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第7章 夜霧のしのび逢い

第34話 聖人祭の夜

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 夜霧の町に何発もの銃声が響いた。これに驚いたのがもう寝ていた教会の司祭である。銃声は飛龍隊の厩舎の方から聞こえてくる。

 司祭が慌てて服を着て駆けつけると、既に騒ぎを聞きつけた町の人で黒山の人だかりである。

「ブレスト閣下。どうしたのです?」

「吸血鬼が出ました。エスクレドが噛まれて、飛んで逃げたのを追いかけていきました」

「人じゃなかった。毛むくじゃらの獣だ!糞、俺が居ながら!」

 ギョームは残った弾を厩舎の裏のニレの木の根元に撃ち込んだ。高価な銀の弾だが、どうせ魔術局の支給品だと思って大層な安売りである。

「狼のようだった。物陰からエスクレドに飛びかかって押し倒して、血を吸って逃げた」

「いや、立って歩いていました。南方大陸に居るという大型の猿に似ていたように思います」

「大きかったからあれは多分熊ですよ。だったらこの辺りにまだいるかも…」

 めいめい好き放題の噓を並べたが、最後のテオドラの脅し文句が効いて見物人は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

「彷徨う人が毛皮を被っていたのでは?」

 押っ取り刀で駆け付けた警官がブレスト司令に念を押した。警察としてはあくまで吸血鬼は彷徨う人だと信じたいようだ。

「人にしては明らかに大きくて素早過ぎた。あれは間違いなく獣だ。我々は不寝番を立てて警戒に当たるから、警察は町の人が家から出ないようにして欲しい」

 天下の稲妻ブレストにこう言われては、捕物から外された居残りの平巡査に逆らえようはずがない。ディアナはとっくに霧に乗じて飛んで逃げた後である。

 その頃、モーリスはスパルタカスの後ろにラウラを乗せてキャンプがあるはずの方向へ霧の中を全速力で飛んでいた。

「彷徨う人のお祭りは火を焚くの。近付くとと見えるはずよ」

「いいからちゃんと捕まってろ。こんな霧じゃ落ちたら拾えないぞ」

「あら、あなたと私の仲なのに冷たいじゃない」

「よく言うぜ。俺を騙しておいて」

 モーリスは将校はモテるといい気になっていたのに、急転直下で道化役である。稀に見る美しい娘が後ろから自分にしがみついているというのにちっとも嬉しいと思えない。

「逞しい背中。海の男ってやっぱり素敵」

「血が欲しいなら素直にそう言え。ついでだから後で欲しいだけやるよ」

「分かってる?私は吸血鬼である以前に女なの」

「本当は男でも驚かないね」

「女よ。忘れたの?」

「術で細工したんだろ」

「血を貰って秘密を聞く所だけね」

 モーリスは思わず振り向いた。だが、真相を知るスパルタカスは針路を外さない。

「じゃあ、あの夜の事は…」

「見えた!祭りの火よ」

 ラウラが前方を指さした。高度計によると50メートル下で燃えているはずの炎が霧の下で赤く輝いている。

 何も知らない100人ばかりの彷徨う人達はキャンプの中心で火を焚き、歌と音楽で盛り上がっていた。そこへ霧の中から縄はしごが下りて来たのだから大変である。

 ある人は聖人の奇跡だと叫び、ある人は銃を手に取り、ある人は逃げ惑う。だが、降りてきたのは顔馴染みのラウラである。

「長老さん居る!?」

 このキャンプのリーダーである長老ジョゼフが困惑気味に出て来る。

「飛龍隊の人に送ってもらったの。警察がこのキャンプを囲んでるわ」

 彷徨う人達がどよめいた。だが、怪しまれないように楽隊は音楽を止めない。流石に彷徨う人達は逞しい。

「何でまたそんな事を?」

「吸血鬼がこのキャンプに混じってると思ってるわ。12時に襲ってくるから見つかると困る物を片付けて」

 何人かがこれを聞いて駆け出した。見つかると困る物がかなりあるらしい。

「だが、どうして嫌われ者の俺達に軍隊が協力してくれるんだ?」

「吸血鬼ってのは私とお母さんなの。だから濡れ衣を着せられたあなた達を助けたいって頼んだの」

「こりゃ驚いた。ディアナは吸血鬼だったのか?あの娘の父親は遠縁だが、ついぞ知らなかった」

 ジョゼフはディアナの父親が家のある人の女と駆け落ちしてキャンプから消えたと聞いた若き日の事を思い出した。まさか、相手が吸血鬼だとは考えもしなかった。

「彷徨う人は秘密は守る。そうでしょう?だから私達が吸血鬼なのと飛龍隊が協力してくれたってのは内緒にして」

「よし、そうと分かればこのジョゼフも男だ。身体の皮を剥ぎ取られても秘密は守ってやる。皆、サツの旦那を丁重に迎える準備をするんだ」

 事の顛末を聞き届けたモーリスは、縄はしごを巻き取って再び町へと戻って行った。

 そうと知らないファイヨルは警察署長と一緒に秘かに集結地点で12時を待っていた。12時になると教会の時計の鐘が鳴り、それと同時に四方八方から騎馬警官がキャンプに突入する事になっている。

「狙い通り吸血鬼が見つかるとよろしいのですがね。しかし、彷徨う人に目を付けるとは流石に魔術局のエリートは違いますな」

 署長はファイヨルにおべっかを使う。

「署長、貴方の狙いは別でしょう」

「いやあ、それもお見通しのようで」

「とにかく、飛龍隊があてにできない以上はあなた方が頼りです。事によれば昇進だって夢ではないでしょう」

「ふふふ、そうあって欲しいですな」

 そうこうしていると教会の鐘が鳴った。だが、鐘の音は町で何が起きたかは教えてくれない。知らせが走るのには幾分遠すぎた。

「よし、突撃!」

 署長が警官隊に合図をして駆け出す。たちまちのうちにキャンプは警官隊に取り囲まれてアリの子一匹出られない有様になった。

「サツの旦那がこんなに部下を連れて、一体何の騒ぎです?祭りを見物したいならそう言ってくれりゃ招待したのに」

 ジョゼフがにやにやとしながら警察署長に歩み寄り、握手しようと手を差し出した。

「キャンプに犯罪者が紛れ込んでるという通報があった。全員ここに並べろ」

 署長は手を払いのけてサーベルに手をかけた。だが、そんな挑発に乗るジョゼフではない。

「そりゃあ彷徨う人に手癖が悪い奴が混じってるのは認めますがね、それでも私らはまっとうな馬喰ですぜ。家探ししたって馬肉くらいしか出てこねえ」

「いいからやれ!お前からしょっ引いてやるぞ」

「そうですかい。じゃあ全員並べ。サツの旦那が俺たちの面を拝みてえとよ!」

 ジョゼフの号令に従って上は90歳の老婆から下は先週生まれたばかりの赤ん坊まで、キャンプの彷徨う人が全員整列した。そこにラウラが混じっていたのだから驚いたのが署長である。

「ラウラじゃないか。こんなところで何してる?」

「お店にこの人達が酒を買いに来た時に誘われたの」

「まったく、ここは犯罪者の巣だぞ。嫁入り前の娘がはしたない」

 ラウラが署長に小言を頂戴している横で、警官が彷徨う人の名前を記録し、魔術局付きの司祭が聖水やニンニクで吸血鬼を炙り出そうとする。勿論、ラウラが吸血鬼だとも、吸血鬼にそれが効果のない事も知らない。

「何だ、お前は彷徨う人っぽくないな?」

 列の中ほどに居た中年男を警官が見咎めた。その男は妙に色が白く、都会風の面構えに見える。

「ドン・バーモンステスって言います。親父は帝都の役人だったって話で…」

「ほう、私生児か。彷徨う人は乱れてるな」

「へへへ、おいらは字が書けるんだぜ」

 司祭がドンもまた吸血鬼でないらしいと確かめると、警官は特に追及せずに次に行ってしまった。

 その間に彷徨う人達の住居でもある馬車が家探しされたが、警察に見つかって困るような物は残らず隠した後なので何も出てこない。

 やがて町から吸血鬼が現れたという知らせが入り、警官隊は手ぶらでキャンプを去る羽目になった。モーリスは人とは明らかに別種の吸血鬼を見失ったと報告し、魔術局は吸血鬼は人の姿ではないという間違った結論に至った。

 飛龍隊は教会にもう一泊し、正午に町を発つ運びになった。朝食を作ってくれた母娘の秘密はこうして闇に葬られた。

「これで良かったのかな?」

 モーリスは大忙しだったスパルタカスの体を拭いてやり、首に下がった十字架を外しながら言った。

「世の中には、謎のままの方が良い事もあるんだろう」

 ジャンヌは万事丸く収まって満足気である。

「しかし、魔術局の鼻をあかしてやったのは痛快でしたな。あのファイヨル局長の悔しそうな顔!」

 ベップも上機嫌である。この一件が科学の勝利かというと怪しいが、少なくとも迷信の敗北ではあった。

「結局、この騒動で得をした奴は居なかったな」

 ギョームはモーリスをからかった。結局のところあの夜の出来事がどこまで本当だったのか、モーリスにも真相は分からない。

「けど、彷徨う人はどうなっちゃうんですか?」

 テオドラは不安が拭えない。あの分だと彷徨う人がまたぞろ適当な口実で難癖を付けられるのは明白だった。

「それについては打った手が上手く行った。安心したまえ」

 ブレスト司令はテオドラの肩に手を置き、彼女をなだめた。

 空は昨日までの雨が嘘のように太陽が照り付け、初夏かと思うような暑さである。飛龍隊は日除けの為に厩舎の中に入って正午の出発を待った。

 いつもはどこへ行っても飛龍が来れば押すな押すなの騒ぎだというのに、今日は見物人は居ない。

 というのも、皆居もしない吸血鬼を恐れて家に閉じこもっているのだ。目抜き通りも人はまばらで、人口が10分の1に減ったのかと思うほどだ。

 モーリスは人目を気にする必要がないので厩舎の壁にもたれ、吸い残しの葉巻を吸ってぼんやりとしていた。他の面々も似たり寄ったりである。

 すると、誰かが3回厩舎の裏側を叩いた。裏に回るとそこには何故かスコップと布袋を持ったラウラが居た。

「お別れなのね」

「そうだな」

「連れて行ってくれてありがとう。楽しかったわ」

「自分で飛べるんだろ」

「鈍いんだから」

 ラウラはモーリスに抱き着いたかと思うと、頬にキスをした。

「私の事、忘れないでね。吸血鬼の女って執念深いのよ」

 ラウラに噛まれた傷跡は数日で消えたが、モーリスの脳裏からは長い間その言葉が離れなかった。

 飛龍隊も、雨傘亭も、何事もなかったかのように日常に戻っていった。変わった事と言えば、用済みの厩舎の裏に誰も気付かないような穴が出来たのと、アルノーの義足が新調されたくらいである。

 その日の飛龍隊では騎乗射撃訓練が行われた。ライフルを手に全速飛行する飛龍乗り達は、飛行コースの左右に設置された大小の的を順番に撃っていく。

 全弾的中が可能になるのはかなり先の話だろうが、この見栄えがする訓練は記者も見物人も大いに喜んだ。

「ブレスト閣下。おかげでいい記事が出来ましたよ」

 司令室で一人の記者がブレスト司令と密会の席を持っていた。飛龍隊とは今や腐れ縁の『疑え!』の記者フロケーである。

「電報が来た時は驚きましたよ。『ブリッツ・ゴーシュから赤茶のフロケーへ』とは、閣下も意外に芝居っ気がある」

 モーリスがわざわざ本部まで飛んで打たせた電報は、フロケーに宛てた物だったのだ。

 ブリッツは稲妻、ゴーシュは左という意味で、ブレスト司令がフロケーならそうと分かるようにでっちあげた偽名である。電報はその性質上第三者の手が入るので、本名で打ったのでは秘密を守れない。

「しかし、どうやって彷徨う人のキャンプに潜り込んだのかね?」

「簡単でしたよ。帝都で適当な馬と半端物の銀食器を買って、そいつを手土産に逃げてきた小作人のふりをして泊めてもらったんです」

「君らのやりそうな事だ」

「空から縄はしごが降って来た時は驚きましたよ。だけど、私がサツが来るって言うよりは話が早かった」

 ブレスト司令はフロケーに彷徨う人の弾圧という美味しいネタを密かに提供し、その見返りとしてフロケーをドン・バーモンステスとしてキャンプに潜入させて警察を牽制しようとしたのだ。

「君の新聞はよく売れたはずだ。あの一家の秘密は守ってもらおう」

 ブレスト司令はテーブルに置いてあった赤茶色の紙の『疑え!』を指さした。

 一面にはあの町の町長と警察署長が地元の牧場と結託し、彷徨う人を弾圧しようとしたというスクープ記事が掲載されている。フロケーが町に居残ってお偉方の密会の現場を押さえたのだ。

「私も悪魔ではないし、記者にも仁義って物があります。飛龍隊には随分儲けさせもらってる事ですし、こいつは墓場まで持って行きますよ」

 フロケーは左手を差し出し、ブレスト司令と握手をした。当局が町の汚職に捜査の手を伸ばしたのと、モーリスと実在しない彷徨う人の踊り子とのロマンスが『疑え!』に掲載されたのはその数日後の事であった。
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