愛するということ

緒方宗谷

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16.旅行3日目 

4.寝顔

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 今夜は満月だ。障子を通して部屋を照らす明かりは、とても優しく有紀子を包んでいる。淡い光の中で眠る有紀子の寝顔はとても可愛い。ちょっとイタズラしてみたくて、加奈子は有紀子の鼻を抓んだ。
 少し苦しそうな表情を浮かべると離し、安らかな表情に戻ると抓むを繰り返す。なんか楽しい。
 こんな日々がずっと続いてほしい。でも、いつまでも有紀子を独占してはいられない。(そろそろ巣立たせてあげないとね)とクスクス笑う。
 陸は悪い奴ではなかった。でも少し影があるな、と思う。有紀子は気が付いていない。事故の後遺症があるのだろうか。陸の明るさは、無関心さを装う演技なのではないか、と思った。
 陸は格好良いし、頭も悪くない(成績は真ん中辺)。スポーツ万能で、何でもそつなくこなす。少し器用貧乏な感じもするが、周りと比べてスベックが高いので、後れを取ることは無いようだ。
 今日一日で、有紀子と陸の距離はだいぶ縮まったように思う。普通に考えれば、夏休み明けには、誰もが2人を恋人同士と見なすだろう。その前に、告白という既成事実を演出した方がよいか、と加奈子は考えた。
 しかし、憂いもある。陸と里美の関係はどうなっているのだろう。たまに遊びに出かけているようだ。学校ではあまり話す機会は無いようだが、一緒に映画に行く仲くらいだろうか。
 二股をかけるような奴には渡したくない。2人を恋人同士にしてやりたい、という思いと同時に、もし陸が、有紀子を悲しませるような奴であるならば別れさせてやる、という決意もこみ上げていた。
 有紀子と付き合い始めて足掛け4年、この子ほど良い子はいない、と加奈子は確信している。
 初めて話したのは、中学2年生に進級して間もない頃だ。1年経ってもまだ小学生気分が抜けない男子が加奈子の髪を引っ張って、「おとこ女」とからかったことがあった。
 加奈子は初め、軽い抵抗を示す程度であったが、あまりのしつこさにキレてグーで殴ってしまった。その男子の体格は小さく、力で加奈子に敵わない。殴りかえそうとした男子に一発も腕を振らせず、2発殴って、更に蹴とばした。
 女子とは思えない勇猛果敢さに、クラス中は唖然としていた。しりもちをついて泣く男子を見下ろして、仁王立ちで拳をさする加奈子を見ているしかなかった。
 騒ぎで駆けつけた先生に事の経緯を話す加奈子であったが、やり過ぎだと逆に怒られて、渋々鼻血と涙を流す男子に謝らせられた。とても悔しい記憶だ。その時はとても忌々しくて、加奈子は唇を嚙んだ。
 誰も助けてくれない。私は悪くないのに。加奈子がそう思った時、声が聞こえた。「村上さんは悪くありません」と。振り返ると、いつも静かに本を読んでいる有紀子がいた。
 有紀子は勇気がある。特別頭が良いわけでも無いし、力があるわけでも無い、口が上手いわけでも無い。クラスでは影の薄い存在で、ヒエラルキーも真ん中辺だ。そんな彼女が、唯一助けてくれた。
 強い者が示す勇気なんて、勇気じゃない、と思う。みんなより強いんだから出来て当たり前だ。本当の勇気とは、敵が自分より強くても、味方がいなくてたった一人でも、立ち上がれる力のことを言うんだ。
 加奈子は、少年漫画を読んでそのように思っていた。
 有紀子は、加奈子にとって勇者(主人公)を救う女神(ヒロイン)となった。いつか王子様の様に、敵に囲まれた城から有紀子姫を救う。若しくはドラゴンから救うのだ。
 事あるごとに、この誓いを新たにする。そして今日、青白い月明かりと有紀子の寝顔に、改めて誓いを立てた。
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