうれい

ケンタシノリ
児童書・童話
べんじょの中にいるゆうれいは、ぼうやをこわがらせておねしょをさせるのが大すきです。今日も、夜中にやってきたのは……。 ※この作品で使用する漢字は、小学2年生までに習う漢字を使用しています。

GREATEST BOONS+

丹斗大巴
児童書・童話
 幼なじみの2人がグレイテストブーンズ(偉大なる恩恵)を生み出しつつ、異世界の7つの秘密を解き明かしながらほのぼの旅をする物語。  異世界に飛ばされて、小学生の年齢まで退行してしまった幼なじみの銀河と美怜。とつじょ不思議な力に目覚め、Greatest Boons(グレイテストブーンズ:偉大なる恩恵)をもたらす新しい生き物たちBoons(ブーンズ)を生みだし、規格外のインベントリ&ものづくりスキルを使いこなす! ユニークスキルのおかげでサバイバルもトラブルもなんのその! クリエイト系の2人が旅する、ほのぼの異世界珍道中。  便利な「しおり」機能、「お気に入り登録」して頂くと、最新更新のお知らせが届いて便利です!

ヒミツのJC歌姫の新作お菓子実食レビュー

弓屋 晶都
児童書・童話
顔出しNGで動画投稿活動をしている中学一年生のアキとミモザ、 動画の再生回数がどんどん伸びる中、二人の正体を探る人物の影が……。 果たして二人は身バレしないで卒業できるのか……? 走って歌ってまた走る、元気はつらつ少女のアキと、 悩んだり立ち止まったりしながらも、健気に頑張るミモザの、 イマドキ中学生のドキドキネットライフ。 男子は、甘く優しい低音イケボの生徒会長や、 イケメン長身なのに女子力高めの苦労性な長髪書記に、 どこからどう見ても怪しいメガネの放送部長が出てきます。

台風ヤンマ

関谷俊博
児童書・童話
台風にのって新種のヤンマたちが水びたしの町にやってきた! ぼくらは旅をつづける。 戦闘集団を見失ってしまった長距離ランナーのように……。 あの日のリンドバーグのように……。

魔法使いの弟子カルナック

HAHAH-TeTu
児童書・童話
魔法使いの弟子カルナックの成長記録

【もふもふ手芸部】あみぐるみ作ってみる、だけのはずが勇者ってなんなの!?

釈 余白(しやく)
児童書・童話
 網浜ナオは勉強もスポーツも中の下で無難にこなす平凡な少年だ。今年はいよいよ最高学年になったのだが過去5年間で100点を取ったことも運動会で1等を取ったこともない。もちろん習字や美術で賞をもらったこともなかった。  しかしそんなナオでも一つだけ特技を持っていた。それは編み物、それもあみぐるみを作らせたらおそらく学校で一番、もちろん家庭科の先生よりもうまく作れることだった。友達がいないわけではないが、人に合わせるのが苦手なナオにとっては一人でできる趣味としてもいい気晴らしになっていた。  そんなナオがあみぐるみのメイキング動画を動画サイトへ投稿したり動画配信を始めたりしているうちに奇妙な場所へ迷い込んだ夢を見る。それは現実とは思えないが夢と言うには不思議な感覚で、沢山のぬいぐるみが暮らす『もふもふの国』という場所だった。  そのもふもふの国で、元同級生の丸川亜矢と出会いもふもふの国が滅亡の危機にあると聞かされる。実はその国の王女だと言う亜美の願いにより、もふもふの国を救うべく、ナオは立ち上がった。

猫のモモタ

緒方宗谷
児童書・童話
モモタの出会う動物たちのお話。 毎月15日の更新です。 長編『モモタとママと虹の架け橋』が一番下にあります。完結済みです。

処理中です...