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2.黒い婚約

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十八歳ともなると普通の貴族は結婚や婚約をしているもの。
自分の容姿が残念と噂されているのを分かっていながらも、こんなに周りより出遅れて取り残されるとは想像していなかった為、父の言葉に少なからず安堵していた。
こんな私でも嫁に欲しいと言ってくれている、それだけで嬉しかった。
「お相手の方はどなたですか?」
「……、…、……っ…」
向いのソファに腰を掛けた父が口を開けたり閉じたり、目を彷徨わせたかと思えば手元に落ちる。
そんな挙動不審に溜め息が漏れそうになるが、お腹に力を入れてそれを留める。
「お父様、私ももうそういう歳なのです。お父様が決めた方なら驚きも不満もありません」
わざと細くしていた目を開き、化粧品で描いたそばかすが消えない様に気を付けながら前髪を掻き分ける。
そして母似の笑顔を見せて落ち着かせる。
父は母似のこの顔にめっぽう弱くいつもなら頬を染めて落ち着きを取り戻すのだ………が、今回は失敗に終わった。
「私がこんな結婚承諾するわけがない!!」
火に油を注いだかのように父の感情が悪い方へ燃え上がってしまった。
座る二人を挟むテーブルを物凄い音を立てて殴り、額に血管を浮き上がらせながら真っ赤になる。
先程までとは百八十度違う態度にまばたきを忘れて凝視する。
「権力なんかに物を言わせる奴は本当に嫌いなんだ。子供の結婚を政治に利用するやり方も私は間違ってると思うし、結婚には愛が必須だというのも声を大にして言いたいっ!!」
父と母は大恋愛の末に結婚した。
兄も爵位を継ぐ身だが好きな相手と結ばれなさいという両親の助言で、今は私付きのメイドで姉のように慕っているアンルーシーと密かな愛を育んでいる。
かく言う私も教会から通う孤児のカインを密かに思っている。
だが、それを知るのはアンルーシーと兄だけ。
「で、その権力を盾に結婚をさせようとしているのはどこのどなたですか?」
「ルーファス様だ」
「ん?……………もう一度お願いします」
「第一王子のルーファス様だ」
このアバンムーラ国の王には一人の正室と三人の側室がいる。
正室には息子が一人。
側室にはどのような内訳かはしらないが、息子が二人と娘が三人。
王位継承権は正室の子供と決まっているが、その息子は年齢的には三番目の子供で第三王子。
すなわち、第一王子とは側室の息子ということで王位継承権はない。
その第一王子に何かあった場合は分からないが。
「あの、なぜ王族が私を?」
「ルーファス様はこの地域では有名な方で異国からの品を好んで買う方だ。だが良い意味で有名ではなくて不当な値下げ交渉や、権力を盾に献上しろと迫ったりと、私達からしても困った人物なんだ」
「謎が深まりました。私に目を付ける意味が分かりません。私は公爵でも侯爵でもなく子爵家の娘ですよ?」
「お前が私の娘でマイオンの妹だからだよ」
落ち着きを取り戻した父の声が見るからに元気を無くしていった。

★★★

ガチャ…
「お嬢様!!」
「カイン、お待たせ」
図書館の様に本棚が所狭しと並んでいて、膨大な紙の束が詰まっている部屋へ入ると、すぐにカインが飛んで来た。
「ご領主様のお話とは何だったのですか?」
私の両肩を掴んで背を屈め、顔を覗き込んでくる。
私好みで素晴らしく整った顔が目の前に。
「落ち着いて座ってから話しましょう」
「すみません」
叱られた犬のようにしょんぼりしながら作業机として使っていた2つの椅子の1つを引いてくれる。
「ありがとう」
椅子に座ると隣にカインも座る。
カインの側に居ると安心して気が抜ける。
「ふぅ…」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
青い瞳が心配そうに揺れている。
私は向き直り、片手でカインの頬を優しく撫でる。
「シルヴィア様…」
「お父様のお話は私の婚約者が決まったというお話だったのよ」
ビクッとカインの体が震えたと思ったら目が落ちそうな程見開かれる。
いつも笑顔でいる彼のこんな表情はとても珍しい。
少しでも心に焼き付けようと、じっと顔を見つめると、急に机を叩く様に立ち上がった。
「相手は誰だっ!」
これまた珍しく言葉遣いが崩れている。
「第一王子のルーファス様だそうよ」
「ルーファス!?」
「こら、お会いする機会がないからって呼び捨てはダメよ。どこで誰が聞いているか分からないんだから」
「あっす、すみません!」
大きな体を縮こまらせ椅子に座ると私の手を包むように両手で掴み上げる。
「結婚なさるのですか?」
「このままだとそうなるわね。子爵如きが王家の縁談を断る事なんて出来ないし、ルーファス様も並々ならぬ執着が感じられるし」
「執着、ですか?」
「お父様の話だとルーファス様はこの領地の輸入業を手に入れたいみたいなの」
「…なぜですか?」
カインの眉間に深い皺が刻まれていく。
顔が美しい人は眉間の皺でさえ絵になるのか、なんて考えながら無意識に空いてる手でカインの眉間に触れる。
「シルヴィア様…」
「あら、ごめんなさい」
苦笑されたのに気付いてすぐに手を引く。
好きな顔が目の前で色々な表情に変わるのは、しばらく眺めていたくなる。
「ルーファス…様はなぜ輸入業を手に入れたいのですか?」
「ルーファス様は珍しい物が好きな方らしいわ。輸入品を買うならお父様も喜んでたと思うけど、海外の珍しい輸入品を無理矢理献上させるのは日常茶飯事、横流しもあるし極めつけは輸入許可が降りてない物の密輸入と国内ではほとんど見られない褐色の肌や黒髪の女性達を密入国させていると聞いたわ」
「…………」
私の言葉にカインは驚きで固まってしまったようだ。
「お父様もそれを止めようと色々手を尽くしたそうよ。でも止める前に縁談のお話がきた。お父様の考えだと私はお父様達の口を塞ぐ為の人質らしいわ」
「人質と分かっていても?」
「ええ、そうね」
私の答えにカインはゴツンっと机に額をぶつけて俯いてしまった。
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