生んでくれてありがとう

緒方宗谷

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ビャービャー

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 ある金曜日の夜、佳代は、千里に誘われた飲み会に佳代は参加していた。千里の勤める会社のOLと取引先との飲み会だったが、相手側は男性のみで、こちら側は女性のみ。実質コンパだ。
 もともと参加予定ではなかったが、当日に1人参加できなくなり、急きょ佳代に白羽の矢が立ったのだ。参加費は欠席者が支払済みのため無料でよいと聞いて、佳代は参加することに決めた。
 場所は渋谷にある多国籍レストランで、気取った風ではなく、千里からも普段着で良いと言われていた。しかし、金曜日の仕事終わりであることを考えると、参加者はみんなスーツ姿のはずだ。
 特別なおしゃれ着を持っていなかった佳代は、OL時代に使っていたスーツで行くことにした。
 久々の飲み会だ。この時、佳代はコンパだとは気付いていなかったが、それでも好みの男性がいるかもしれない、と微かな期待を秘めて、おめかしをすることにした。
 ファンデーションを塗って口紅を引く。もともときめの細かい肌から毛穴の影は消え、唇はピンクがかった赤いうるおいに満ちる。二重の大きな瞳をアイシャドウがさらに大きく見せた。
 アイドルにも負けないという自信は、過剰だろうか。大きな木製の長テーブルを挟んで向かいに座る男性4人は、ひそひそ声で佳代の可愛らしさをほめながら、気付かれないようにチラチラと視線を送る。
 そのまなざしに気付きながらも、佳代は気づかぬふりで右隣の千里にシーザーサラダを取り分けていた。普段なら男性陣にまず取り分けるが、ピンチヒッターとしての参加だった上、千里以外は知らない女性社員だったものだから、遠慮がちになっていた。
 実際そのくらいが良かったのは間違いない。佳代が初めて会った2人の女性社員もそこそこ美人であったが、佳代と千里ほどではなかった。1人は35歳の独身女性で、化粧は濃いめ、目元に赤いシャドウを入れている。細く見せたいのか、頬にもシャドウが入っていた。
 少しぽっちゃりとしているようにも見えるが、骨格が少し広いのでそう見えるだけ。胸がDカップほどもあった事も、全体的にそう見える原因だった。二重だが細い目で、肩位のウェーブががった髪。佳代とさほど変わらない身長のこの女性は、島崎と名乗っていた。
 もう一人はキラキラした感じのメイクをしていて、ぱっちりと目を開いているとまぶたが無くなるほど瞳が大きい。お人形さんのように可愛く、実物なのに盛った写真のようだ。脱色した茶髪の髪は長いストレートで、それほど手入れをしていないのか少しバサついていて、枝毛もありそうだ。
 沼崎と自己紹介した彼女はバツイチ子持ちの28歳で、この席でもそれを隠さず、母性的である自分を演出する材料にしていた。
 1人の男性が歓喜の声をあげる
 「へぇ、沼崎さんって、お料理上手なんだね」
 「そんなことないですよぅ」
 ネット上にアップした3歳の子供のために作ったお弁当の写真をスマホに映すと、男性全員が彼女をほめそやした。
 実際、佳代から見ても可愛いキャラ弁で、有名なモンスターだったり、パンダや子猫の絵柄だったり、お城やお花畑だったりした。見た目はギャル系だが実際は家庭的なのか、私は尽くす女であるアピールがすごい。
 男性の仕事の自慢話に声を出して相槌を打ち、身を乗り出して聞く姿勢もある。男性の発言に対する千里の脱線話も無視して、ちらほらと男性が話す仕事の本筋へ、質問を投げかけていた。
 その向こうでは、キャリアに生きようと考えている女性の悩みを正面の男性に聞いてもらっている島崎がいる。こちらは、相手の話をうまく聞くと言うよりも、自分の話を聞いてもらって、同意してほしい感じだ。
 昔付き合っていた男性にプロポーズされ、家庭に入ってほしい、と言われたそうだ。何年前の話か定かではないが、そのときすでに仕事を任されるようになっていた島崎は、彼との結婚を断ったらしい。
 彼女としては、そのままお付き合いをして、ある程度キャリアを積んだところで結婚するのもアリではないかと考えたらしいが、プロポーズを断ってから間もなく、彼とは疎遠になってしまったらしい。
 彼氏がいることを隠して参加しているので、がっつく感じがない千里と違い、2人は4人の男性に対して興味津々だ。
 異性との会話と食事を楽しみたい千里の心情を知っているのか、2人の間にアピール合戦が勃発しているのに、千里にその下心の矛先が向く様子はない。
 「島崎さんの考えはすばらしいと思いますよ」
 千里が持ち上げると、男性陣がそうだそうだ、と島崎を褒めちぎる。社会的な自己の将来設計もしっかりしていて、恋人同士がどうあるべきかを語っていたことに驚嘆しつつ、後輩である自分に対して時には優しく時には厳しく指導してくれる姿は、包容力があって憧れるとまで言っている。
 今現在彼氏のいない自分に、後ろめたさがあるのだろうか。それとも同僚に彼氏がいるとかできたとかで、今現在自分にいないことを正当化したいのか。そういった意味で彼氏を作って、その同僚と同じ高さに立とうとしているように、佳代の眼には映っていた。だから、千里のおべっかは新鮮で楽しかった。
 はっきりとゴマをすっていると分かる。得点を稼ごうとしているように思えて、コンパの席で話すことではないのではと思う佳代だったが、OL時代を思うと、確かに自分もそういうヨイショをしたかもしれない。
 料理はアジア系が多かったが、中華の影響を受けているものが中心だった。全体的にスパイシーで南米風なものも多い。メニューで一番目立つ大きな写真は、中国東北部の料理だろうか、ヤギの串焼きや麺料理だ。
 急に佳代が叫んだ。
 「あっ、私、このお焼きみたいなのが食べたいです」
 実際の見た目は天ぷら風であったが、切り口が見えるように盛られたサンプル写真は具沢山で、昔デパートの催事場で開催されていたご当地展で食べた長野のお焼きに見える。佳代は、肉まんとかピロシキとか、こういう生地に包んだ食べ物に目がない。
 海鮮と豚肉のものがあったが、佳代は海鮮を頼んだ。
 ブ男はいなかったが格別好みの男性もいない佳代は、男性の話に相槌を打ちながらも、食べる方に気が向いていた。それでも男性陣は佳代への興味が強い上、頼んだ料理も珍しかったので、話の流れが佳代の方に寄って行った。
 それを察した千里は同僚に気を使って、2人に向かって何か注文しようと提案した。
  「なんですか、このビャービャー麺て、ビャービャーだって!ビャービャー!」
 ケラケラ笑う千里は、男性陣にもらい笑するよう誘い、島崎に注文するよう提案させた。
 佳代の正面の男性がメニューを覗き込んで、「ジャージャー麺とは違うの?」と訊く。
 「知らなーい(女性一同)」
 写真を見る限り、麺は幅の広いうどんのようで盛り付けは有名な大盛ラーメンの汁無し版の様である。店員の話によると、れっきとした陝西省の名物らしい。
 正確にはビャンビャン麺というらしいが、千里がおかしな言い方をするので、変な呼び名が定着してしまった。男女全員はビャービャー麺に興味津々。千里の誘導が大当たりだ。それでも佳代が頼んだ料理が先に届くと、男性陣の興味は佳代へと注がれた。
 佳代の一挙一動に注目が集まると、佳代も大人しくしているわけにはいかず、少し可愛こぶって実況を始めた。
 写真で見たのと違って、見た目は玉ねぎの輪切りをてんぷらにしたようだったが、さっくりとした衣を割ると、エビや貝のうま味が詰まった汁があふれ出る。
 日本の海鮮かき揚げといったところだろう。かき揚げの場合、衣に具を混ぜて揚げるが、これは具を中心にして衣で包んで揚げている。味は中華風で、海鮮小龍包に似ていた。 
 「どうやって包んで揚げたのかな」
 小柳という男性が、不意につぶやく。
 「・・・・?」
 確かに、どうやって包んだのだろうかと思うばかりで、佳代も答えられない。
 具はそれぞれがバラバラで、円盤状に固めることはできない。そのままでは衣をつけて一つの形にできそうもない。冷やせばゼリー状になるスープも使っていない。大きめのものが1つだけなので、みんなで分けることができず、勝手に手を出した千里と、料理上手の沼崎が代表して食べてみる。あれやこれやと意見を出し合ったものの、結局答えが出ないままビャービャー麺が席に運ばれてきた。
 自分が話題の中心になっていると気づいていた佳代は、必要以上に興味津々のふりをして、麺を取り分ける島崎に注目を向ける。頼んだのは1人前だったが、全員に2口分程度の量を分けるには十分だった。
 「冷し中華?」
 「本当だ」
 1人の男性が言うと、他の男性たちも口々にそう答える。汁はなく、ラー油のような油が皿に薄く溜まっていた。どことなく油そばのようもみえる。別名は油泼扯面(ヨウプォチャーメン)というのだから、似ていてもおかしくない。
 具の盛り付けは具沢山なジャージャー麺みたいだ。ジャージャー麺からタレを除いた感じで、ニンジン、昆布、キュウリ、ハムが放射線状に飾られている。真ん中に乗った香菜の香りが鮮烈で、食欲をそそる。和えて食べるそうだ。
 食べてみるとラー油と違うのか、唐辛子の辛さは無い。最初の方は香菜、山椒が効いていて、全体的に山椒の辛みが強い。下の方は塩辛さが強くて、日本の味ではない。以前千里と食べた本場の汁無し担々麺を思い出した。
 細かいものがかかっていたのでナッツかと思ったら、ニンニクの欠片だ。少し臭いが気になるが、みんなでニンニク臭いなら没問題か?千里は気にせず、ニンニクへGOだ。
 男性陣は油そばと表現したが、佳代の知っている油そばのイメージは太めのモチモチした麺で、ゴマ油と葱のイメージだ。
 (油そばを最後に食べたのは5年前?10年前?)
 殆ど味に記憶はないが、食べれば思い出せる程度の記憶は残っている。知らずに食べても、油そばのバリエーションのようには思えない。タイプが全く違うのだけは分かった。
 しかし、みんなで食べるならと箸をのばした佳代も、どう表現して良いか分からない。
 日本の今風ラーメンほど太くなく、中華麺ほど細くもない。ジャージャー麺や刀削麺ともだいぶ様相が異なっている。佳代と千里以外の全員は、このようなラーメンを食べたことがなかったので、冷し中華風油そばと表現して決着した。千里は汁無し担々麺に似ている、とアイコンタクトしてきたが、同僚に配慮して黙っている。佳代も油そばや冷し中華と大分違うと思っていたが、黙っていた。詳しい人がいたのなら、この席の会話を否定して説明したい気持ちでいっぱいだっただろう。
 この麺料理は、中国の陝西省西安料理で、まな板の上に生地をたたきつけて、麺状になるまで伸ばしていき、最後に長さを整えて切り分け、茹でて完成となる。生地をたたきつけるときにビャーンビャーンと音が出ることから、ビャンビャン麺と名付けられた。他にも諸説あるらしい。
 佳代は気がついて思った。
 (麺が写真と違うよね、代用?)
 店によっては幅広麺を使用する店もあるが、現在この店は普通の幅の麺を使用しており、幅広の麺料理は別にあった。
 一部の参加者が気づいていた通り、このレストランのオーナーは中国出身で、メニューの上の方に大きく中華料理を紹介することで地元愛を表現していた。
 オーナーの出身地は乾燥していて稲作に適していなかったため歴史的に麦が栽培されており、昔から麦を原材料とした麺料理を主食としていた。
 店の麺料理のほとんどは地元を中心とする中華料理で、その味は評判でファンも多い。
 地元愛の努力むなしく、このコンパで頼まれたオーナーの郷土料理はビャービャー麺の1つだけだった。中華料理は他に中華天ぷらのみだ。
 前半に頼まれたのは東南アジアの料理が中心で、後半お酒が中心になってからは、アヒージョやカルパッチョ、ソーセージやハムなど、洋風の1品料理が中心だった。
 食事が終わって外に出ると、まだ8時。女性陣を中心に2次会に行こうとの話になっていたが、食べることが中心だった佳代はお腹がいっぱいで、これからまた飲みに行く気にはなれず、帰ることにした。
 「それなら、僕が駅まで送っていきますよ」
 佳代から見て一番右端の島崎の正面に坐っていた小柳が声をかけてきた。
 男性陣の中で一番背が高い180cmで、細身ながらがっしりしていそうな立ち振る舞い。白髪は無く、整髪料を使ってふんわりしたオールバックを表現している。少し日焼けした肌はお手入れをしている風ではないものの、ニキビ跡はない。35歳の男性の肌としては綺麗な方だ。
 小柳は佳代に興味を抱いていたが、その時の佳代は何とも思っていなかった。
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