愛するということ

緒方宗谷

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6.篠原里美

3.気質

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 日本に帰ってきてからも、里美は帰国子女の集まりで、ヘイト被害の傷をなめ合ったことがある。夢と希望を持って外国の大学に留学したのに、寮の部屋が一緒の人にイジメられて早期に帰国。改めて日本の大学に入りなおした人の話も聞いた。
 そういう目に遭いながら、里美も含めて戦争の知識が無いままなので、いつまで経っても言い返せない。相手の言っていることが、正しいのか間違っているのかも分からない。ただただ、苦笑いしてやり過ごそうとする。
 それでも里美は、日本人の中では自己主張できる方になっていた。友達は自己主張しないから、自然とリーダー格になる。
 自分の意見に周りが従ってくれるのは楽しい。相手を言い負かせることが出来ると、支配欲求が満たされてゾクゾクした。だから、当時(アメリカ時代)の私に罵声を浴びせていた人達は、私にマウンティングして悦に浸っていたのだと、里美は思うようになった。
 実際、上にいるのは楽しい。友達を下に見るのは悦に浸れる。自分より頭の良い子も少し可愛い子もお金持ちの子も、少し自己主張を押し付けるとしおらしくなった。優越感が堪らなかった。
 女子だけではない。男子も自分を見下さない。どういうわけか、男子間のヒエラルキーは上下がはっきりしている。
 自分達女子の場合、言葉や雰囲気といったあやふやな世界の中で、それぞれが自分の立ち位置を見つけてグループを成している。それに対して、男子は身長差や筋力差といった目で見えるもので立ち位置が違う。
 当然里美の身体では、男子に敵わない。それでも里美は、大抵の男子より格上に見られた。留学の影響で、里美の年齢が1歳年上だからかもしれない。それに加えて、そもそも男子のヒエラルキーは、男子間でしか通用しない。女子に暴力を振るってはいけない、という暗黙のルールがあるから、彼らは里美に対してなす術が無い。
 里美はそれを利用して、団体行動や何かを協力し合わなければならない時に男子と意見の対立があると、喝破若しくは論破した。
 言葉の暴力はこぶしの暴力と同じだということは分かっている。言葉攻めによって男子を追い詰めることは無かった。中3の時、一度男子を泣かしてしまったことがあったのだが、その時、自分のしたことは、ボコボコに殴るのと同じだと、里美は思った。
 こぶしの暴力はいけないが、言葉の暴力は良いというわけはない。里美はアメリカの経験から、人種民族男女は公平であるべきだと考えていたが、フェミニストにはならなかった。
 里美は、今なおアメリカのドラマの方が好きで、日本のものはあまり見ない。アメリカのドラマを友達に見せると、考え方や人間関係が複雑で詰まっていて理解できない、と言う。ある部分において、日本社会は遅れている、と感じる。
 日本のクラスで、里美は上に立つ少女に育った。だが、アメリカに行けば真ん中辺にいる普通の少女だろう。1chでやるようなアメリカの学園ドラマやホームドラマを見る度に、意見の多様性が大事だと痛感する。日本社会は、“今までそうだから”“みんなそうだから”という同調圧力が強い。正しくない習慣でもまかり通っていた。
 友達が、アメリカの学園ドラマを見て感じたであろうことを、里美は日本の学園生活の中で感じていた。
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