生んでくれてありがとう

緒方宗谷

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託したい事

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 最近、佳代は、度々祖母和子を思い出すようになっていた。佳代が5歳の時に80歳で亡くなった彼女は、自分が理想とする人生の象徴だ。
 どこに行くのも祖母と一緒だった。田んぼのあぜ道を歩いたり、蝶々を追いかけたり、近くの商店でお菓子を買って、2人で食べたたりして、毎日を過ごしていた。どこで遊んでいても、振り返れば、いつも見守ってくれていたことを覚えている。
 ある朝目が覚めると、佳代は自分がシクシクと泣いていることに気が付いた。直前までに見た夢には、光にまどろむ祖母がいた。内容は覚えていなかったが、悲しいストーリーではない。
 渡辺さんが亡くなってから、もう数カ月経つ。そのことに対して、心の整理はついていたが、命についてどのようにとらえれば良いか、いまだに分からずにいた。こんな重い話を誰かに相談することもできないし、したところで明確な答えは返ってこないだろう。千里との食事会でも話したことは1度もないし、小柳にも話さなかった。
 あの日の翌日、施設はいつも通りの日常に戻っていた。佳代だけは、心がついていけずに困惑したが、日々の作業をこなす。当日勤務していなかったスッタフにだけ、渡辺さんが亡くなったことが伝えられる。その一瞬以外に、渡辺さんの話が話題になることはない。
 もしその瞬間が無ければ、自分以外に渡辺さんの記憶がなくなってしまったのではないか、と思えるほどだ。佳代は、みんなが少し冷たいのではないか、と思った。実際、みんなは佳代と同じ心境であったが、その時の佳代に、それを察することはできなかった。
 なんとか死に対して意味を与えようと気持ちを消化する努力を重ねるが、脳内を電気信号が走るように、絶えず大量に閃光を発するばかりで、思考として解釈できない。なにか言葉にできそうではあるが、何も思いつかない。しかし、ふと気づくと、心の中ではいつも祖母が微笑んでいた。
 和子の孫へ向ける笑顔は、絶えることがない。佳代に怒ったことは1度もなかった。
 戦前生まれの和子は大家族の中で育ったが、今と比べで医療が発達していなかったから、10歳を迎えるころには、10人いた兄妹は、全員が病気で亡くなっている。死産だった妹を含めると、もともと12人兄妹だ。その体験が、誰よりも家族を大切にする和子の性格の下地となっていた。 
 10月21日、誕生日を迎えた佳代を祝いたいと、母が電話をかけてきた。父も、久しぶりに娘に会いたがっているとのことだ。年齢が年齢だけに、もういいよとも思ったが、佳代は、心の何かに動かされるように、誕生会の開催を受け入れることにした。
 2人が東京に出てくると言っていたが、最近千葉に帰っていなかった佳代は、自分が帰郷すると伝え、シフトを確認してから日取りを決めることにした。
 1週間の休みを取って帰郷した佳代は、数年ぶりに会う両親の老けた様子に、内心驚きながら挨拶をして、すぐに仏壇の前で手を合わせる。
 祖母が母幸恵を生んだのは40歳の時、今でも高齢出産といわれるが、昭和30年でのそれは、命がけだったに違いない。
 幸恵の注いだ冷たい麦茶を飲みながら食堂に行くと、ちょうどご飯の準備をしていることころだ。冷蔵庫を開けると、ケーキの箱が真ん中においてある。
 「こんなに大きいの? ホールで買ったの? 3人しかいないのに?」
 「誕生日なんだから、当然でしょ!」
 10人分以上ある大きさだ。呆れ顔で母の傍に寄り、手伝うと佳代が言うが、幸恵は、主役なんだからノンビリしていなさい、と言う。
 しようがなく麦茶を注ぎ足した佳代は、和室へと戻って行った。仏壇のあるこの部屋は、もともと祖母の部屋だ。遺影を見ていた佳代は、ふと他の写真も見てみたいと思い、仏壇の下にある観音開きの襖を開けた。
 中には祖母の形見が詰まっており、アルバムも幾つかある。ここに住んでいたころは、全く興味を持たなかった戦前の遺物だ。アルバムの表紙は、カラフルな花柄の布が張ってあり、中身は黒い厚紙でできていた。紙に印刷したようなザラザラした写真がのり付けされている。
 大正時代において、女性が大学に進学することが珍しい中で、和子は、地元で唯一の女学生として過ごした。聡明であった彼女は、これからは子供の教育が大事だと考え、教師になる道を選んだ。同時に家政を好んで学んでいたこともあり、教員として同じ学校で働いていた鉄雄と結婚した。当時としては珍しい恋愛結婚だ。
 鉄雄は理解のある夫で、結婚後も教鞭をとることを許してくれた。もともと、子供たちにどれだけ教育が必要かを語り合うことで、お互いを理解し愛を深めていった仲だから、鉄雄にとっては当然のことである。
 外国の学校に赴任することになった夫について行き、近くの女学校で自らも教師として働いた。
 2人とも表で口にしなかったが、日本が外国に国土を広げることにも戦争にも反対だった。だから、外地に住んで働くことも本意ではなかった。
 だが、外地を見て2人は思った。なんて子供たちの可愛いことか。文化や服装、言葉や生活環境は、日本の子供たちと異なる。だが、子供の可愛さに人種民族の差はないのだ。 
 教師を目指したときに抱いていた子供に対する思い、教師となってからも抱きづづけた子供への思い。それは、この地でも変わらなかった。外地に来たからといって、2人が子供たちに注ぐ愛が、日本人に限定されるわけではない。そして、ここで子供たちの未来を育てていこう、と決意した。生徒の半分は現地出身だったから、特別何か行動しなくても、それを成すことができた。
 生徒が開いた同窓会の席で、日本を訪れた現地出身の生徒たちに感謝された。少なからず貢献できたことを知り、晩年の和子は、周囲にその話を何度もして自慢している。
 戦争が始まる直前に、本土へと戻った2人だったが、数年の内に東京大空襲に見舞われて、疎開を余儀なくされた。下町に住んでいた実の両親は、その時から音信不通で、遺骨も戻ってきていなかったし、5人いた子供たちも全員死んでしまった。生まれた直後に亡くなった次女と、病死した三男を含め、7人の子供全員が亡くなってしまった。
 歩いて東京を出た夫婦は、行く先々の農家で作物を分けてもらいながら、新潟にある鉄雄の実家を頼った。とても過酷な道のりで、子を失った悲しみを感じる暇もなかったが、親切に迎え入れてくれた義父が沸かしてくれたお風呂に浸かった後、ドッと悲しみがこみあげてきて、あぐらで座っていた夫の膝に泣き崩れた。
 当時の写真を見ても、佳代にはどれが祖母か分かる写真はほとんどない。応接間のクローゼットにあるアルバムに、自分が生まれる前の祖母が写っているのではないかと思い、あさってみる。
 多くは母の写真であったが、その傍らには、いつも若い祖母が写っていた。母はセーラー服を着ているから、10代後半。祖母は50代後半だ。昔、ここにあったアルバムを見て、自分は母親似ではなく祖母似だと思ったことを思い出した。
 母も二重だったが、瞳は大きくない。父もそうだ。しかし、祖母は、ぱっちりとした大きな二重だ。色々な苦労があったのだろう。年齢にしては、大きく深いしわが、顔にきざまれていた。
 アルバムを遡っていくと、祖母との思い出を持つ自分と同じくらいの母の写真に行きつく。母の顔は今と変わらない。老けたこと以外は、と付け加えて、佳代はニヤリとする。
 写真に写しだされた親子の写真は、佳代と和子の関係と酷似していた。幸恵が佳代に対してとても優しいのも、親から注がれた愛情のたまものなのだろう。佳代は、溢れんばかりの愛情を2人から受けていたのだ。
 どのアルバムも、全体的に子供の写真が多い。これは早坂家の暗黙の慣習だった。
 戦後、鉄雄が千葉に赴任することになった。この地に引っ越してきた時、どうしても夫の子を育てたいと望んだ和子は、年齢を心配する鉄雄を説得して、なんとか一子もうけることができた。
 調理がひと段落した幸恵が、佳代の様子を見にきた。
 「何見てるの?」
 「ん~?写真」
 「ああ、これ、この家を建てるときのね」
 佳代が育ったこの家は、和子が建てたものだ。もともと借地だったのを買い受け、幸恵が結婚した年に建てたのだ。
 どんな不幸があっても、この土地と家があれば、とりあえず雨風はしのげる。自分や娘に何かあっても、孫は生活していける。幸恵は、和子の思いを佳代に話した。佳代は初耳だ。生まれる前から、すっと自分を思ってくれていたなんて、感動だ。
 夫婦そろって教師だったのに、なぜ農家に転職したのかを幸恵に聞くと、新潟に疎開したとき、義父の家が農家だったので、食べるものには全く困らなかったし、戦後は、作物と交換してほしい、と着物や宝飾品を持った人々が訪れていたからだと教えてくれた。
 母から聞いた祖母の人生は、想像を絶する苦労の連続だった。優しいお日様のような笑顔しか見せたことのない祖母だったが、初めて知る祖母の一面に、敬服するほかない。
 佳代は、祖母の聡明さと強さ、そして優しさに改めて感謝した。





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