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24 自暴自棄の悪魔 ~打ちひしがれて全てを投げ出したい時ほど大切にして~
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バラと姫の居城の敷地には、魑魅魍魎が跋扈していました。1の門、2の門の結界は破られて、おどろおどろしい姿をした魔物達が、まだ生きている精霊達を探しています。
城に逃げてきた精霊達を受け入れて、各地から敗走してきた兵士達を束ねて戦っていた屋久杉の精霊やモミの神々も死に絶えてしまいました。
隠れていた精や精霊達が、ティラノサウルスの悪魔の牙に引きちぎられたイバラの中から転げ落ちます。
それを見つけたティラノサウルスの悪魔が、喜びに湧きました。
「ぐは、ぐは、ぐふふふ、まだ生きた精霊がいたぞ」
見つかった精霊達は、生きたまま嚙み裂かれて食べられてしまいました。カラスの妖魔達が飛び回る中、ガストロディア・アグニセルスが生い茂る外庭を逃げ惑うスズとハルを連れて、裏庭まで連れてきてくれた沙羅の神の双子の女神達も、2人を茨の中に隠した直後に、寄生植物の悪魔に根を張られて、生気を吸われ死んでしまいました。
本来なら消滅するはずの体でしたが、強力な呪詛に縛られて、本性の木に戻る事も、消滅する事も叶いません。死体には幾万のヒアリが群がり、死肉をあさっています。
ついに、城の敷地にいた神や精霊は、全て滅ぼされてしまったのです。残っているのは、ミツスイの精と白ヘビの精、2匹だけでした。
スズはベッドの中に潜って、1日中大声で泣いています。外に響く足音や轟音、恐ろしげな雄叫びに身を震わせながら、死への恐怖に耐えられずにいました。
「ヤダよぉ、ヤダよぉ、バラ様! 死にたくないよぉ。
わたし死にませんよね? 死にませんよね?」
頼みの綱はバラのみです。バラが死ねば、きっと自分も死んでしまうでしょう。
朽ち果てたイバラを薙ぎ払って、気持ちの悪い悪魔が、お家に乱入してくるはずです。生きたまま食いちぎられるところを想像すると、卒倒してしまいそう。
「バラ様は、お強いもん。
えへへ、きっとわたしを救ってくださるわ。だってバラ様は、わたしの事を大事にしてくれるもん」
スズは、自分だけは死なない、自分だけは死なない、と言い聞かせる事で、なんとか死への恐怖と闘っていました。
ハルも同じく自分の部屋にこもっています。ハルは、椅子に座って窓の外を無表情で見上げていました。
お城の向こうに見える空は、雷雲に覆われています。周辺の草原は火の海と化していましたから、燃え盛る炎によって黒雲が赤く染まっていました。巻き起こった火災旋風が何本も天に向かって立っているのも見えます。
暴風が吹き荒む中、雪混じりの小雨が降っていました。天には、沢山のプテラノドンの悪魔が飛んでいます。太古の悪魔の生き残りです。
ハルは、もうわたしは死ぬのだと覚悟をしていました。ただ、苦しんで死にたくはありません。それだけを心配していました。イバラの外を見ると、裏庭には、とても濃い瘴気が充満していましたから、バラが死ねば、自分も一瞬の内に毒を吸い込んで死んでしまうでしょう。
苦しむのは一瞬だけです。ハルは、そう自分に言い聞かせながら、死への恐怖と闘っていました。
バラは本来、我の強い花です。何色にも染まらない深い真紅の花弁、幾重にも重なったそれは、醜さの侵入を許しません。透き通った瑞々しい甘く微睡む深みのある香りに包まれ、身に纏ったトゲは、その存在を孤高の覇者にしています。
皆さん見てください。萎れてもなお吸い込まれるような濃厚な赤、生き生きと咲き誇る花の中にあったとしても、誰もが息を飲む美しさです。高潔にして、潔癖の花。愛と永遠が花言葉、まさに姫の純潔を守るに相応しい花の騎士です。
しかし、1000年を超える長い闘いの中で、バラの神気は尽きかけていました。これ以上疲弊すれば、もはや魔界の皇子には傷1つつけることは困難となるでしょう。
バラは、渾身の力を振り絞って振り上げた両手の先に、鋭い剣を作り出しました。波打つようなギザギザの刃が切っ先まで続く、片刃の神剣です。
大きなトゲが連なり、一つ一つの犀利な刃先は薄い赤に色づき、峰の方は微かに青い光を放つ白銀、鍔は背の方に向けてギザギザの葉が数枚連なってできています。
ソードブレーカーの様な刃を構成する1枚1枚のトゲが波打ち、とても神々しく輝いていました。
それぞれのトゲが連結しているので、ムチのように撓ります。肉を切り裂くと同時に叩き潰す、尋常ではない破壊力を有するバラ渾身の剣でした。
持ち手もトゲでできていましたから、本人以外が握ることはできません。
まさか、本人もこの様な神々しい剣を生み出すことが出来るとは、思っていませんでした。その威力は、今まで使っていたイバラのムチや、刀やサーベルの比ではありません。天界広しといえども、稀にみる宝剣です。
構えると同時に、微動した刃から空気を伝播する神気の波が起こり、高位の魔族さえ消し飛ばしていきました。
慄然としたその様子に姫は驚愕し、バラを呼ぶ声すら発する事ができません。怒り狂ったバラを見るのは、初めてでした。
しかし、その神々しさとは裏腹に、伝わってくるのは絶望以外ありませんでした。邪神とか悪神とかという次元ではありません。もはや、邪悪神とでもいうべき存在に思えます。
自らの絶望を紛らわせるために、全てを絶望の渦へと陥れようとでもいうのでしょうか。その恐ろしさは、魔界の皇子に匹敵するかのようです。
バラは、頭上に掲げた身の丈ほどの大きな神剣を更に振りかざして、力いっぱい振り下ろします。大量のバラの花吹雪をまき散らして、真紅の炎と化した神気の花弁が、波打つ刃となって放たれようとしたその時です。
魔界の皇子は、ニンマリと毒々しく笑みを浮かべて、瞳にある沢山の黒目を全てバラに向けました。腰に帯剣していた2本のサーベルを抜きあげると同時に、バラの胸が斜め十字に裂け、大量の血飛沫がバラの花弁となって吹き出しました。
バラに与えた一撃の凄まじさを、さも当然であると言わんばかりに、魔界の皇子が言いました。
「ほう、なかなか良い眺めではないか、バラの神よ。
さすがは、花の里が誇る最強の神」
魔界の皇子はほくそ笑みます。
ダマスク・クラシックの香りを帯びた血しぶきを舐めとろうと、沢山の悪魔が群がってきました。
大きく仰け反るバラに向かって身を乗り出し、姫が大声で叫びます。
「バラ-!!!」
バラを見つけたその時から、全ての記憶が甦っていました。それと同時に神気も復活した姫は、城の窓から飛び出し、茨の結界を突き破って、弾丸のように飛翔します。
神気の波動が、魔界の皇子を突き抜けます。
「!!?」
神気の尽きた城から、突如とてつもなく高貴で強大な神気が出現しました。驚いた皇子が見やると、お目当ての花の姫ではありませんか。既にバラの力は弱まっていたので、姫の力でも結界を破る事ができたのです。
「殿下」
参謀のタランチュラの悪魔が皇子に声をかけた後に、配下に目配せをして、姫の捕縛に兵を差し向けます。同時に、花の里中に轟くほどの大きな声で、皇子が吼え猛りました。
「生け捕りにしろ!! かの麗しき花の姫は、俺が摘み取るべき絶世の美女なるぞ!!」
辺りには、姫の香りが広がり始めていました。その香りは、高価なお酒がもたらす酔いなど敵わぬほどです。その香りを我も我も、と吸い込む悪魔達は、一瞬にして姫に魅了され、その美貌や香りに酔いしれました。
あまりの香りのよさに、魔界の皇子は思わず声を漏らします。
「芳醇な汝の香りは、だった一輪で春の女神フローラが運ぶ花々の香りをも凌駕する」
魔界の皇子は、煌めく光の霞が如く広がる姫の芳香を胸いっぱいに吸い込み、幻をいだくかのような微睡んだ表情で恍惚に浸りました。
そして、現実に戻るかのように息を深く長く静かに吐きながら、おどろおどろしい笑みを満面に浮かべながら言いました。
「姫を謳う讃美歌の詩に違わぬその美しさ、正に至高の美、我が生き標本に加えるに相応しき、至上の女神」
これが、魔界の皇子が天魔戦争を引き起こした目的でした。天界一の美貌を誇ると讃えられる花の姫を娶ろうと、権謀術数を張り巡らせていたのです。
自分のお家で縮こまっていたスズとハルにも、姫の神気が伝わりました。懐かしい神気です。とても幼かった頃にこの城に満ち満ちていた、とても優しい麗しき神気です。
外を見ると、黄金色を帯びた7色の光の霧が、地を這うように広がっていき、黒い瘴気を中和していきます。
2人は、姫の存在に気が付くと同時に、死にゆくバラにも気が付きました。
真っ逆さまに落ちてくるバラを受け止めた姫は、群がってくる数千数万の悪魔達を弾き落としながら、城の上空を飛び回って、逃げ道を探しました。
バラの窮地を目の当たりにして、姫はとても取り乱しています。
「ああ、バラ、バラ、わたしの可愛いバラ」
姫は、青ざめた死にゆく運命のバラを抱き締め、頬をさすっては幾度もキスをして、癒しの神気を注ぎました。唇に頬に、瞼におでこに、幾度も幾度も口づけを繰り返して、すがる思いで蘇生を試みます。
「どうして貴方は1人で戦いに向かってしまったのですか。
願わくば、わたしも共に戦いたかった。
わたしは戦いの神ではないけれど、貴方の傷を癒し、慰め、祈ることは出来たのですから。
どんな困難が迫る時にも、どんなに病める時にも、わたし達2人で立ち向かおうではありませんか。
わたし達は、そう愛し合って来たではありませんか、2人で1人の存在ではありませんか」
姫は嘆き悲しみながら、唇で、頬で、指で、蒼白の顔を愛撫し続けた後、傷ついたその身をしっかりと抱きしめて、バラを連れて悪魔の包囲を掻い潜って脱出する決意を固めました。
眼下に聳える城を覆うイバラは枯れて死に絶えています。咲き誇っていた2人の子供たちは既に地に花を落として、全て息絶えていました。
「ああ、わたしの可愛い子供達、城と民草を守るために、果敢に戦ったのですね。
わたしだけが何も知らずに守られていたなんて!!
しかも何もかも忘れて、あの忌々しい魔界の皇子に心を蝕まれて、ウソ偽りなく一身に身を捧げてわたしを愛してくれるバラに恨みをいだいていたなんて!!」
取り返しのつかない事態に、表情を歪めて咽び泣きました。
魔界の皇子の声に、全身すくみ上る思いのスズとハルでしたが、広がってきた姫の神気にすがり、救いを求めて、泣き叫びながら、お家を飛び出しました。
微かな神気が姫に伝わります。
「ハル? スズ?」
裏庭から、アワアワと怯えながらふよふよ飛んでくる2人の精がいました。その後ろから、ホオジロザメの悪魔が大きな口を開けて突っ込んできます。
「きゃぁ! 姫様助けてぇ~」
2人が振り向くと、視界いっぱいに大きな牙を光らせる口が迫ってきます。全速力で降下した姫は、寸でのところで慌てふためく2人を抱きしめて救いました。
「バラ様、バラ様?」スズとハルが、不安と安堵混じりの声を上げました。
スズが、姫にいだかれたバラの胸に這い上がった時、バラは既に死んでいました。
城に逃げてきた精霊達を受け入れて、各地から敗走してきた兵士達を束ねて戦っていた屋久杉の精霊やモミの神々も死に絶えてしまいました。
隠れていた精や精霊達が、ティラノサウルスの悪魔の牙に引きちぎられたイバラの中から転げ落ちます。
それを見つけたティラノサウルスの悪魔が、喜びに湧きました。
「ぐは、ぐは、ぐふふふ、まだ生きた精霊がいたぞ」
見つかった精霊達は、生きたまま嚙み裂かれて食べられてしまいました。カラスの妖魔達が飛び回る中、ガストロディア・アグニセルスが生い茂る外庭を逃げ惑うスズとハルを連れて、裏庭まで連れてきてくれた沙羅の神の双子の女神達も、2人を茨の中に隠した直後に、寄生植物の悪魔に根を張られて、生気を吸われ死んでしまいました。
本来なら消滅するはずの体でしたが、強力な呪詛に縛られて、本性の木に戻る事も、消滅する事も叶いません。死体には幾万のヒアリが群がり、死肉をあさっています。
ついに、城の敷地にいた神や精霊は、全て滅ぼされてしまったのです。残っているのは、ミツスイの精と白ヘビの精、2匹だけでした。
スズはベッドの中に潜って、1日中大声で泣いています。外に響く足音や轟音、恐ろしげな雄叫びに身を震わせながら、死への恐怖に耐えられずにいました。
「ヤダよぉ、ヤダよぉ、バラ様! 死にたくないよぉ。
わたし死にませんよね? 死にませんよね?」
頼みの綱はバラのみです。バラが死ねば、きっと自分も死んでしまうでしょう。
朽ち果てたイバラを薙ぎ払って、気持ちの悪い悪魔が、お家に乱入してくるはずです。生きたまま食いちぎられるところを想像すると、卒倒してしまいそう。
「バラ様は、お強いもん。
えへへ、きっとわたしを救ってくださるわ。だってバラ様は、わたしの事を大事にしてくれるもん」
スズは、自分だけは死なない、自分だけは死なない、と言い聞かせる事で、なんとか死への恐怖と闘っていました。
ハルも同じく自分の部屋にこもっています。ハルは、椅子に座って窓の外を無表情で見上げていました。
お城の向こうに見える空は、雷雲に覆われています。周辺の草原は火の海と化していましたから、燃え盛る炎によって黒雲が赤く染まっていました。巻き起こった火災旋風が何本も天に向かって立っているのも見えます。
暴風が吹き荒む中、雪混じりの小雨が降っていました。天には、沢山のプテラノドンの悪魔が飛んでいます。太古の悪魔の生き残りです。
ハルは、もうわたしは死ぬのだと覚悟をしていました。ただ、苦しんで死にたくはありません。それだけを心配していました。イバラの外を見ると、裏庭には、とても濃い瘴気が充満していましたから、バラが死ねば、自分も一瞬の内に毒を吸い込んで死んでしまうでしょう。
苦しむのは一瞬だけです。ハルは、そう自分に言い聞かせながら、死への恐怖と闘っていました。
バラは本来、我の強い花です。何色にも染まらない深い真紅の花弁、幾重にも重なったそれは、醜さの侵入を許しません。透き通った瑞々しい甘く微睡む深みのある香りに包まれ、身に纏ったトゲは、その存在を孤高の覇者にしています。
皆さん見てください。萎れてもなお吸い込まれるような濃厚な赤、生き生きと咲き誇る花の中にあったとしても、誰もが息を飲む美しさです。高潔にして、潔癖の花。愛と永遠が花言葉、まさに姫の純潔を守るに相応しい花の騎士です。
しかし、1000年を超える長い闘いの中で、バラの神気は尽きかけていました。これ以上疲弊すれば、もはや魔界の皇子には傷1つつけることは困難となるでしょう。
バラは、渾身の力を振り絞って振り上げた両手の先に、鋭い剣を作り出しました。波打つようなギザギザの刃が切っ先まで続く、片刃の神剣です。
大きなトゲが連なり、一つ一つの犀利な刃先は薄い赤に色づき、峰の方は微かに青い光を放つ白銀、鍔は背の方に向けてギザギザの葉が数枚連なってできています。
ソードブレーカーの様な刃を構成する1枚1枚のトゲが波打ち、とても神々しく輝いていました。
それぞれのトゲが連結しているので、ムチのように撓ります。肉を切り裂くと同時に叩き潰す、尋常ではない破壊力を有するバラ渾身の剣でした。
持ち手もトゲでできていましたから、本人以外が握ることはできません。
まさか、本人もこの様な神々しい剣を生み出すことが出来るとは、思っていませんでした。その威力は、今まで使っていたイバラのムチや、刀やサーベルの比ではありません。天界広しといえども、稀にみる宝剣です。
構えると同時に、微動した刃から空気を伝播する神気の波が起こり、高位の魔族さえ消し飛ばしていきました。
慄然としたその様子に姫は驚愕し、バラを呼ぶ声すら発する事ができません。怒り狂ったバラを見るのは、初めてでした。
しかし、その神々しさとは裏腹に、伝わってくるのは絶望以外ありませんでした。邪神とか悪神とかという次元ではありません。もはや、邪悪神とでもいうべき存在に思えます。
自らの絶望を紛らわせるために、全てを絶望の渦へと陥れようとでもいうのでしょうか。その恐ろしさは、魔界の皇子に匹敵するかのようです。
バラは、頭上に掲げた身の丈ほどの大きな神剣を更に振りかざして、力いっぱい振り下ろします。大量のバラの花吹雪をまき散らして、真紅の炎と化した神気の花弁が、波打つ刃となって放たれようとしたその時です。
魔界の皇子は、ニンマリと毒々しく笑みを浮かべて、瞳にある沢山の黒目を全てバラに向けました。腰に帯剣していた2本のサーベルを抜きあげると同時に、バラの胸が斜め十字に裂け、大量の血飛沫がバラの花弁となって吹き出しました。
バラに与えた一撃の凄まじさを、さも当然であると言わんばかりに、魔界の皇子が言いました。
「ほう、なかなか良い眺めではないか、バラの神よ。
さすがは、花の里が誇る最強の神」
魔界の皇子はほくそ笑みます。
ダマスク・クラシックの香りを帯びた血しぶきを舐めとろうと、沢山の悪魔が群がってきました。
大きく仰け反るバラに向かって身を乗り出し、姫が大声で叫びます。
「バラ-!!!」
バラを見つけたその時から、全ての記憶が甦っていました。それと同時に神気も復活した姫は、城の窓から飛び出し、茨の結界を突き破って、弾丸のように飛翔します。
神気の波動が、魔界の皇子を突き抜けます。
「!!?」
神気の尽きた城から、突如とてつもなく高貴で強大な神気が出現しました。驚いた皇子が見やると、お目当ての花の姫ではありませんか。既にバラの力は弱まっていたので、姫の力でも結界を破る事ができたのです。
「殿下」
参謀のタランチュラの悪魔が皇子に声をかけた後に、配下に目配せをして、姫の捕縛に兵を差し向けます。同時に、花の里中に轟くほどの大きな声で、皇子が吼え猛りました。
「生け捕りにしろ!! かの麗しき花の姫は、俺が摘み取るべき絶世の美女なるぞ!!」
辺りには、姫の香りが広がり始めていました。その香りは、高価なお酒がもたらす酔いなど敵わぬほどです。その香りを我も我も、と吸い込む悪魔達は、一瞬にして姫に魅了され、その美貌や香りに酔いしれました。
あまりの香りのよさに、魔界の皇子は思わず声を漏らします。
「芳醇な汝の香りは、だった一輪で春の女神フローラが運ぶ花々の香りをも凌駕する」
魔界の皇子は、煌めく光の霞が如く広がる姫の芳香を胸いっぱいに吸い込み、幻をいだくかのような微睡んだ表情で恍惚に浸りました。
そして、現実に戻るかのように息を深く長く静かに吐きながら、おどろおどろしい笑みを満面に浮かべながら言いました。
「姫を謳う讃美歌の詩に違わぬその美しさ、正に至高の美、我が生き標本に加えるに相応しき、至上の女神」
これが、魔界の皇子が天魔戦争を引き起こした目的でした。天界一の美貌を誇ると讃えられる花の姫を娶ろうと、権謀術数を張り巡らせていたのです。
自分のお家で縮こまっていたスズとハルにも、姫の神気が伝わりました。懐かしい神気です。とても幼かった頃にこの城に満ち満ちていた、とても優しい麗しき神気です。
外を見ると、黄金色を帯びた7色の光の霧が、地を這うように広がっていき、黒い瘴気を中和していきます。
2人は、姫の存在に気が付くと同時に、死にゆくバラにも気が付きました。
真っ逆さまに落ちてくるバラを受け止めた姫は、群がってくる数千数万の悪魔達を弾き落としながら、城の上空を飛び回って、逃げ道を探しました。
バラの窮地を目の当たりにして、姫はとても取り乱しています。
「ああ、バラ、バラ、わたしの可愛いバラ」
姫は、青ざめた死にゆく運命のバラを抱き締め、頬をさすっては幾度もキスをして、癒しの神気を注ぎました。唇に頬に、瞼におでこに、幾度も幾度も口づけを繰り返して、すがる思いで蘇生を試みます。
「どうして貴方は1人で戦いに向かってしまったのですか。
願わくば、わたしも共に戦いたかった。
わたしは戦いの神ではないけれど、貴方の傷を癒し、慰め、祈ることは出来たのですから。
どんな困難が迫る時にも、どんなに病める時にも、わたし達2人で立ち向かおうではありませんか。
わたし達は、そう愛し合って来たではありませんか、2人で1人の存在ではありませんか」
姫は嘆き悲しみながら、唇で、頬で、指で、蒼白の顔を愛撫し続けた後、傷ついたその身をしっかりと抱きしめて、バラを連れて悪魔の包囲を掻い潜って脱出する決意を固めました。
眼下に聳える城を覆うイバラは枯れて死に絶えています。咲き誇っていた2人の子供たちは既に地に花を落として、全て息絶えていました。
「ああ、わたしの可愛い子供達、城と民草を守るために、果敢に戦ったのですね。
わたしだけが何も知らずに守られていたなんて!!
しかも何もかも忘れて、あの忌々しい魔界の皇子に心を蝕まれて、ウソ偽りなく一身に身を捧げてわたしを愛してくれるバラに恨みをいだいていたなんて!!」
取り返しのつかない事態に、表情を歪めて咽び泣きました。
魔界の皇子の声に、全身すくみ上る思いのスズとハルでしたが、広がってきた姫の神気にすがり、救いを求めて、泣き叫びながら、お家を飛び出しました。
微かな神気が姫に伝わります。
「ハル? スズ?」
裏庭から、アワアワと怯えながらふよふよ飛んでくる2人の精がいました。その後ろから、ホオジロザメの悪魔が大きな口を開けて突っ込んできます。
「きゃぁ! 姫様助けてぇ~」
2人が振り向くと、視界いっぱいに大きな牙を光らせる口が迫ってきます。全速力で降下した姫は、寸でのところで慌てふためく2人を抱きしめて救いました。
「バラ様、バラ様?」スズとハルが、不安と安堵混じりの声を上げました。
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