3 / 33
2 焦燥の悪魔 ~幸せを失うまいとする手は、全てを溢す~
しおりを挟む暗闇の中、姫は殆どの時間をベッドの中で過ごすようになっていました。閨房には、城中にあったバラの衣類や鎧が集められていましたので、部屋中がバラの残り香に包まれています。
「あはっ、懐かしい服ね、白い燕尾服だなんて」
姫は、久しぶりに笑いました。
ずっと昔に、白バラの赤ちゃんが生まれた時に新調して、姫がプレゼントした服です。
「覚えていますか、バラの神? あの時は、誕生祝いの舞踏会を開いて、毎晩毎晩踊り明かしましたね。
あの大きなお部屋がいっぱいになるほど、子供たちを咲かせて」
思い出す思い出の中のバラは、とても優しくて、とても誠実に姫に仕えていました。
立場の差もありますが、怒る事も、我を押し付けてくることもありません。姫を理解しようと努め、自分の意見をきちんと言いつつも、最後は自らと違う意見でも受け入れてくれていました。
「わたしには、バラの良いところしか思い浮かばないわ。
思い出のバラは、わたしを裏切るようなことはしない」
孤独に蝕まれていた姫でしたが、バラの衣服を抱きしめる度に忘れていた思い出を思い出しました。そうして、湧き上がる恨みの念を消したのです。
「そうだわ、バラのトゲで作ったキリとノコギリがあったはずね。あれも持ってきましょう」
姫はバラのお部屋に行って探しますが、見当たりません。
「・・・? バラの部屋って、こんなに殺風景だったかしら」
部屋には、テーブルと本棚やタンスがありましたが、小物などは飾られていません。確か色々と飾られていたはずなのですが、姫は思い出せませんでした。
「そうね、初めから何もなかったのかもしれないわ。
いつもわたしといたんだもの、この部屋にいる事なんて、ほとんどなかったものね」
姫は、バラの部屋に付属する衣装部屋や倉庫をくまなく探しますが、キリとノコギリは見つかりません。衣裳部屋の服は姫のベッドの上に持っていってしまいましたから、部屋の中は空っぽです。倉庫もほとんどなにもありませんから、見落とすはずはありません。
「分かった、武器庫にあるんだわ、きっと。
うふふ、大工道具のようでいて、悪い虫を退治した武器だものね」
長い間、自分の居館がある塔から出ていなかった姫は、オバケが出るんじゃないか、と思いました。なので、怖さを紛らわすために、バラの軍服のジャケットを羽織って、何着かの服を抱えていくことにしました。人の里からプレゼントされた刀も1本持って行きます。
真っ暗闇の中、自らが発する淡い神気の光だけですから、姫はとても心細く感じました。天井もとても高く、廊下もとても長いので、全容は闇の中にあって見えません。
ずっと1人で忘れつつある思い出の中に塞ぎ込んでいましたから、心が外に向かって開かれず、持てる神気を解き放てないのです。そのため、建物中を明るく照らす事ができませんでした。
とても怖かったので、袖を通さずに肩にかけていた軍服のボタンを留めて、詰襟の中に顔を鼻まで沈めます。
そうすると、姫はとても安心できました。恐怖はその軍服の中には入って来られなかったのです。ドキドキとしていましたが、とても心地の良いドキドキです。バラへの愛が、まだ恋であった頃を思い出しました。
「ここにもないのね。
そうよね、武器として使ったからって、大工道具だもの、あるはずないわ」
何も置いていない武器庫を見て回りますが、やはりキリとノコギリはありません。仕方がないので、姫は部屋に戻りました。
「どなたの香りかは知らないけれど、多分この方が、わたしの想い人なのでしょうね」
姫は、羽織っていた紺のギャバジンの軍服を脱いで、ベッドの上に広げます。とても良い白バラ製のダブルカフスのワイシャツには、睡蓮とバラを模った伽羅のボタンが付いています。
ベルトと剣を提げるための豪華な懸策もありましたが、刀の鞘には、懸策に引っ掛けるためのリングが付いていません。
「この刀は、この軍服の殿方の物ではないのかしら」
ベッドには、この軍服一式しかありません。ですから、この素晴らしい刀を合わせるとしたら、この軍服だけです。他にある服といったら、姫のドレスだけですし、自分は軍人でも無ければ、武器コレクターでもありません。
自分の閨房にあるという事は、とても近しく親密な方の物であることは間違いないでしよう。となると、この刀は間違いなくこの軍服の方の物なのです。
この軍服は、2人とって特別な軍服でした。バラは何着もの軍服と装備を持っていましたが、この軍服は、唯一姫から下賜された軍用着です。
姫との間に赤ちゃんが生まれる度にバラの神気は増していって、ついに神へと昇華したその日に、姫は謁見の間にバラと睡蓮を満開に咲かせ、バラを自らの騎士にする任命式を行ったのです。
あの時の壮麗な儀式の中、抑えきれずにこぼれる笑み。あの時の気持ちを思い返していた姫が、ゆっくりと瞳を開けた時、寄りそって寝ていた軍服はありませんでした。
キングサイズのベッドに側臥して長い事考えていましが、姫は思い出せません。自分の隣には、いったい誰が寝ていたのでしょう。誰かがいた様な、いなかった様な気がする不思議なベッドです。とても心地よく安らぐ微香があります。
燭緒のついた肋骨飾りが勇ましい紺の軍服が消えてしまってから、姫は自分の閨房から出る事もなくなってしまいました。
姫の大切な思い出は、思い出すたびに記憶から零れ落ち、その時感じた感情と共に、忘れ去られていきました。
幽閉されていることなど、気が付きようもありません。姫1人が住まうこの城から出られないばかりか、自らベッドの上からも出ようとしなくなっていたからです。
ある日、姫が闇の中手探りで廊下に出たところ、壁につたっていたイバラのトゲが指に刺さって、とても痛い思いをしました。その時姫は、この城が自分を傷つける存在なのだと恐れおののき、急いで部屋に戻って扉を閉めて鍵をかけました。
バラが姫を傷つけたのか、姫が自ら傷ついたのかは分かりません。ですがそれ以来、姫は自らの意思で完全に閉じこもって、孤独の中にどっぷりと沈んだのでした。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
湖の民
影燈
児童書・童話
沼無国(ぬまぬこ)の統治下にある、儺楼湖(なろこ)の里。
そこに暮らす令は寺子屋に通う12歳の男の子。
優しい先生や友だちに囲まれ、楽しい日々を送っていた。
だがそんなある日。
里に、伝染病が発生、里は封鎖されてしまい、母も病にかかってしまう。
母を助けるため、幻の薬草を探しにいく令だったが――
おねしょゆうれい
ケンタシノリ
児童書・童話
べんじょの中にいるゆうれいは、ぼうやをこわがらせておねしょをさせるのが大すきです。今日も、夜中にやってきたのは……。
※この作品で使用する漢字は、小学2年生までに習う漢字を使用しています。
GREATEST BOONS+
丹斗大巴
児童書・童話
幼なじみの2人がグレイテストブーンズ(偉大なる恩恵)を生み出しつつ、異世界の7つの秘密を解き明かしながらほのぼの旅をする物語。
異世界に飛ばされて、小学生の年齢まで退行してしまった幼なじみの銀河と美怜。とつじょ不思議な力に目覚め、Greatest Boons(グレイテストブーンズ:偉大なる恩恵)をもたらす新しい生き物たちBoons(ブーンズ)を生みだし、規格外のインベントリ&ものづくりスキルを使いこなす! ユニークスキルのおかげでサバイバルもトラブルもなんのその! クリエイト系の2人が旅する、ほのぼの異世界珍道中。
便利な「しおり」機能、「お気に入り登録」して頂くと、最新更新のお知らせが届いて便利です!
ヒミツのJC歌姫の新作お菓子実食レビュー
弓屋 晶都
児童書・童話
顔出しNGで動画投稿活動をしている中学一年生のアキとミモザ、
動画の再生回数がどんどん伸びる中、二人の正体を探る人物の影が……。
果たして二人は身バレしないで卒業できるのか……?
走って歌ってまた走る、元気はつらつ少女のアキと、
悩んだり立ち止まったりしながらも、健気に頑張るミモザの、
イマドキ中学生のドキドキネットライフ。
男子は、甘く優しい低音イケボの生徒会長や、
イケメン長身なのに女子力高めの苦労性な長髪書記に、
どこからどう見ても怪しいメガネの放送部長が出てきます。
台風ヤンマ
関谷俊博
児童書・童話
台風にのって新種のヤンマたちが水びたしの町にやってきた!
ぼくらは旅をつづける。
戦闘集団を見失ってしまった長距離ランナーのように……。
あの日のリンドバーグのように……。
【もふもふ手芸部】あみぐるみ作ってみる、だけのはずが勇者ってなんなの!?
釈 余白(しやく)
児童書・童話
網浜ナオは勉強もスポーツも中の下で無難にこなす平凡な少年だ。今年はいよいよ最高学年になったのだが過去5年間で100点を取ったことも運動会で1等を取ったこともない。もちろん習字や美術で賞をもらったこともなかった。
しかしそんなナオでも一つだけ特技を持っていた。それは編み物、それもあみぐるみを作らせたらおそらく学校で一番、もちろん家庭科の先生よりもうまく作れることだった。友達がいないわけではないが、人に合わせるのが苦手なナオにとっては一人でできる趣味としてもいい気晴らしになっていた。
そんなナオがあみぐるみのメイキング動画を動画サイトへ投稿したり動画配信を始めたりしているうちに奇妙な場所へ迷い込んだ夢を見る。それは現実とは思えないが夢と言うには不思議な感覚で、沢山のぬいぐるみが暮らす『もふもふの国』という場所だった。
そのもふもふの国で、元同級生の丸川亜矢と出会いもふもふの国が滅亡の危機にあると聞かされる。実はその国の王女だと言う亜美の願いにより、もふもふの国を救うべく、ナオは立ち上がった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる