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離婚
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「お姉ちゃん、お父さんと結婚するの?」
「!!?」
佳代は笑顔のまま固まって、小柳を見上げた。雄太と初めて会って、雄太のお母さんになる自分が頭を横切る最中の質問に、否定したくない、という心が言葉を遮る。
「雄太、お姉ちゃんを困らせるんじゃないの」
「えぇ~、なんで?」
小動物が様子を窺うように、じっと佳代を見つめる。佳代が想像していたよりも随分大人のようだ。初対面で恥ずかしがって会話をしてくれない、と思っていた佳代は、どのように雄太と打ち解けようかと、あれこれ考えていたのに、初対面で動揺したのは、むしろ佳代の方であった。
雄太は、今日のお出かけを楽しみにしていたらしく、父親もびっくりするほどのはしゃぎようだ。
子供向けブランドの白い帽子をかぶって、戦隊ヒーローがプリントされた赤いTシャツを着ている。デニム生地のズボンは膝にかかる程度の長さ。白い靴下と青いスニーカーは、Tシャツと同じ戦隊ヒーローのようだ。小柳の話によると、一番のお気に入りらしい。
背中に背負った青いリュックには、今日食べる予定のお菓子と、父親から借りた水筒にスポーツドリンクが入っている、と自慢している。
自宅は武蔵関にあった。佳代の家からは、池袋で西武線に乗り換えればすぐだ。意外に近くに住んでいることに驚いた。
駅前は、西武線らしいのどかな風景だ。日曜日の朝のせいか、人通りのない道を進み通りに出ると、結構な交通量だった。時計を見ると9時20分、約束の30分までまだ余裕がある。
とりあえず、小柳からメールで教えてもらった住所をもとに、地図アプリで方向を確認して進み始めると、駅から10分程度の距離にある自宅マンションの前には、既に小柳親子の姿があった。
「へぇ、私服はこのような感じなんですね、可愛らしいですね」
土日にしか時間の取れない顧客に合うためスーツ姿で出迎えた小柳は、白いワンピース姿の佳代を見惚れる。
雲一つない晴天に恵まれた今日は、まだ湿度も高くなく過ごしやすい陽気だ。それほど洋服を持っていない佳代だったが、一応一番のお気に入りを着てきた。白とライトブラウンのリュックは革製で、OL時代に買ったものだ。
高くはないものの一応ブランド品だったが、友達には、その皮はフェイクか、とよく聞かれた。それでも持っているカバンの中では気に入っていたので、これを持ってきた。
どちらかともなく、佳代と雄太は手をつないで歩き始めた。佳代は、この子と打ち解けるために、同じ年齢のころの話をして、当時の男の子と比べて、雄太が可愛くて格好いいとほめた。
雄太の身長は、想像していたよりも高い。165cmの佳代の肩くらいの高さ。以前写真で見たのが5歳だったから、成長しているのも当然だ。幼い坊やをあやす感覚でやってきたため、そのギャップに少しドキドキしていた。
母親似だろうか、奥二重で黒目がちな丸い瞳は、バンビのようだ。髪は短めで、全体的に毛先を揃えず、今風の少年アイドルのようだ。
手をつないで歩く姿をイメージしていたものの、年齢的に嫌がられるだろうか、と心配した佳代をよそに、しっかりと手をつないで、佳代と目が合う度にニコニコと笑顔を送る。イケメンの素質アリ、と佳代は見抜いた。
池袋で丸ノ内線に乗り換える小柳を改札まで見送り、2人は構内から外に出た。博物館は、近辺のどの駅からもほとんど距離は同じだ。イケバスもあるが、いい陽気だったので散歩がてら歩いていくことにした。
こういうお出かけをするのは、雄太にとって久々だった。近くに祖母や母親が住んでいると言っても、どこかに連れて行ってもらうことは稀だ。
小池姓を名乗る母親の家に遊びに行くと、午前中はおしゃべりをして、お昼は、ちょっと豪華な外食をするのが常だったが、2時ごろに家に戻ると、用意してあった教材を使って勉強の時間になる。その教育熱心さが、遊んでばかりの小柳と袂を分かつ原因だ。
雄太も、この年齢になれば、母親の言葉の端々から別れた理由を察することができた。勉強は好きではなかったが、嫌われたくない、という一心で、勉強をしていた。
だが、今日は違う。家でゴロゴロしているわけでもなく、勉強させられているわけでもない。この年齢の男子なら、だれでも大好きだろう恐竜展を見に行くのだ。
「ここかな?」
建物を見上げると、思っていたよりも大きな建物だ。自動ドアの内側には、いきなりティラノザウルスの骨格標本が組まれており、思わず2人は声を上げ見上げた。もちろんレプリカだが、手のひらほどもある牙の大きさに、食べられたらどうしよう、と怯える佳代であった。
恐竜の他に、アンモナイトや海の生物の化石が展示してある。恐竜以外は本物のようだ。松脂に閉じ込められたアリなど、その身の黒い光沢は、今まで生きていたかのようだ。
もともと、図鑑が好きな雄太は、少し話せる程度の恐竜時代の知識があった。化石や絵などの展示物を指さしながら、恐竜の名前を言い当てたり、世界的に貴重な地層が千葉で見つかったことなどを佳代に話す。
巨大隕石で恐竜が大絶滅した程度の知識しかない佳代は、雄太の博学ぶりに感心するばかりだ。
雄太は、こういう思い出を両親と3人で作りたかった。学校で友達が家族旅行に行ったとか、遊園地に行ったとか、楽しい思い出話をするとき、いつもさみしさを感じでいたから、今日ばかりはと目の前の展示物を貪るように凝視しては、今知ったばかりの知識を佳代に披露した。
その喜びようは、佳代や小柳が想像していた以上で、ピョンピョン飛び跳ね、時にはクルッと回りながら移動していく。
佳代にも新鮮な感覚を与えていた。雄太は9歳だから、自分が21歳の時に子供を産んでいれば、今雄太と同じ年齢の子供がいるはずだ。
以前、佐々木さんの口腔ケアをしようとした時、洗面台に車イスをつけると、間を置かずはっきりとした口調で、「ビチャビチャになるから嫌」と叫んだことがある。視線や両手の動きから、台の縁が濡れている、と言っているのだが、実際は濡れていない。
過去、濡れた洗面台の縁を触って、不快な思いをしたのだろう。感情の記憶は残るのだ。だからこそ、この子には愉快な思い出を残してあげたい、と思う。
会話の中で、両親の話は出なかった。2人は親子のようでもあり、兄妹のようでもあったし、恋人同士のようでもあった。初対面で結婚の質問をした雄太だったが、その話はそれきりだったし、佳代もお母さんと離れて暮らしていて寂しいかなどと質問しなかった。
5歳の時、家に母親がいないことがあったが、仕事で今日は帰ってこない、と小柳に言われ、それを信じていた。全く会えない日が1カ月以上続いてから、突然母親が自宅に現れた時の喜びを雄太は今でも覚えていた。
どうしていたのか、もう家に帰れるのか、などの質問を繰り返しぶつける雄太をなだめながら、小池は両手で抱えられる程度の段ボール2箱を持って、地下駐車場へと歩いていく。少し離れて見ている小柳の様子のおかしさにも、少し申し訳なさそうな小池の様子にも、まだ気づける年齢ではなかった。
その後知ることになる現実を受け止める力は、この時の雄太にはない。本来なら適切な年齢の適切な時期に、親離れとか卒業とか言い表せられる段階を踏んでいくものだ。みんな、その過程を経て大人へと成長していくはずだ。
離婚という言葉を初めて耳にした時受けた、その衝撃の記憶はない。何かを卒業するときに成長する心のどこかは、死んだようだ。それでも、笑顔で真剣に話を聞いてくれる佳代を見上げると、乾いた土に水が注がれるように心のどこかが潤っていくように思えた。
他の子供たちと同様、子供が受けるべき愛情を渇望していた雄太が、将来子供時代を振り返って、自信を持って幸せだったと言えるかどうかは、これからの佳代との関係にかかっていた。
「!!?」
佳代は笑顔のまま固まって、小柳を見上げた。雄太と初めて会って、雄太のお母さんになる自分が頭を横切る最中の質問に、否定したくない、という心が言葉を遮る。
「雄太、お姉ちゃんを困らせるんじゃないの」
「えぇ~、なんで?」
小動物が様子を窺うように、じっと佳代を見つめる。佳代が想像していたよりも随分大人のようだ。初対面で恥ずかしがって会話をしてくれない、と思っていた佳代は、どのように雄太と打ち解けようかと、あれこれ考えていたのに、初対面で動揺したのは、むしろ佳代の方であった。
雄太は、今日のお出かけを楽しみにしていたらしく、父親もびっくりするほどのはしゃぎようだ。
子供向けブランドの白い帽子をかぶって、戦隊ヒーローがプリントされた赤いTシャツを着ている。デニム生地のズボンは膝にかかる程度の長さ。白い靴下と青いスニーカーは、Tシャツと同じ戦隊ヒーローのようだ。小柳の話によると、一番のお気に入りらしい。
背中に背負った青いリュックには、今日食べる予定のお菓子と、父親から借りた水筒にスポーツドリンクが入っている、と自慢している。
自宅は武蔵関にあった。佳代の家からは、池袋で西武線に乗り換えればすぐだ。意外に近くに住んでいることに驚いた。
駅前は、西武線らしいのどかな風景だ。日曜日の朝のせいか、人通りのない道を進み通りに出ると、結構な交通量だった。時計を見ると9時20分、約束の30分までまだ余裕がある。
とりあえず、小柳からメールで教えてもらった住所をもとに、地図アプリで方向を確認して進み始めると、駅から10分程度の距離にある自宅マンションの前には、既に小柳親子の姿があった。
「へぇ、私服はこのような感じなんですね、可愛らしいですね」
土日にしか時間の取れない顧客に合うためスーツ姿で出迎えた小柳は、白いワンピース姿の佳代を見惚れる。
雲一つない晴天に恵まれた今日は、まだ湿度も高くなく過ごしやすい陽気だ。それほど洋服を持っていない佳代だったが、一応一番のお気に入りを着てきた。白とライトブラウンのリュックは革製で、OL時代に買ったものだ。
高くはないものの一応ブランド品だったが、友達には、その皮はフェイクか、とよく聞かれた。それでも持っているカバンの中では気に入っていたので、これを持ってきた。
どちらかともなく、佳代と雄太は手をつないで歩き始めた。佳代は、この子と打ち解けるために、同じ年齢のころの話をして、当時の男の子と比べて、雄太が可愛くて格好いいとほめた。
雄太の身長は、想像していたよりも高い。165cmの佳代の肩くらいの高さ。以前写真で見たのが5歳だったから、成長しているのも当然だ。幼い坊やをあやす感覚でやってきたため、そのギャップに少しドキドキしていた。
母親似だろうか、奥二重で黒目がちな丸い瞳は、バンビのようだ。髪は短めで、全体的に毛先を揃えず、今風の少年アイドルのようだ。
手をつないで歩く姿をイメージしていたものの、年齢的に嫌がられるだろうか、と心配した佳代をよそに、しっかりと手をつないで、佳代と目が合う度にニコニコと笑顔を送る。イケメンの素質アリ、と佳代は見抜いた。
池袋で丸ノ内線に乗り換える小柳を改札まで見送り、2人は構内から外に出た。博物館は、近辺のどの駅からもほとんど距離は同じだ。イケバスもあるが、いい陽気だったので散歩がてら歩いていくことにした。
こういうお出かけをするのは、雄太にとって久々だった。近くに祖母や母親が住んでいると言っても、どこかに連れて行ってもらうことは稀だ。
小池姓を名乗る母親の家に遊びに行くと、午前中はおしゃべりをして、お昼は、ちょっと豪華な外食をするのが常だったが、2時ごろに家に戻ると、用意してあった教材を使って勉強の時間になる。その教育熱心さが、遊んでばかりの小柳と袂を分かつ原因だ。
雄太も、この年齢になれば、母親の言葉の端々から別れた理由を察することができた。勉強は好きではなかったが、嫌われたくない、という一心で、勉強をしていた。
だが、今日は違う。家でゴロゴロしているわけでもなく、勉強させられているわけでもない。この年齢の男子なら、だれでも大好きだろう恐竜展を見に行くのだ。
「ここかな?」
建物を見上げると、思っていたよりも大きな建物だ。自動ドアの内側には、いきなりティラノザウルスの骨格標本が組まれており、思わず2人は声を上げ見上げた。もちろんレプリカだが、手のひらほどもある牙の大きさに、食べられたらどうしよう、と怯える佳代であった。
恐竜の他に、アンモナイトや海の生物の化石が展示してある。恐竜以外は本物のようだ。松脂に閉じ込められたアリなど、その身の黒い光沢は、今まで生きていたかのようだ。
もともと、図鑑が好きな雄太は、少し話せる程度の恐竜時代の知識があった。化石や絵などの展示物を指さしながら、恐竜の名前を言い当てたり、世界的に貴重な地層が千葉で見つかったことなどを佳代に話す。
巨大隕石で恐竜が大絶滅した程度の知識しかない佳代は、雄太の博学ぶりに感心するばかりだ。
雄太は、こういう思い出を両親と3人で作りたかった。学校で友達が家族旅行に行ったとか、遊園地に行ったとか、楽しい思い出話をするとき、いつもさみしさを感じでいたから、今日ばかりはと目の前の展示物を貪るように凝視しては、今知ったばかりの知識を佳代に披露した。
その喜びようは、佳代や小柳が想像していた以上で、ピョンピョン飛び跳ね、時にはクルッと回りながら移動していく。
佳代にも新鮮な感覚を与えていた。雄太は9歳だから、自分が21歳の時に子供を産んでいれば、今雄太と同じ年齢の子供がいるはずだ。
以前、佐々木さんの口腔ケアをしようとした時、洗面台に車イスをつけると、間を置かずはっきりとした口調で、「ビチャビチャになるから嫌」と叫んだことがある。視線や両手の動きから、台の縁が濡れている、と言っているのだが、実際は濡れていない。
過去、濡れた洗面台の縁を触って、不快な思いをしたのだろう。感情の記憶は残るのだ。だからこそ、この子には愉快な思い出を残してあげたい、と思う。
会話の中で、両親の話は出なかった。2人は親子のようでもあり、兄妹のようでもあったし、恋人同士のようでもあった。初対面で結婚の質問をした雄太だったが、その話はそれきりだったし、佳代もお母さんと離れて暮らしていて寂しいかなどと質問しなかった。
5歳の時、家に母親がいないことがあったが、仕事で今日は帰ってこない、と小柳に言われ、それを信じていた。全く会えない日が1カ月以上続いてから、突然母親が自宅に現れた時の喜びを雄太は今でも覚えていた。
どうしていたのか、もう家に帰れるのか、などの質問を繰り返しぶつける雄太をなだめながら、小池は両手で抱えられる程度の段ボール2箱を持って、地下駐車場へと歩いていく。少し離れて見ている小柳の様子のおかしさにも、少し申し訳なさそうな小池の様子にも、まだ気づける年齢ではなかった。
その後知ることになる現実を受け止める力は、この時の雄太にはない。本来なら適切な年齢の適切な時期に、親離れとか卒業とか言い表せられる段階を踏んでいくものだ。みんな、その過程を経て大人へと成長していくはずだ。
離婚という言葉を初めて耳にした時受けた、その衝撃の記憶はない。何かを卒業するときに成長する心のどこかは、死んだようだ。それでも、笑顔で真剣に話を聞いてくれる佳代を見上げると、乾いた土に水が注がれるように心のどこかが潤っていくように思えた。
他の子供たちと同様、子供が受けるべき愛情を渇望していた雄太が、将来子供時代を振り返って、自信を持って幸せだったと言えるかどうかは、これからの佳代との関係にかかっていた。
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