引退した嫌われS級冒険者はスローライフに浸りたいのに! 気が付いたら辺境が世界最強の村になっていました

微炭酸

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第2部

【45】病床

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 ユーニャの家は一般的な庶民区を少し外れたところにあった。ここら辺はスラム街へと続く通り。治安はあまり良くないから、賃料も決して高くない。

「なあ、あまりこういうこと訊きたくないんだが、ユーニャってかなり稼いでたよな」

 冒険者は有り体に言えば、かなり儲かる。それこそ、貴族の屋敷が立つくらいの莫大な額を十年で返済できるくらい、一獲千金の職業だ。もちろん、低級でくすぶっていれば、稼ぎもぐんっと落ちるが、それでも普通の一般職とは比べ物にならない。
 しかも、彼女は俺が引退する随分前から既にA級。依頼だって、ほとんど日数を開けずにこなしていたはず。むしろ、受けすぎて心配だったくらいだ。

「まあ、そうですね。たくさんのお給金は貰っています。しかし、なにぶん薬代が高くて……」

 冷静に考えてみる。
 S級に比べて額が劣っていたとは言え、上から二番目の等級。報酬は一度で一般職の数か月分以上が相場だ。ユーニャはそれを月に五件以上、ほぼソロか俺とのデュオでこなしていた。

 それだけ稼いでいて、生活に余裕を持てないだけの薬とは一体何だ。そんなに高価な薬なんて聞いたことがない。

「冒険者になりたての時は払えていたのか?」

「はい。しかし、お父さんの病気の進行によって薬の種類も変わるからって」

「そっか……」

 そんなわけない。
 心の内ではそう思っていても、今は断言出来なかった。俺に医療の知識なんてものは皆無だし、父親が危篤に晒されている状況下で彼女に伝えるのもはばかられる。半端な希望を持たせることは良くない。
 俺だって、最近ようやく気付いたのだ。この世界は案外汚れている。純粋な子供を騙す卑しい大人はたくさん存在するということを。

 才能を持った子供たちを都合よく利用する手段など、いくらでもある。善悪の判別もままならず、選択肢が狭められてしまえば、子供たちはそれに縋るしかなくなってしまう。
 そうやって、正直者は搾取される。

「着きました。ここが私のおうちです」

 お世辞にも綺麗と言い難い一軒屋だった。強風でも吹けば、ぺらぺらと靡くトタン屋根が飛んで行ってしまいそうだ。
 とてもじゃないが、A級冒険者が住んでいるとは思い難い。

 中へ案内され、少し緊張が湧く。
 冷静に考えたら、偽りとはいえ、親御さんへ挨拶をするのだ。今さらながら、どうしたもんかと唸ってしまう。

 家の内装も至って質素だ。どこか昔に母親とサナと住んでいた田舎の家を思いださせる。

 彼女の父親は寝室のベッドで窓の外へと意識を向けていた。どうやら、ユーニャと俺が来たことにも気づかないらしい。
 見るからに血色の悪い顔、やせ細った身体。服にこびりついた血痕。傍の床頭台には食べかけのままかびたパンが置かれている。
 その光景に一目で事の重大さが伝わった。

 ユーニャが父親の肩を優しく叩く。

「お父さん、帰ったよ!」

 娘のいつもより心持ち張った声に、ようやく反応を示す。虚ろな瞳がゆっくりとこちらに向けられる。

「……誰だ?」

 俺を足先からゆっくりと顔まで見上げ、一言、そう呟く。

「初めまして。えっと……冒険者をやっています、ロアと言います」

 少し悩み、冒険者ということにしておいた。別に自主的に引退宣言しただけで、冒険者カードは返納していないわけだし、嘘はついていない。
 それよか、娘が連れてきた男が無職だなんて知れたら印象は最悪だろう。

「この前話した例の人でね。その、あの……お、お付き合いを……させてもらっているというか、何というか……」

 ユーニャにしては珍しく口籠っている。親に恋人を紹介するのだから、当然と言えば当然なんだろうか。

 少しだけユーニャの父親の瞳に力が入った気がした。
 じっと、俺を見つめる。警戒とも、品定めとも違う、どこか見定めているような目つきだ。そして、ややあってから、彼は口を開く。

「ユーニャ、茶菓子を買ってきなさい。お客様だぞ?」

「そ、そうですね。ロアせ――ロ、ロア……少し待っていてください」

 俺が止める間もなく、ユーニャは逃げるように顔を真っ赤にして家を飛び出してしまった。
 いや、この状況をどうしろと……。

 気まずい沈黙を終わらせてくれたのは、ユーニャの父親だった。ユーニャが出て行った先を眺め、大きくため息をつく。

「全く、不器用な子に育ったものだ。すまなかったね、ロアくんといったか……」

「いえ、私の方こそ急とはいえ手ぶらで来てしまって、失礼をおかけしました」

 彼が弱々しく笑う。

「いや、そうじゃない。娘の虚構のためにわざわざご足労いただいてしまったことを詫びているのだ」

「えっと……」

「自分の子供の嘘くらい、親にはすぐわかる」

「すみません……」

 彼は苦しそうに咳き込み、床頭台に置かれた水を震える手で煽る。

「わざわざ娘を外に追い出したのは、きみと少し話がしたかったからだ」

「私にですか……?」

 霞んだ瞳が俺をじっと見つめる。
 流石に俺も悟った。この人は本当にもう長くはない。

 冒険者という危険な職業柄、今まで多くの人を看取って来た。
 理由なんてものはそれぞれだったが、緩やかに亡くなっていく人には共通する気配がある。自分のことは本人が一番よくわかるのだろう。だから、気持ちの整理が既についている。全員、穏やかな覚悟を見せるのだ。

 彼は震える身体を制し、ゆっくりと頭を下げた。

「どうか、ユーニャのことを――」

「――待ってください」

 俺は彼の言葉を遮った。
 元より、俺は勝手に覚悟を決めた人の遺言を聞き届けるつもりはまだない。

 鞄から、小瓶を取り出す。ほのかに輝く蒼い液体が瓶の中で波を立てる。

「これを飲んでみてください。それで駄目なら、あなたの話を聞きます」

 彼は不思議そうに瓶を受け取った。中身はもちろん、聖域の泉の水だ。
 正直、賭けではある。聖水に病気を治癒する効果は存在しない。病は治癒魔法でも、聖水でも治すことが出来ないのだ。
 だから、これを飲んだところで彼には何の影響も及ぼさない可能性の方が高い。それでも、やれることはやってみるべきだ。

 彼は俺を一瞥し、何のためらいもなくそれを口に運んだ。
 すると、ややあってから彼の身体に光の薄衣が幕を張った。内側から滲みだすようなぼんやりとした明かりだ。
 そして、次の瞬間、俺は自分の目を疑った。彼の体表から、禍々しい魔力が黒いベールとなって少しずつ滲みだした。そして、光の薄衣に溶けるように薄れていく。

「これは……」

 思わず息を呑む。
 一体なぜ、という思いが頭を駆け巡る。

「何だか、胸の苦しさが嘘のように晴れていく……」

 そう言う彼の瞳には微かに光が戻り、血色もみるみるうちに良くなっていった。やはり、この黒いベールのようなものが、彼を蝕む根源だったらしい。

 しかし、再三だが聖水に病を癒す効能は無い。
 あの嫌な魔力。確かに覚えがあった。
 これは病なんかじゃない。呪いだ。
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