引退した嫌われS級冒険者はスローライフに浸りたいのに! 気が付いたら辺境が世界最強の村になっていました

微炭酸

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第2部

【60】宝玉龍

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 緑が次第に薄れていき、いつしか荒涼とした光景に移り変わっていた。ゴツゴツとした岩石や灰などの火山砕屑物が積もった足場。時折、黒灰色の煙を噴出する火砕丘は、一歩踏み入れた瞬間から、肌を突き刺すような殺気に満ちていた。多分、もう宝玉龍には察知されているのだろう。
 円錐形の山頂から覗く大きなクレーター。その中心に宝玉龍はいた。

「あれが龍か……」

「竜とはかなり雰囲気が違うのね」

 ユズリアの言う通り、その下位種と呼ばれている竜とは全くの別物に思えた。竜は怪翼鳥と酷似して全体的に細長い形状で、体躯のわりに俊敏性があるが、目の前の宝玉龍はそれとは全然違う。

 中心部で身体を地面に丸めているから正確には分からないが、全長三十m以上の粗大な体躯。全身を純白の煌びやかな鱗が覆い、静かにこちらを見上げる紅玉の瞳は、冷酷な鋭さの中にある種の知恵が宿っているようにすら思えた。蝙蝠のような膜状の翼の先端と、太く鋭い尾に突き出した六角柱の透明な水晶。見る者全てを魅了する端麗な様だ。

「ふむ、どうやらまだ若い龍のようじゃな」

 リュグ爺が眉根を潜めて呟く。

「あの大きさでまだ成長するでありまするか?」

「いや、若いと言ってもおそらく二百年余りは生きているじゃろう。大きさはこれ以上にはならん。ただ、龍の全盛期は生後五百年と言われとる。ほれ、かぎ爪が薄いじゃろ。あれが、生きた年月によって厚くなっていくのが龍の特徴じゃ」

「いや、全然分からん……」

 だって、初めて龍を見たし、俺から見ればかぎ爪は相当分厚く、撫でられただけで身体が真っ二つにされそうに思えるんだが。

「でも、若いと言っても、今までの冒険者は皆あの宝玉龍にやられたんだろ?」

「らしいねぇ。A級冒険者のパーティーが三組、S級冒険者が二名。全員、依頼を受けて数か月は帰って来ていない。まあ、殺されたね」

 ミスティアが依頼書を今一度確認し、リュグ爺に目を向ける。もう昨日までの飄々とした彼女は存在せず、ぴりっとした雰囲気が漂っていた。

「お師匠、どうします?」

 水を向けられたリュグ爺の右手の周囲が歪む。そして、時空の彼方から柄まで黒褐色に覆われた長剣を取り出した。

「どうもこうも、情報が無いからのぉ。やるしかあるまい」

「というか、どうして襲ってこないのかしら。さっきから、すごく睨まれていると思うんだけど……」

「龍は賢いからねぇ。お師匠を警戒してるんだよ」

 宝玉龍にとって、リュグ爺以外は眼中に無いというわけか。
 リュグ爺はふむと低く声を漏らす。

「どうじゃろうなぁ。儂だけ、というわけでも無さそうじゃがな」

 そう言い残し、山頂から飛び降りる。崖のような急斜面を、時空を出入りして瞬間移動しながら先陣を切っていく。

「さあ、私たちも行くよ。ユっちゃん、おいで!」

「あっ、ちょっと師匠、ま、待って……」

 手を引かれ、ユズリアとミスティアもリュグ爺の後に続く。

 そして、ようやく宝玉龍が立ち上がる。四足から連なる地面が甲高い咆哮と共に結晶化して広がっていく。
 その双翼を勢いよく広げると、四方に色とりどりのまさに宝石のような輝く結晶が撒き散り、斜面と地面に突き刺さる。

 全身で感じる圧倒的生命の重圧に息を呑む。これまで対峙してきた数多のS級指定の魔物の非じゃない。冒険者同様、魔物もS級以上の階級が存在しない。だから、これはもはや別次元の魔物だ。他のS級指定の魔物と一緒にすることはあってはならない。
 確かに魔族に匹敵すると言われている理由も分かる。あの時と似た恐怖がじわりと胸の底から滲み出す。

 しかし、俺は言うほど焦ってはいなかった。今回はリュグ爺も付いている。

「よし、俺たちも行くぞ!」

「承知でありまする!」

「……」

 勢いよく飛び降りる。切り立った岩場を『固定』で勢いに緩急をつけて下る。コノハとサナも俺の真横をぴったりとくっ付いて来ていた。しかし、サナの表情が芳しくない。

「どうした、魔物にビビるなんてサナにしては珍しいな」

「別にビビってない。ただ、気持ち悪い魔力……」

 サナは睨むように宝玉龍を見据えていた。あのサナが警戒を強めている。そのことが一抹の不安として、俺の意識を引き締め直す。

「油断せず行くぞ」

「もちろん……」

 先行していたリュグ爺を追い越し、ミスティアとユズリアが一瞬のうちに宝玉龍を肉薄する。

「ユっちゃん、遅れないでね!」

「はい!」

 ユズリアは雷を纏った剣で、ミスティアは双剣で、両方向から宝玉龍の首根目掛けて剣を振り下ろした。
 そして、二人の剣が宝玉龍の白い鱗を叩く。刹那、視界が真っ白に染まる。強烈な閃光だ。宝玉龍の全身が痛いほどの光を放ち、輝いた。

「いかん! 全員、下がれ!」

 リュグ爺の声が光の向こうから聞こえてきた。

「ピュロロロロロ――――ッ!」

 空気が震えんばかりの咆哮が耳を劈き、頭の中を揺らした。

「――う、ぐっ……!?」

 な、何て叫び声。頭が割れそうだ。
 脳裏をぐちゃぐちゃにかき乱して反響する宝玉龍の咆哮が、徐々に褪せていく。小さく遠のく残響。いや、違う。俺の意識が薄れていっている……?
 視界が塗りつぶされているから余計に判断できなかった。
 そして、光が晴れる。いつしか不自然に鳴りやんだ咆哮。ぼやける視界が焦点を合わせる。

「なっ……!?」

 鮮明になった景色。そこに宝玉龍の姿が無かった。先ほどまでいたはずの場所はぽっかりと空白が存在していた。

「い、一体何があったでありまする?」

 コノハが地面に膝を付き、手で押さえた狐耳をぴょこんと立てる。良かった、コノハは無事だ。ユズリアとミスティアもいる。
 サナは――。

「えっ……?」

 驚きに動きを固めた。心臓が強く瞬く。
 真横にいたはずのサナの姿が、どこにも無かった。

「サ、サナ……? ……おい! サナ! どこだ!?」

 何度見渡しても、サナの姿が見えない。
 焦る。
 呼吸が荒くなって、視野が狭まっていくのが自分でも分かった。

「リュグ爺殿もいないでありまする!」

 嘘だろ……。い、一体、何が起こって。

「――きゃあっ!?」

 ユズリアの悲鳴が耳を打つ。弾かれたように彼女へ目を向け、俺は目を見張った。

「何だ、これ……」

 二股の白茶尾、白羽衣の装束。そして、袖口から覗かせた数多のお札。ユズリアに小刀を差し向ける狐耳の少女がそこにいた。

「えっ、某……でありまする?」

 そう呟いたのは俺の横にいる少女だ。

 コノハが二人……?

 次々と降り注ぐ現象に焦りが募っていく。
 消えた宝玉龍とサナ、リュグ爺の二人。そして、もう一人のコノハ。となれば、次にまみえるのはただ一つだろう。
 その姿を見て、無意識に喉が鳴る。
 どこからともなく現れる黒髪に黒目の男。幸薄そうな冴えない顔。その瞳に精気は宿っていない。武器の類を一切持たず、外套から覗かせた二本指を立てている。

「俺……なのか?」

 間違いなく、俺の鏡像がそこにいた。
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