蜜吸のスズと白蛇のハル

緒方宗谷

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一緒にいる仲間は、本当に仲間ですか?

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 何故、花の里は軍隊を動かすことになったのでしょうか。実は、平和な天界にある2つの事件が起こっていたのです。
 1つは3000年ほど昔、花の里の南西にある巨石の精霊が住む森の端で、疫病が発生していました。
 ゴマダラカミキリとその幼虫であるテッポウムシによって、多くの木々が幹肌を抉られ、体内に穴を開けられ、死んでしまったのです。
 ちょうどその時、南方を旅行していた花の姫は、お守り役の松の神、パンジーの神、つくしの精と蜜蜂の精、そして、連れていたまだ幼いバラの精と共に、木を蝕む気の狂った害虫達と闘い、駆除した事件がありました。
 5000年の姫の人生の中で、初陣にして唯一の戦いでした。当時はまだ2000歳前半でしたが、既に神の地位にあり、多くの木々を病から救ったのです。今でもまだ妖精の地位いるバラは全く役に立ちませんでしたが、一生懸命姫と頑張ったのでした。
 町から駆け付けた米の医師団によって、疫病との戦いは引き継がれ、それから現在まで、巨石の森で疫病は発生していません。
 虫の住まない花の里でしたが、時折魂の無い害虫が入り込んだり、悪さをする虫の精が湧くこともありました。ですが、殆どはとても弱い存在なので、大抵は病院に行かなくても自分達で駆除できてしまいます。大抵は、里を訪れた虫の観光客から生まれた虫ですから、大ごとにはなりません。
 なのに、何本もの木が死にました。自覚症状が無い木々にもテッポウムシが巣食っていたり、卵がついていたりしました。発病地域に生えていた木々が考えていたよりも広範囲に、感染は広がっていたのです。
 宮殿の医療隊に引き継がれて終息宣言が出された後も、なぜこれほど大ごとになったか調査が行われました。
 いつどこから侵入してきた害虫なのか分かりません。ゴマダラカミキリは天界に属する虫の里の民ですから、わざと精を森に巣食わせることなど考えられません。実際、虫の里の協力を得て、花の里を旅行したカミキリ達を追跡調査しましたが、彼らが原因ではありませんでした。
 調査は難航して3000年が経ち、発生源に住む者達の間でも、被害者を除いて事件を忘れかけていた頃でした。
 調査を担当していた檜の神が、檜の大臣に報告を持ってきたのです。花の主神の前で、檜の大臣からその報告が伝えられると、謁見の間は騒然となしました。ゴマダラカミキリとその子らは、全てが堕天していたというのです。
 堕天していたという事は、魔界の住民となっていたという事です。
 魔界といっても、そこに住む者達は、天界の者達と変わりません。大半は呼び名が違う程度で、戦争にでもならなければ、神や精霊を襲ってくる事はありません。悪魔だからと言って絶対の悪の存在ではありませんでした。
 神にも荒ぶる神とか軍神、戦神と呼ばれるおっかない神がいます。悪魔にも病を祓ったり、良い事をする悪魔がいます。
 中には蠅の悪魔王やその皇子、蛾の大魔王の様に、本当に恐ろしい邪悪な存在もいます。特に蛾の大魔王は残虐で、身に帯びた毒で、触れる者を皆全て殺戮してしまいます。芋虫ですら、魔王の地位についているが者いるほどで、蠅の悪魔王ですらそばに寄りません。
 残忍な蠅の悪魔が悪魔王になった事で、魔界の民が公に花の里を訪問することは出来なくなりました。悪魔位になれば来られないこともありませんが、精程度ではとても結界の中に入ってくることは出来ません。
 にもかかわらず、ゴマダラカミキリの物の怪は侵入していたのです。何者かが手引きしていた、と考えるのが妥当でした。
 2つ目は今から数年前、天界の一番端にある雲海に、度々魔界の海賊船らしき船が現れていました。それほど大きくない船体は木造で、下等なドラゴンを従えています。天界の端の方には誰も住んでいなかったので、これといった被害は起きていません。
 当時、イルカの中位精霊率いる保安隊が潮を噴いたり、隊員のイルカの精霊が「キュイ―キュイ―」と鳴き声をあげたりして、追い払おうとしていました。
 幾度もそれを繰り返したある日、威嚇の為に海賊船らしき船をイルカが飛び越えようとジャンプした時、誤って船の帆に当ってしまいました。マストは折れ、その下敷きになった船員のマダニの妖怪が、幾人か潰れてしまいました。イルカの隊員も甲板に落ちて、怪我をしてしまった様子です。
 イルカの隊長は緊張しました。しかし、天界の威信にかけて退くわけにはいきません。配下のイルカで包囲し、甲板に叩きつけられて海に落ちた1頭を退かせます。
 長い間にらみ合いが続きました。海賊船は何とかして逃れようとして、1カ月近く一進一退を繰り返しましたが、成果が上がることなく、とうとう食料が尽きてしまいました。
 食糧庫には、血の入った袋が満載されていましたが、今は空っぽの袋が散乱しているだけです。ですが、しばらくは何ともありません。なぜなら、マダニの胃袋は大変大きく、何倍もの大きさに膨らますことが出来ます。胃袋いっぱいに血を蓄えていたので、お腹が空きません。
 しかし、胃袋が空になると、すぐに散乱した空の血袋は引き裂かれて、中にこびり付いた固まりかけた血が舐めとられてしまいました。胃が空っぽになったマダニの妖怪達は、我先にと、食糧庫に捨て置かれた血袋を引き裂いて、腹を満たそうとしたのです。
 それも尽きると、マダニの妖怪達は争いをはじめ、仲間同士で腹を殴り合い始めました。腹に残った栄養を少しでも胃液と一緒に吐き出させ、それを奪って舐めるためです。何年も一緒に過ごした仲間で、1カ月も天の保安隊という敵と対峙してきた戦友だというのに、みんな暴徒と化してなぐり合っていました。近づいてくるイルカを目の前にしてなお、殴り合いをやめません。
 騒然とする船上を見つめていたイルカの隊長は、仕掛けた兵糧攻めが上手くいって、ホッとしていました。しかし、敵の親玉も、ただのチンピラではありません。
 親玉は、ヒルの中位妖魔でした。ヒルの妖魔は、持っていた三日月刀で1匹のマダニを切りつけて言いました。
 「このままじゃラチがあかねぇ! 仲間同士で殺し合って全滅しちまう。
  こうなったら、強行突破だ! いけー!!」
 突然走り出した船を止めようとしたイルカの保安隊と激突し、戦闘が開始されてしまいました。イルカ達も応戦しました。天界に土足で踏み入られたばかりか、負傷兵までも出ていましたから、はいさようなら、と逃がすわけにはいきません。相手はただの妖魔と妖怪だけです。天界でいえば、精霊1人と精と妖精の集まりですから、精霊からなる保安隊の敵ではありません。すぐに決着がついてしまいました。もちろん、イルカ隊の大勝利です。
 ヒルの一味に仲間意識は育っていませんでした。誰1人として、お互いを親友と思っていませんでした。ヒルの親分に付き従えば、美味しい血に有りけるから、眷属をしているだけです。
 心から一緒にいたいとか、同じ志があるとか、同じ理想を信じているとか、そういう公明正大な心は持ち合わせていません。自分さえ美味しい思いが出来ればそれで良い、と思っている輩でした。
 ですから、窮地に陥った時、我先にと食料を奪い合い、暴徒と化してしまったのです。ヒルの精霊がいなければ、自滅していたことでしょう。
 しかし、イルカ達は違いました。彼らも食料が尽きかけていたのは同じでした。トビウオの精霊に命令して、基地に援軍を要請していました。
 帰ってきたトビウオの持ってきた伝令によると、補給船が向かってきてはいましたが、海戦域が辺境過ぎて、最短距離の基地からも遠く、戦闘が開始された日から数えても、1週間ほど待たなければなりません。早い段階から、自前の食料は到着までもたない、と隊長は考えていました。
 イルカの隊長は、規律正しく食料を最低限平等に分配しました。争わないように、何日もつかの計画を立てて、食糧が尽きる時、最後にお腹いっぱい食べて、攻め込む事にしたのです。
 お腹を空かせていた上、仲間同士で争った後のマダニに、戦う力は残っていませんでした。ヒルの妖魔はそこそこ強かったのですが、力を合わせてなんとか討ち滅ぼしました。
 隊長の賢明さと隊員の高い精神力、そして、マダニの愚かさのおかげで、最初に1頭のイルカが怪我をして以降は、負傷者もなく完全勝利に終わりました。
 しかし、問題はここからです。海賊船と思われていた船は海賊などではなく、魔軍の分隊の1つでした。海賊を装って保安隊を挑発して攻撃させ、それを口実に報復に出て、雲海を切り取ろうとしていたのです。保安隊はまんまと悪魔の謀略に乗ってしまったのでした。
 結末としては、魔界の思惑通りになってしまいましたが、誰もイルカの隊長を責めませんでした。逆に敬意の念を抱いて、帰還する隊を迎え入れました。彼らの規則正しく冷静な態度は、民の間でも、とても賞賛されたのでした。
 たった2つの事件でしたが、何万年もの長い間暗雲の発つことがなかった天界に、有事の火種が熾ったのです。太陽系位広大な天界の末端で起きた小さな事件で、どの里においても、殆どの精霊達は気にも留めませんでした。




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