愛するということ

緒方宗谷

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3.転校生

6.失意

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 有紀子は無表情で泣き出した。泣くのを堪えていたのに、なぜか涙だけボロボロと溢れて零れ落ちる。
「だ、大丈夫だよ、記憶戻るって」
 そう慰める加奈子の声は届かない。
「こんなこと、こんなことって」
 1人呟きながら2人に背を向けた有紀子は、揺さぶられた心が沢山の露を落とすかのように、ブワッと泣き出した。
「有紀子……」加奈子がかけた言葉を遮って、有紀子が声を漏らした。
「悲しるすぎる、悲しすぎるよ……」
 一声かけた後、それ以上かける言葉が見当たらなかった加奈子は、雄大と顔を見合わせる。彼も何も声をかけられない様子だ。
「なんで……」
 そう呟いて去っていく有紀子を、加奈子は追いかけなかった。追いかけても自分に何ができるのか自問して、答えることが出来なかったからだ。それでもなお有紀子が心配で、少し距離を置いて後ろを歩いて一緒に帰った。
 その優しさに気付かず、1人歩く有紀子は空を見上げた。やっぱり空は曇っていてよかったんだと思った。なぜこんなことになったのか。記憶の中の陸は、「絶対戻って来るから」そう言って笑っていた。
 人の出会いと別れなんてそんなものだ。そういうふうに出来ているのだ。もともと記憶喪失になっていなかったとしても、私のことなんて覚えていない。早坂さん(舞)だって同じ小学校で同級生だった陸のことを覚えていなかったじゃないか。有紀子はそう自分に言い聞かせる。
(やっぱり、もう昔の思い出なのかな)踏ん切りがつかないのを無理やり踏ん切ろう、と努力した。何もしなかったけれど、努力した。
 加奈子はしばらくの間、有紀子を1人放っておいた。有紀子は部活には出てこなかったけれど、毎日ちゃんと学校には通って来ている。それだけで良かった。元気は無いけれど、有紀子のことを見守ることが出来るだけで満足だ。
 ある日の朝、学校への道のりで加奈子が有紀子に言った。
「陸君は、昔の写真を見て何か反応したんだよね、希望はあるじゃない?」
 意外に有紀子の立ち直りは早かった。折を見て陸の話題を出した加奈子は続けた。
「ご両親もその希望をいだいて東京に戻ってきたんだしさ、あわよくば親公認の関係を築けるんじゃない?」
 実は有紀子も同じことを考えていた。記憶が無いといっても、幼馴染という過去が消えたわけではない。陸に親身になって寄り添うことで可愛い彼女チックな関係を演出して、自然にそんな2人へと進展してしまおう、と考えていた。
「なかなか策士ですなぁ、有紀子殿」加奈子が、「ニシシ」と笑う。
 記憶が戻るに越したことは無いが、無ければ無いで新しい思い出を構築してしまえばいいのだ。これからの思い出という意味と同時に、失った過去の思い出も含む。2人の通する過去の思い出を教えて、新しい記憶として刻み込んでしまうのだ。

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