愛するということ

緒方宗谷

文字の大きさ
上 下
12 / 192
3.転校生

5.真相

しおりを挟む
 加奈子はとても憤慨していた。走る有紀子に追いついた加奈子は大声で言った。
「えー? 何で覚えていないわけ⁉ それで、どうして有紀も教室に戻ってきたのよ! ひっぱたいてやればよかったのに‼」
 しょぼんとする有紀子を加奈子が怒鳴りつけた。
「行くわよ‼‼」
「えっ、ちょっと! 何言ってるの⁉」
 行ってどうすれば良いのか、有紀子には全然わからなかった。
 階段を駆け下りて、1階の職員室の前を2人が通った時、学校では見慣れない中年の男性が声を駆けてきた。訪問者だろうか。何故か有紀子のことを知っているようだった。
「有紀子ちゃん? もしかして、有紀子ちゃんだったかな? 確か……」
「おじさん? えー、何でー⁉」
 有紀子はビックリして声をあげる。陸の父親の上条雄大だった。加奈子は面識が無かったが、2人の様子から陸の父親だと判断した。頭をかきながらため息をついて、挨拶もせずに雄大に話しかけた。
「おじさんは覚えているのに、何で陸君は……」
 雄大は少し困った顔をして目を逸らす。そして言った。
「実はね、陸は記憶喪失なんだ」
 一瞬、どういう意味か理解できなかった。後から理解が追いついた有紀子が口を開いて、ようやく出した言葉は、「そんな、うそ、どうして」だった。
 雄大は、その時のことを思い出して、耐えるかのようなつらそうな表情で言った。
「10歳の時に交通事故に遭ってね、それで……」
 高知に引っ越してからの陸についてゆっくりと話しだした雄大は、そのまま記憶喪失になってからの陸のことを話す。話すといっても、だいぶいろんなことを削ぎ落した内容だ。
「この間、昔のアルバムを見てね、微かな反応を見せたんで戻ってきたんだ」
 もともと上条家族が高知に引っ越したのは、老齢となって自立できなくなった雄大の両親の介護のためだった。今の時代、離れて暮らしているのなら老人ホームに入ってもらうか、訪問介護を頼むのが一般的だと思うが、雄大は違っていた。
 高知の豊かな自然の中で陸を育てたい、という思いもあったから、一石二鳥だと思えたのだ。相談した妻の奈々子は、快くその計画に賛同した。ただ、1人で介護をするのは大変だから、夫婦で協力し合うことと訪問介護を頼むこと、それが条件だ。
 陸の祖父母が他界して、夫婦は考えた。大掃除の時に押入れの奥から見つけた東京時代のアルバムを3人で見た時に示した陸の反応は、何かにびっくりした様子であったように記憶している。
 陸は、何か思い出せそうで思い出せなかったと笑ったが、夫婦はその言葉を真剣に受け止めた。そのことが忘れられない。写真だけでなく、肌身で思い出の環境を感じれば、もしかしたら記憶が戻るのではないか、と考えたのだ。
 奈々子としても、陸の記憶が甦ることに一縷の望みを託していた。母親としては、やはり育てた思い出を大切にしたい。事故が無くても幼少時代のことは普通覚えていない。それは重々承知している。だが、事故で記憶を失ったという事実は、何か自分と息子を断絶する障害なのだと感じていた。
 雄大は、家族で話し合った結果、事故で失った何かを取り戻せれば、と考えて戻って来たのだと語ってくれた。
しおりを挟む

処理中です...