生んでくれてありがとう

緒方宗谷

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自宅介護

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 2社目のお弁当は、1社目と大分印象が異なった。
 器が小さくて食材がこんもり盛られていたため、見た目のしょんぼり感はなかった上、食材の水っぽさが無い。高齢者用ではなく、ランチメニューといった様相だ。
 「私は、こっちの方が好きだなぁ」
 半分近くがご飯であったため、おかずの量は1社目と比べて少なかったが、千里が選んだお弁当のほとんどが炊き込みご飯であったことと、炭水化物が多かったため、味的に満足できたようだ。
 今思うと、1社目は本当に体の弱った高齢者向けのケア弁当だと感じた。今回のお弁当と違ってのど越しがよく、若い2人のあごならほとんど咬まなくても呑み込めた。さらに、食材や調味料の特性を生かして、少しとろみがついていたように思える。今回のお弁当には、そのような要素は感じられない。
 「そうだ、久しぶりに、下目黒のインド料理食べない?」
 唐突に千里が提案してきた。
 「ん~、そうね、いいかも」
 2社目の4食目を千里の家で食べている今日の時点で、連日5食、土日を飛ばして、連日4食の計9食が健康弁当では、さすがの佳代も舌が飽きてくる。
 このあたりも大分変ってしまった。2人が東京に出てきたときには、再開発は既に始まっていたが、いまだに続いている。
 東急の駅ビルなど今風の建物が建ち始める中、まだほとんどは昭和の雑居ビルといった町並みで、まだまだおしゃれといった風ではない。
 下目黒に行ったのは、カレーを食べた3回だけだったが、千里の話によると、多くの建物が建て替わり、道路の拡張工事をしているので、既に大部様相が変わっている。
 「本当は私、あっちの方に住みたかったんだよね」
 5丁目の方には大きな森のような公園があり、スタイリッシュなマンションが立ち並ぶ閑静な地域だ。千葉時代に見たドラマの主人公が住んでいたマンションにあこがれた千里は、そこが目黒であることをネットで突き止め、いつか上京したらそこに住むと決めていたらしい。
 大学を卒業して、目当てのマンションの傍にある不動産屋に問い合わせたが、残念ながら満室であった。仮に満室でなかったとしても、千里の初年給で借りるのは困難な家賃だ。その周辺のマンションも内覧したが、気に入ったところは家賃が高く、あきらめるしかなかった。そもそも、千里が探していた間取りが2LDKだから、もともと借りるのは無理がある。 
 次に千里が考えたのは、佳代と連絡を取り合いやすい場所であったが、目黒に住みたいという思いを捨てきれず、今のマンションに落ち着いた。
 「千里のも私のも、朝食向きじゃないね」
 5日目の朝食、2社目の最後のお弁当は、佳代が鮭フライ、千里がステーキ弁当だった。
 高齢者向けのお弁当にステーキとは驚きだが、実際食べてみると、成型肉なのか、歯ごたえはほとんどなく、簡単にかみ切ることができた。味はそこそこ美味しかったが、1社目や施設の料理と比べて味が濃いように思える。
 普段、7時半くらいまで起きない千里であったが、前夜にワインを飲んで早くに寝てしまったこととアルコールの影響で眠りが浅かったせいで、5時に起きた佳代に合わせて5時半にベッドから出てシャワーを浴び、7時前に朝食を食べることになった。
 鮭フライの方はというと、ごく普通の味であった。コンビニのより小ぶりだが、厚みがあるようだ。グリンピースごはんが鮭の塩気を程よく散らし、時折箸を伸ばすヒジキと切り干し大根がうまく口直しをしてくれる。厚焼き玉子も甘くなくて美味しい。
 ステーキ弁当には、ほうれん草の胡麻和えとパセリのかかったじゃが芋、ステーキの下にナポリタンが少量敷いてある。
 この会社のお弁当は、比較的元気な高齢者向けのように思えた。更に、忙しいお母さんが子供に食べさせても違和感がない。
 2人とも、食べた感想は2社目の方が美味しいと言うことで一致した。しかし佳代としては、介護が必要な高齢者向けのお弁当を知りたいと試したものだから、1社目の方を評価している。
 だが、介護が必要にならないためには健康寿命を延ばす必要があり、健康寿命を延ばすためには、作る手間を省き簡単に食卓に乗せられて、目で楽しめて食べておいしい栄養豊富なお弁当が必要だ。結局食べる高齢者の身体状況次第で、どのお弁当が優位か変わる。
 不意に、千里はピコンとおでこに電球が灯ったような笑顔を見せた。
 「おじいちゃんには1社目のを食べてもらって、その間に私が2社目のを食べるのはどう?」
 ケラケラ笑いながら千里が言った。それも一つ真をついた言葉だ。
 介護職に対して、ふんわりと高齢者のためになる仕事とイメージしていた。しかし、だいぶ異なっていることに気付いた。想像できているつもりだったテレビや本で知っていた介護の辛さも、全く想像できていなかった。百聞は一見にしかずと言うが、確かにその通りだ。
 家庭で介護をするのであれば、主に主婦がすることになる。家事や他の家族の世話をして更に介護をするとなれば、とても大変なことだ。その中で、美味しいお弁当という楽しみがあったほうが、大変な介護作業のストレスを楽しいランチタイムが相殺して、少し気持ちを楽にしてくれるかもしれない。
 佳代はふと思った。
 「私もいつかは、お父さんやお母さんの介護をするのかな」
 まだ60代の両親が介護を受ける姿など、全く想像できなかった。
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