生んでくれてありがとう

緒方宗谷

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日常2

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 「あーんしてください、エビのあんかけしんじょですよぉ」
 佳代の声が響く。とても静かだった5階は、11時を過ぎたころから大変にぎやかになる。普段は1人で生活できる入所者がみな集まってくるからだ。
 寝たきりの人たちにお昼を配り終えた佳代が5階に戻ってくると、213号室の武田さんとすれ違い、あいさつを交わした。
 「ごちそうさん」
 「お粗末さまでした」
 杖を突いているもののスタスタと歩ける足腰のしっかりした85歳の男性。お昼の時しか会わないが、元気でちゃんとあいさつをしてくれるいい人だ。
 佳代は部屋を見渡し、一人で食べられていない人を探した。
 30人が集まる食事の席で、食事介助が必要な人は5人、いつもは一人で食べられる人も、ちょっとした体調の変化で介助が必要になることもあるので、最低5人以上のスタッフが必要なのだが、今日は2人しかいない。通常でも3人だ。
 入って1カ月の新人が突然辞めてしまったのが原因で、今日のリーダーはてんてこ舞いの様子。11時半に休憩に行ったスタッフもみんな心配していた。
 今佳代がしんじょを食べさせた竹本さんも痴ほう症で、全くしゃべってくれない。ふさぎ込んだようにいつもうつむいている。
 実際は背中が曲がって猫背になっていて、背を伸ばせない。食事の時もうつむいたままなので、少し食べさせづらい。それでも女性にしては口が大きく、中くらいのスプーンに盛ったご飯を難なく口に入れてくれるし、食欲も旺盛なので割と早く完食してくれる。
 食事の進捗状況を確認したリーダーが言った。
 「早坂さん、安村さんの食介もしてくれる?」
 「はーい」
 安村さんはしわしわの可愛いお婆ちゃんで、″私は小さいことから良く可愛がられた子だったよ″、といつも言っていた。
 たくさん人がいると驚く安村さんに、佳代は優しく語りかける。
 「そうですねぇ、ここのご飯は評判で人気があるんですよ、だから、こんなに沢山食べに来るんですよ」
 安村さんは、いつもびっくりしたようにごはんを褒め称えるので、佳代は“とても人気があるんですよ”、といつも同じ言葉を返していた。
 「名前はなんていうの?は・や・さ・か?
  早坂さんていうの?私が探さなかったばっかりに、あなた今もひとりでしょう?ごめんねぇ」
 いつも自分の一人身を案じる安村さんの言葉に、佳代は軽く答えにくさを感じる。
 (彼いない歴、何年だったかな~?)
 高1の時に初の彼氏ができて、そのまま3年まで付き合っていた。千葉の田舎の田んぼに囲まれていて、1人の不良もおらず、良くも悪くもない公立の高校だった。佳代も彼氏も特別目立った生徒でもなかったし、デートといえば下校時の喫茶店デートか映画を見に行くくらい。
 2年半の恋人生活の中で、キスもしたことはない。3年のバレンタインデーの夜に手をつなで帰った位しか、恋人らしいことはしていない。
 大学に入ってからの東京生活は、毎日バイト飲み会、バイト飲み会の繰り返しだった。酔った勢いでキスをしたことはあったが、在学中に彼氏はいなかった。
 (男友達は結構いたんだけどなぁ)
 社会人になってすぐに同期の男の子といい感じの仲になったが、入社3年目に注文データの管理者に抜擢されてからは定時に帰れることはなくなり、いつも22時位。
 定時に帰る営業の彼氏とも段々と疎遠になり、いつの間にか自然消滅してしまった。今では所帯持ちで、子供2人のお父さんだ。
 それ以降彼氏無しの佳代にとって、安村さんの言葉は耳が痛い。
 (ここで彼氏を探そうにも、スタッフの男の人は50代、お客さんは80歳とか90歳とか?)
 無理だ。その一言しか思い浮かばない。
 以前に誰かスタッフが言っていた“介護の仕事は友達がいなくなる。周りと時間が合わないからね”という言葉がよく頭をよぎる。
 (まさか、一生このまま?)
 安村さんは食が細く半分食べればよい方だが、おちょこ口で口に入る一匙の量が少なく時間がかかる。その間、人生に多少の不安を覚えながら食事介助しているのだ。
 (うーん、我ながら頑張っていますよ)
 自分の悩みなんてこれ程度しかない佳代にとっては、それもまあ楽しい仕事だ。それでもご飯を半分以上残してお腹いっぱいと食べるのを拒否されると、楽しい介助が急に不安に暗転する。
 他のスタッフが安村さんを食事介助するときも半分程度しか食べさせていないし、リーダーもこのくらい食べられればいいというが、いつも佳代は心配になる。実際のところ、栄養豊富な飲み物を1日2回飲んでいるので、栄養面での問題はない。だが、働き始めたばかりの彼女にとっては、慣れない瞬間だ。
 いつかは慣れるのだろうと思ってはいるが、微かに弱っているように感じることもある安村さんに接していると、直感的に慣れてはいけないんだとも思える。
 本人も気がついてはいないが、心の奥底では葛藤が生まれつつあった。



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