愛するということ

緒方宗谷

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9.資料館 

1.ナショナリズム

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「意外とおいしかったね、ひいちゃん」里美が、店を出てすぐに言った。
「そうだね、昔の屋台のラーメンを思い出すよ。東京ラーメンってあんなだったね」
 意外だ。東京の昔のラーメンはああだったのか、と里美は思った。最近のラーメンは白濁としたスープが多いので、それが東京ラーメンだと思っていた。
 待っていてくれたタクシーに乗って、駅の方に戻る。2人して白河ラーメンという言葉を初めて聞いたと言うので、運転手は言った。
「喜多方よりこっちの方が早かったんですよ。向こうの方が先に有名になっちゃっただけで、白河の方が先なんです」
 なんかもの悲しさを感じるが、ラーメン文化はこっちのほうが古いのだと自慢しているようにも見えた。
 ついた先には、小さなレンガの家がある。その奥に民家みたいなのがあって、来た道を振り返ると、もう一つ建物があった。2つの貨物車両が置いてあるが、これといって観光する場所の様には見えない。ソーラーパネルがあるから、電気関係の展示でもあるのだろうか。
 運転手が、タクシーのドアを開けた。
「じゃあ、私はここで待っていますよ、お気を付けて、ごゆっくり」
 そう言う運転手にお礼を言って、2人は民家のような建物に歩いて行く。中に入ると、里美の想像とは違う空間が広がっていた。ただならぬ雰囲気を感じる。ナチスのホロスコートを中心に伝える施設だった。
 のっけから信じられない歴史が紹介される。初めはビデオ上映を見たが、歴史と呼ぶには生々しい人の悲劇が映し出されていた。画面に映る人々は役者ではない。現実に連行されて虐殺された人々なのだ。
 本当にこんなことが現実に起こり得るのだろうか。なぜ誰も間違っている、と言わないのか。
 里美は戦慄を覚えた。今まで、ナチスドイツを率いる悪魔の様なアドルフ・ヒトラーが突然やって来て、無理やりユダヤ人を連れ去って大殺戮を行った、と思っていた。
 だが、それは事実ではなかった。戦争が始まるだいぶ前から、ヒトラーは存在していたのだ。政党を作って、自己の政策や思想を主張していた。ビデオを見る限りでは民主的に首相になって、総統になったように見える。
 ビデオに映し出される民衆はヒトラーの演説に歓喜し、ベルリンから連れ去られるユダヤ人を侮蔑して追い立てている。ベンチにはドイツ人以外は座ってはならず、バスも商店もドイツ人以外は入店できない。誰もが然も当然であるかのように受け入れている。
 アメリカに住んでいた頃、アンネの日記は読んだ。1つの民族がとても悲惨な境遇に遭った事は知っている。600万人が虐殺されたのも知っている。だが、写真や映像で見るのは初めてだ。今の今まで、600万人とは、6と0と0と万という文字でしかなかった。
 虐殺されたのは600万という数字ではなく人一人だと、初めて認識した。画面に映る人々が一人一人殺されたのだ。そう思った瞬間に里美が受けた衝撃は凄まじかった。

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