蜜吸のスズと白蛇のハル

緒方宗谷

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相手の幸せを願っているはずなのに、それが相手のためではなく自らの幸せのためかもしれない 下

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 「お母さん、わたしを心配して、わざわざ花の里まで来てくれて、本当にありがとう。
  わたしね、お母さんの優しさが本当にうれしいのよ。
  さ、さ、お酌をして疲れをねぎらってあげるから、わたしのお酒を飲んでちょうだい」
 久しぶりに会った愛娘が、わざわざお酌してくれるというのです。ハルは納戸から持ってきた自分と同じ大きさの茶色いツボの木蓋を開けて、5年物の紹興酒を焼き物のお椀に注ぎました。
 ハルは、懐かしむような笑顔で母蛇を見つめ上げます。
 「花の里で別れた時、わたしの髪は短かったけど、今はお母さんみたく長くなってきたわね。
  真っ直ぐな黒髪だし、おめめもぱっちり二重だから、わたしは絶対にお母さん似よ。
  わたし、絶対にお母さんみたく美人になるわ」
 花の精達の服装は上下が繋がったスカート状のローブでしたが、蛇の精達の装いは少し違います。男性の上着は、袖が手首に向かって徐々に広がり、丈は膝まであました。前で左右を重ねて縦に連なった幾つもの輪っかを飾りの玉細工に引っ掛けて、下はズボン姿。女性は上下が繋がったスカート状の衣でしたが、男性と同じく、前で左右を重ねて幾つもの紐で縛っています。短いスリットがあって、独特の文化です。
 男性と違って、肩から腰のあたりまで沢山の飾り紐が付いていて、それを蝶々結びにしていました。華やかな柄のキルトで、手が込んでいます。母蛇は、真っ赤な生地に花の刺繍が施された素敵な衣装でした。
 可愛い娘にこんな風に言われては、嬉しくならないわけがありません。知らず知らずの内に酒量が増えていきました。ですが、何杯飲んでも、母蛇は酔いつぶれません。ハルは、いくつもの壺を引きずって来ては、お母さんに飲ませました。
 「お母さんてば、本当にお酒が強いのね、感心しちゃうわ」
 蛇の里でお酒に強い、と言われるのは、大変嬉しい褒め言葉です。ハルは続けて言いました。
 「でも、今度持ってきたお酒は、とても飲めないでしょう? だって、紹興酒より強いんですもの」
 そう言って、白いカメの封を剥がしました。透明の白酒が入っています。とても度数の高いお酒でした。
 「子供だから、注ぐのが疲れたわ。
  それに、お母さんのお強いところが見たいから、このまま飲んでくださいな。
  それ、イッキ♪ イッキ♪ イッキ♪ イッキ♪♪ はぁい、イッキ♪ イッキ♪ イッキ♪ イッキ♪♪」
 ハルは手を叩いて、ニョロニョロと踊り始めます。楽しいリズムで、ついつい母蛇もニョロニョロしだして、遂には蛇の姿になってしまいました。そのままカメに頭を突っ込んで、イッキ♪ イッキ♪ イッキ♪ イッキ♪♪
 ハルは、飲み終わる前に新しいカメを用意して、間髪入れずにどんどん飲ませます。
 「飲め飲め吐け吐け♪ 飲め飲め吐け吐け♪ 飲め飲め吐け吐け♪ ッゴックン♪♪」
 グーの手を左右交互に上げ下げして、ハルは小躍りを踊りながら盛り上げていきます。
 皆さんは、もうお分かりかとは思いますが、遂に母蛇は酔いつぶれてしまいました。この様な神話は、世界中に沢山あります。もう少し後の時代になりますが、八岐大蛇という大蛇が、沢山のお酒を飲んで酔いつぶれてしまい、首ちょんぱにされてしまったりします。
 母蛇は、真っ直ぐ床に臥せって寝ています。しばらくハルはジーと様子を窺っていましたが、まぶたを引っ張ってみたり、頭を叩いてみたり、つねってみたりして、完全に寝ていることを確認すると、意を決して口を開いて、モソモソと喉の奥に入っていきました。
 幸い縦一文字に寝ていてくれたので、意外に簡単に奥まで進んでいけます。「うんしょ、んしょ」とウサギ歩きで進んでいくと、前の方からも「うんしょ、うんしょ」と声が聞こえてきました。スズです。なんとスズが生きていたのです。食べられてから何週間も経っているというのに、どのようにしてスズは生きていることが出来たのでしょうか。
 実は、足の爪を使って胃の入り口に引っ掛かっていたのです。まだ生え揃ってはいないとはいえ、大人の羽も引っかかるのに役立ちました。
 ハルを見つけたスズは、急かされる様にハルに向かって突進してきて、まくしたてる様に喋り始めました。口がいくつあっても足りない様子で、色々な事を同時に話そうとしています。
 「もー大変だったのよ! 上からお酒の雨が降ってきて、臭いやら辛いやらで、気持ち悪くて吐きそうなのやよ」
 「わははははははっ(汗)」
 ハルは動揺を隠すように笑うしかありません。自分がしたとは言いませんでした。
 「さあスズちゃん、急いで出ましょうよ」
 そう続けて言うと、スズを伴って今来た道を戻っていきます。ちょうど喉仏のところまできた時でした。
 「あ~れ~」
 2人は今来た道を真っ逆さま。胃液の中へドボーンと落ちてしまいました。
 目を覚ました母蛇が、突然頭をあげてしまったのです。
 何という事でしょう。バラの精霊から貰ったお洋服は、みるみる溶け始めます。急いで胃壁をよじ登ろうとしますが、ヌメヌメして上ることが出来ません。ポチャッと胃液に落ちたスズは泣き始めました。
 「もうお終いだわ! わたしは死ぬのよ! だってそうでしょう? 可愛い乙女の命は儚いっていうじゃない!? わたし可愛いから、もう死ぬんだわ!!  わ~ん!!」
 「諦めないで、スズちゃん、まだ助かる方法があるのよ。
  わたしが蛇になって、ハシゴになるから登るのよ。
  上からわたしを引っ張り上げてくれれば、2人とも助かるわ」
 スズは、「ひっくひっく」と嗚咽しながら頷きます。蛇の姿になったハルは、胃壁をかじって一生懸命逆立ちしました。スズはウロコに手足を引っ掛けて、うんしょ、うんしょと上って行きます。
 「がぼがぼがぼがぼ、お酒臭ーい!!」ハルの頭が溺れています。
 胃液は、お酒のお陰でだいぶ薄まっていましたが、子供のハルにとっては、苦くて臭くて堪ったものではありません。胃液に半分顔が浸かっていましたから、大変です。
 なんとか胃の入り口に登ったスズは、一生懸命ハルと引き上げようとしますが、上手くいきません。あと少しの所で、2人してすってんころり。またまた胃液の中へドブーンと落ちてしまいました。
 またもスズが泣き始めます。
 「やっぱり駄目だったわ。わたしもう死ぬのね!? 儚い人生だったわ、さようなら、ハルちゃん、さようなら、バラ様、うわ~ん」
 ハルはスズを励ましましたが、もうどうしようもありませんでした。
 母蛇は、いなくなった子蛇を探して、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、大慌てです。一向に見つからない我が子を心配して、もう気がおかしくなりそうでした。
 「ああ、そうなんだわ、あの子ったら、あの小鳥を食べてしまったわたしを恨んで、わたしを酔わせて家出をしてしまったのだわ。
  どうしたことでしょう、わたしはわたしの可愛い娘の事を思って、あの小鳥を食べたのに、それが最愛の友を奪う結果になってしまったのね」
 そんな時、お仕事から帰ってきた父蛇が慌てふためく妻を見て、何があったのか、と問いただします。かくかくしかじかと説明された父蛇は、時々ポコポコ膨らむ妻のお腹を見て、ピーンときました。
 「ちょっと横になりなりなさい。もしかしたら、お前のお腹の中で、まだ生きているのかもしれないよ」
 母蛇は何が何だかわかりませんが、とりあえず言われた通りに寝そべりました。父蛇は妻の口をあげて、ハルの事を呼んでみます。すると不思議なことに、母蛇の喉の奥から、はーいという返事が聞こえてくるではありませんか。
 母蛇はびっくりして、慌てて身を起こします。すると、食道にいた2人はコロコロコロと胃へ逆戻り。慌てて父蛇が母蛇を横にします。
 なんとか、「うんしょ、うんしょ」と這い出してきた2人は、ちょっと溶け始めていました。両親は2人を抱きかかえて、急いでお風呂場に連れて行って、湯船に入れてシャワーをかけました。
 胃液を洗い流したおかげで、2人は溶けてしまうのを免れることが出来ました。ですが、バラからいただいたお洋服は溶けてしまって、つんつるてんです。2人はフワフワのタオルで拭いてもらって、手足の口がすぼんだお揃いの赤ちゃん服を着せてもらいました。 
 大変な大冒険でしたが、ハルとスズの2人はとてもにこやかで楽しそう。
 母蛇は、ハルとスズに泣いて謝り、またお城で暮らすことを許してくれました。お父さんが優しく母蛇を説得してくれたからです。ハルは、「お父さんだーい好き」と頬ずりをしました。
 お風呂から上がった2人は、リビングの暖炉の前で髪を乾かします。リリリリリリリリ、と奏でる鈴虫の入った虫かごを楽しみました。初めて聞いた虫の音色に、スズは楽しくなりました。
 「だから、あんなにわたしに虫をプレゼントしてくれたのね、・・・死んでたけど」
 「そうよ、わたしは2人で、こんな風に虫の音色を楽しみかったの、・・・死んでたけど」
 素敵な音を奏でる虫だと、死んで鳴かなくなった虫を大量にプレゼントした記憶は、ハルにとって消し去りたい恥ずかしい過去でしたが、「てへっ」と恥ずかし笑い1つで誤魔化しました。
 「さあさあ、お夕食の時間ですよ」母蛇が2人を呼びます。
 何週間も飲まず食わずでいたスズには、待ちに待ったご飯です。「うわぁ(喜)」と満面の笑みを浮かべて、ハルのお母さんが作ってくれたお夕食を覗き込みます。
 食卓に並んだお皿に乗っていたのは、チキンカレーに棒棒鶏、バジルのサラダチキン、から揚げに参鶏湯。
 「・・・・・・・・」スズ絶句。
 スズは、上下の歯を合わせてイーとしながら、目を萎めました。ハルを見やると、美味しそうにハムハムしています。スズと目のあったハルは、何故食べないのか不思議そうにしながら、頬張っていました。
 「あなた、本当にわたしの事が好きなの?」スズが訊きます。
 「大好きだよ」ハルは無垢な心で言いました。
 好きは好きでも、美味しそうだから大好きなんてオチやーよ、と思うスズでした。



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