26 / 33
25 己の恐怖に打ち勝つことが出来るのは、己だけである
しおりを挟む
姫が生まれた美しく壮麗な宮殿は、黒い瘡に見えるほど枯れた草が覆いかぶさって、見る影もありません。首都は廃墟と化し、誰1人として生存していませんでした。
姫は、母への愛慕の念を押さえきれずに言いました。
「ああ、殿下、みま麗しき我が母君よ。
わたしを残して死んでしまわれたのですね、あの忌まわしき蠅の皇子の手にかかって・・・」
眼下には、石の巨人が砕けて死んでいます。頭を隙間なく覆う苔も全て枯れて、薄茶色く変色していました。
「ああ、何ということでしょう。
オレック、あなたまで死んでしまうなんて・・・」
首都ベローナの南西にいた苔むした巨石の最後の姿です。いつも静かにしていたので、みんなは彼が精霊だと思っていました。しかし、魔界の皇子が花の里を侵略してきた時、天界に2つと無い美しい都ベローナを汚したのを見て、怒り高ぶった巨石の精霊は、本当の力を発揮しました。驚いたことに、彼は上位の神様だったのです。
魔界の皇子が率いるのは上位悪魔ばかりです。いかに花の軍勢が屈強だからといっても、もともと戦いの神や軍の神が少ない植物軍に勝ち目はありません。防衛線はすぐに瓦解してしまいました。花の主神は、避難してきた精霊や精達を助けて逃げるので精一杯です。
生き残った各砦の神々や精霊が各地で応戦しながら、後退してきました。撤退戦はとても分が悪いものです。特に殿は悲惨でした。その多くが枯れて果ててしまいましたが、それでも家族や友達のために闘い続けました。
ヴァンプレストと呼ばれる笠状の柄を持つ独特な形の円錐のランスを装備したヒメスズメバチの女悪魔の騎士隊の前に、後退する天軍を守る蜜蜂率いる虎丸と黒丸の騎士団は大苦戦です。
蜜蜂達が放つ投槍を避けもせず弾き返して突撃を繰り返し、次々と首を上げていきます。猛烈なスピードに乗って繰り出されるランスの突きに、プレートアーマーすら貫かれてしまうのでした。
天空に広がる微塵のくすみもない白き雲は、白金の光で里の地を照らしています。天界が花の里を見捨てていない証拠です。その光を登るように、巨大なピンク色の5枚の花弁を持つ花が昇天していきます。
長い矛先の様な鋭い花弁はとても濃いピンク色で、それぞれが独立した花のように咲く沢山の雄しべと雌しべが、中央を黄色く彩っています。その奥には、天界にも魔界にも人間界にもないほどの甘い蜜が満ち満ちていて、茎を流れる水分ですら蜜のごとき甘さです。何よりも薄く何よりも軽い産毛のようなものが生えていて、それすら綿あめの糸のようでした。その身に溜まる朝露さえも甘い水に変える力がありました。
薄く暖かな色合いの実は、桃のように柔らかく、柿のように甘く、メロンのように瑞々しく、イランイランよりも甘い香りを発しています。ユリに似た葉さえも絹のように柔らかな花弁の如き肌触り、そして、ジャスミンの様にすがすがしく香っています。
花からも茎からも葉からも果実からも溢れる芳香は、大変濃厚な神気であった為、淡いピンク色の光を放って花弁の下に溜まって、徐々に広がっていきました。その様は、あたかも広大な里の全てを覆うのではなかろうか、と思えるほどです。
花の主神を表すのに使われる例えは色々ありますが、その全ての例えを凌駕していました。
その香りは奇跡を起こし、主神が幼かった頃に編まれた神話が現実のものになるのだと、皆を安堵させました。傷つき命も尽きようとしていた者達でさえ全ての傷が回復し、恐怖から背信に及ぶ者や、心が病んでしまう者を癒し、精神の崩壊から救い出しました。この時死ぬのが天の定めであった者も、とても安らかに逝くことが出来ました。
天界で最も美しく、最も気高く、最も清らかで、最も愛に満ちた、花の主神ベローナ。孤高の花を見上げながら、ベローナを一途に愛し続けた巨石の神オレックは、その身が滅びてなお戦い続けました。
辺りには、強く握られたこぶしによって叩き潰された巨大なドラゴンや、邪悪な大蛇が散乱しています。踏み鳴らす大地は割れ、魔物を飲み込みます。勢いよくせりあがった地表の直撃を受け死に絶える者や、大地を伝わる地震の震動に全身を揺さぶられ、死ぬ者もいました。
その姿を観覧する魔王達の中心に、魔界の皇子があやしげな笑みを湛えていました。
「さすがは巨石オレック。これだけの悪魔を相手にして、臆することなく戦い続けることが出来るとは」
魔界の皇子がオレックに問いかけます。
「しかし、お前は何のために戦い続けているのか。
見よ、既にお前の愛する花の主神は、その身を引き裂かれて、蠅の子らが湧いているではないか」
オレックは、胸がつぶれる思いがしました。当たりは醜い紫色がかった瘴気が立ち込め、生きとし生ける者全てが、苦しみもがいています。ここに生は、色鮮やかさは、何もありません。死の腐臭しかありません。それ以外は微塵もありませんでした。
オレックは、愕然としました。
「花は! 全ての花は! 草はっ木は! 全て枯れてしまったのか!!」
彼にとって一番恐ろしいことは、花の主神が死んでしまうことでした。そのような考えを払拭しようと必死に頭を振り忘れようとしますが、耳にこびり付いた魔界の皇子の言葉は脳裏を侵し、遂にオレックは、その偽りの言葉が真実であると拘泥するに至りました。魔界の皇子は、彼の恐怖に付け入って惑わし、強い信念をへし折ってしまったのです。
オレックには戦う力はまだありました。しかし、戦う気力は尽きていました。魔界の皇子が振り上げたこぶしに発せられた黒い雷を帯びた闇の塊が、だんだんと大きくなっていきます。振り下ろされた腕から発せられたその黒い塊は、大地と共にオレックの体を粉砕しました。戦っていた魔物たちと一緒に。
天空には、巨大な主神の花が天の光に包まれていて、揺らめきながら雲の中に消えていきます。花の主神は死んではいませんでした。オレックは、魔界の皇子に騙されたのです。
オレックの魂は、水に入れた白い墨汁のように広がりながら、光の粒子となって飛散していきます。既に死んでいましたが、ベローナへの強烈な思いが、いまだオレックを突き動かし、戦い続けていました。
魔界の皇子のオレックへの興味は、もはや尽きていました。花の主神にも逃げられてしまったし、放っておいても、この神は消えてなくなるからです。
姫は、母への愛慕の念を押さえきれずに言いました。
「ああ、殿下、みま麗しき我が母君よ。
わたしを残して死んでしまわれたのですね、あの忌まわしき蠅の皇子の手にかかって・・・」
眼下には、石の巨人が砕けて死んでいます。頭を隙間なく覆う苔も全て枯れて、薄茶色く変色していました。
「ああ、何ということでしょう。
オレック、あなたまで死んでしまうなんて・・・」
首都ベローナの南西にいた苔むした巨石の最後の姿です。いつも静かにしていたので、みんなは彼が精霊だと思っていました。しかし、魔界の皇子が花の里を侵略してきた時、天界に2つと無い美しい都ベローナを汚したのを見て、怒り高ぶった巨石の精霊は、本当の力を発揮しました。驚いたことに、彼は上位の神様だったのです。
魔界の皇子が率いるのは上位悪魔ばかりです。いかに花の軍勢が屈強だからといっても、もともと戦いの神や軍の神が少ない植物軍に勝ち目はありません。防衛線はすぐに瓦解してしまいました。花の主神は、避難してきた精霊や精達を助けて逃げるので精一杯です。
生き残った各砦の神々や精霊が各地で応戦しながら、後退してきました。撤退戦はとても分が悪いものです。特に殿は悲惨でした。その多くが枯れて果ててしまいましたが、それでも家族や友達のために闘い続けました。
ヴァンプレストと呼ばれる笠状の柄を持つ独特な形の円錐のランスを装備したヒメスズメバチの女悪魔の騎士隊の前に、後退する天軍を守る蜜蜂率いる虎丸と黒丸の騎士団は大苦戦です。
蜜蜂達が放つ投槍を避けもせず弾き返して突撃を繰り返し、次々と首を上げていきます。猛烈なスピードに乗って繰り出されるランスの突きに、プレートアーマーすら貫かれてしまうのでした。
天空に広がる微塵のくすみもない白き雲は、白金の光で里の地を照らしています。天界が花の里を見捨てていない証拠です。その光を登るように、巨大なピンク色の5枚の花弁を持つ花が昇天していきます。
長い矛先の様な鋭い花弁はとても濃いピンク色で、それぞれが独立した花のように咲く沢山の雄しべと雌しべが、中央を黄色く彩っています。その奥には、天界にも魔界にも人間界にもないほどの甘い蜜が満ち満ちていて、茎を流れる水分ですら蜜のごとき甘さです。何よりも薄く何よりも軽い産毛のようなものが生えていて、それすら綿あめの糸のようでした。その身に溜まる朝露さえも甘い水に変える力がありました。
薄く暖かな色合いの実は、桃のように柔らかく、柿のように甘く、メロンのように瑞々しく、イランイランよりも甘い香りを発しています。ユリに似た葉さえも絹のように柔らかな花弁の如き肌触り、そして、ジャスミンの様にすがすがしく香っています。
花からも茎からも葉からも果実からも溢れる芳香は、大変濃厚な神気であった為、淡いピンク色の光を放って花弁の下に溜まって、徐々に広がっていきました。その様は、あたかも広大な里の全てを覆うのではなかろうか、と思えるほどです。
花の主神を表すのに使われる例えは色々ありますが、その全ての例えを凌駕していました。
その香りは奇跡を起こし、主神が幼かった頃に編まれた神話が現実のものになるのだと、皆を安堵させました。傷つき命も尽きようとしていた者達でさえ全ての傷が回復し、恐怖から背信に及ぶ者や、心が病んでしまう者を癒し、精神の崩壊から救い出しました。この時死ぬのが天の定めであった者も、とても安らかに逝くことが出来ました。
天界で最も美しく、最も気高く、最も清らかで、最も愛に満ちた、花の主神ベローナ。孤高の花を見上げながら、ベローナを一途に愛し続けた巨石の神オレックは、その身が滅びてなお戦い続けました。
辺りには、強く握られたこぶしによって叩き潰された巨大なドラゴンや、邪悪な大蛇が散乱しています。踏み鳴らす大地は割れ、魔物を飲み込みます。勢いよくせりあがった地表の直撃を受け死に絶える者や、大地を伝わる地震の震動に全身を揺さぶられ、死ぬ者もいました。
その姿を観覧する魔王達の中心に、魔界の皇子があやしげな笑みを湛えていました。
「さすがは巨石オレック。これだけの悪魔を相手にして、臆することなく戦い続けることが出来るとは」
魔界の皇子がオレックに問いかけます。
「しかし、お前は何のために戦い続けているのか。
見よ、既にお前の愛する花の主神は、その身を引き裂かれて、蠅の子らが湧いているではないか」
オレックは、胸がつぶれる思いがしました。当たりは醜い紫色がかった瘴気が立ち込め、生きとし生ける者全てが、苦しみもがいています。ここに生は、色鮮やかさは、何もありません。死の腐臭しかありません。それ以外は微塵もありませんでした。
オレックは、愕然としました。
「花は! 全ての花は! 草はっ木は! 全て枯れてしまったのか!!」
彼にとって一番恐ろしいことは、花の主神が死んでしまうことでした。そのような考えを払拭しようと必死に頭を振り忘れようとしますが、耳にこびり付いた魔界の皇子の言葉は脳裏を侵し、遂にオレックは、その偽りの言葉が真実であると拘泥するに至りました。魔界の皇子は、彼の恐怖に付け入って惑わし、強い信念をへし折ってしまったのです。
オレックには戦う力はまだありました。しかし、戦う気力は尽きていました。魔界の皇子が振り上げたこぶしに発せられた黒い雷を帯びた闇の塊が、だんだんと大きくなっていきます。振り下ろされた腕から発せられたその黒い塊は、大地と共にオレックの体を粉砕しました。戦っていた魔物たちと一緒に。
天空には、巨大な主神の花が天の光に包まれていて、揺らめきながら雲の中に消えていきます。花の主神は死んではいませんでした。オレックは、魔界の皇子に騙されたのです。
オレックの魂は、水に入れた白い墨汁のように広がりながら、光の粒子となって飛散していきます。既に死んでいましたが、ベローナへの強烈な思いが、いまだオレックを突き動かし、戦い続けていました。
魔界の皇子のオレックへの興味は、もはや尽きていました。花の主神にも逃げられてしまったし、放っておいても、この神は消えてなくなるからです。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
児童絵本館のオオカミ
火隆丸
児童書・童話
閉鎖した児童絵本館に放置されたオオカミの着ぐるみが語る、数々の思い出。ボロボロの着ぐるみの中には、たくさんの人の想いが詰まっています。着ぐるみと人との間に生まれた、切なくも美しい物語です。
忠犬ハジッコ
SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。
「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。
※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、
今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。
お楽しみいただければうれしいです。

こちら第二編集部!
月芝
児童書・童話
かつては全国でも有数の生徒数を誇ったマンモス小学校も、
いまや少子化の波に押されて、かつての勢いはない。
生徒数も全盛期の三分の一にまで減ってしまった。
そんな小学校には、ふたつの校内新聞がある。
第一編集部が発行している「パンダ通信」
第二編集部が発行している「エリマキトカゲ通信」
片やカジュアルでおしゃれで今時のトレンドにも敏感にて、
主に女生徒たちから絶大な支持をえている。
片や手堅い紙面造りが仇となり、保護者らと一部のマニアには
熱烈に支持されているものの、もはや風前の灯……。
編集部の規模、人員、発行部数も人気も雲泥の差にて、このままでは廃刊もありうる。
この危機的状況を打破すべく、第二編集部は起死回生の企画を立ち上げた。
それは――
廃刊の危機を回避すべく、立ち上がった弱小第二編集部の面々。
これは企画を押しつけ……げふんげふん、もといまかされた女子部員たちが、
取材絡みでちょっと不思議なことを体験する物語である。
悪魔さまの言うとおり~わたし、執事になります⁉︎~
橘花やよい
児童書・童話
女子中学生・リリイが、入学することになったのは、お嬢さま学校。でもそこは「悪魔」の学校で、「執事として入学してちょうだい」……って、どういうことなの⁉待ち構えるのは、きれいでいじわるな悪魔たち!
友情と魔法と、胸キュンもありの学園ファンタジー。
第2回きずな児童書大賞参加作です。
【総集編】日本昔話 パロディ短編集
Grisly
児童書・童話
❤️⭐️お願いします。
今まで発表した
日本昔ばなしの短編集を、再放送致します。
朝ドラの総集編のような物です笑
読みやすくなっているので、
⭐️して、何度もお読み下さい。
読んだ方も、読んでない方も、
新しい発見があるはず!
是非お楽しみ下さい😄
⭐︎登録、コメント待ってます。
守護霊のお仕事なんて出来ません!
柚月しずく
児童書・童話
事故に遭ってしまった未蘭が目が覚めると……そこは死後の世界だった。
死後の世界には「死亡予定者リスト」が存在するらしい。未蘭はリストに名前がなく「不法侵入者」と責められてしまう。
そんな未蘭を救ってくれたのは、白いスーツを着た少年。柊だった。
助けてもらいホッとしていた未蘭だったが、ある選択を迫られる。
・守護霊代行の仕事を手伝うか。
・死亡手続きを進められるか。
究極の選択を迫られた未蘭。
守護霊代行の仕事を引き受けることに。
人には視えない存在「守護霊代行」の任務を、なんとかこなしていたが……。
「視えないはずなのに、どうして私のことがわかるの?」
話しかけてくる男の子が現れて――⁉︎
ちょっと不思議で、信じられないような。だけど心温まるお話。
灰色のねこっち
ひさよし はじめ
児童書・童話
痩せっぽちでボロボロで使い古された雑巾のような毛色の猫の名前は「ねこっち」
気が弱くて弱虫で、いつも餌に困っていたねこっちはある人と出会う。
そして一匹と一人の共同生活が始まった。
そんなねこっちのノラ時代から飼い猫時代、そして天に召されるまでの驚きとハラハラと涙のお話。
最後まで懸命に生きた、一匹の猫の命の軌跡。
※実話を猫視点から書いた童話風なお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる