上 下
44 / 67
第2部

【40】スローライフはままならない

しおりを挟む
 夕露がきらりと雲花に光り、思わずその美しさと痛みにじんわりと目頭が熱くなる。ほのかに暖かい気候に澄み切った風が心地よい。
 ゆるりと微かな湯気を立てる大きな魔力溜まりを中心に、新緑の芽吹きが一面に広がっている。ただし、その背景はやたらと味気ない。黒く染まった木々と、薄く張り巡らされた灰暗の霧。色彩鮮やかな草原と見事に対照的だ。

 人類圏の外側――S級指定の超危険地帯『魔素の森』。その深くに存在するここは『聖域』。並みの実力者で無いとたどり着くことが出来ない秘境だ。

 そこで俺は煌めく拳をみぞおちに突き立てられ、一瞬の呻きの末、華麗に宙を舞っていた。
 逆さまな世界で、俺は悲しみと痛みに涙を滲ませながら、心の中で独り言ちる。

 ――どうして、こうなった……!?


 それは数刻前の出来事。
 魔族の件もようやくひと段落し、ついに得た安寧の日々。
 怪力お嬢様ことユズリアと、人でなしマイスイートシスターのサナがいつもの如く言い争う様を横目に、俺はすっぽりと膝に収まる月狐族の少女を愛でていた。

 食後の眠気に微睡む彼女の狐耳を撫でる。その度に、もふもふな尻尾がゆるりと左右に揺れる。

「コノハ、今寝たら夜寝れなくなるぞ。夜更かしは許しませんからね」

 彼女のくりっとした瞳が、軽いため息と共に呆れたように細くなる。

「ロア殿、某は子供じゃないでありまする……」

 そう言い張るコノハはまだ十二歳だ。十個近く歳が上の俺からすれば、十分に子供。というか、紛れもなくまだ少女だ。月狐族特有のちんまりとした体躯が、余計にそう感じさせる。
 しかし、この地にいるということは、コノハもまたS級冒険者。村や街一つを単体で壊滅させるようなA級の魔物はおろか、魔法師団が束になっても敵わないS級の魔物すらも一捻りする実力の持ち主だ。

 この歳で世界に百人といないS級冒険者の一角を担うのだ。将来が末恐ろしい。
 若いって、いいな!
 微かに覚える腰の痛みに思う。

 ユズリアとサナもまだ成人したばかり。だからこそ、今夜はどっちが俺と寝室を共にするのかという、どうでもいいことで毎回喧嘩出来るのだ。
 いっそ、分身の魔法でも使えたら良いのに。
 しかし、俺は悲しいことに一つの魔法しか使えない。才能って理不尽だ。

「わーはっはっはっは!」

 穏やかな時間をぶち壊す暑っ苦しい笑い声と共に、地面が振動を伝えた。
 一目散に、巨大な筋肉塊が俺目掛けて突っ込んでくる。そのオイリーな身体が燦々と降り注ぐ陽射しを反射し、輝いていた。
 また一つ、俺の中の純然なエルフ像が音を立てて崩れていく。

「兄弟よ! 食後の筋トレと洒落込もうではないか!」

 俺は重たく息を吐き、右手を二本縦に振り下ろす。瞬間、彼の左足が棒のように固まる。勢いを殺せず、前方に向かってつんのめる筋肉エルフ。
 俺は心の中でにやけた。そのまま無様に顔面から地に伏しておけ。

「また、つまらぬものを固定してしまった」

 どんな強靭で剛力な筋肉野郎だろうと、体勢を崩してしまえばこちらのもの。
 そのまま、左足を地面に突き立てたかのように、筋肉エルフが顔から地面に落ち――ることは無かった。

「ふんっ!」

 地面すれすれで、彼の身体がピタッと静止した。左足と背筋がビキッと音を立てる。

「う、嘘だろ……」

 コイツ、片足で踏ん張りやがった……。

「おぉー、ドドリー殿、まるで浮遊魔法のようでありまするな」

 コノハが感心したように声をあげる。確かに称賛ものだ。すごいというか、普通に怖い。わけがわからないよ。

「兄妹も鍛えれば、簡単に出来るようになるぞ!」

「本当でありまするか!?」

 いや、なるわけないだろ。
 これはあれだ、ただの化物だ。浮遊の聖魔法をどこかの狂人バーサーカー神官に教えてもらった方がよっぽど現実的だ。

「あら? なんか、不名誉なことを言われたような……」

 刹那、強烈な悪寒が背筋を駆ける。錫杖のしゃらんという音が、すぐ真横で鳴り響く。
 気配もなく、セイラが嫣然とした笑みを携えてそこにいた。

「や、やぁ。……えっと、どうした?」

 セイラは何も言わない。ただ、じっと相貌を崩さずに俺を見つめる。ただ、まっすぐに。
 まるで蛇に睨まれた蛙の気分。――いや、『固定』をかけられたS級冒険者だ。

「あ、あの……すみませんでした……」

「どうしたんですか? 私、何も言っていませんけれど」

 肩を錫杖がじぬりとなぞる。妖艶に思えるその仕草も、俺にとっては畏怖の対象だった。
 ってか、絶対に心を読む魔法とか存在するわ! だって、ほら、目の前で実証済みだし!

「これ、神官の娘や。それ以上孫を虐めるでない」

 しゃがれた声がどこからともなく聞こえてくる。いつの間にか、コノハにお菓子を渡すリュグ爺の姿があった。
 もちろん、リュグ爺との血のつながりはない。わざと言っているのか、本当にボケているのか。
 とにかく、彼は気の良いただの老人だ。ただし、この聖域において最強のS級冒険者。そして、〝釘づけ〟の異名を持つ俺と不名誉な異名仲間として、日夜酒を交わす予定の仲だ。

 最初は俺とユズリアだけだった聖域が、いつの間にかこうして賑やかになった。何度も、俺のスローライフは破壊されたけど、ようやく平穏な日常を得ることが出来た。
 人生って、素晴らしい! もう、どんな厄介ごとが降りかかろうとも、俺は絶対に動かない! 何かあれば、それこそ『固定』をかけて布団とくっ付いてやる。
 もう、誰にも俺のスローライフは邪魔させない! さあ、来るなら来やがれ!
 対戦よろしくお願いします!


「――見つけました! ロア先輩!」

 おや、可愛らしい少女の声がするな。

「おい、コノハ。見つけたも何も、俺はずっとここにいるぞ?」

 ふふっ、愛い奴め。
 そんなに俺のことが恋しいのか? そうか、そうか。今日はサナともユズリアとも寝ん! 俺はコノハと寝るぞ!

「あの……某、何も言ってないでありまする」

「そんなわけないだろう。こんな可愛い声はここじゃコノハ以外考えられないぞ」

 そうだとも、セイラは年上お姉さんボイスだし、サナはお兄呼び、ユズリアだって俺のことを先輩だなんて呼ばないさ。
 ――ん? 先輩?

 思考がピタッと止まる。はて、そんな呼び方をする奴は一人しか思い当たらないんだが……。いや、でもあいつは……。

「ロアー! あんたにお客さんよー!」

 ユズリアの言葉にたらりと汗が頬を伝う。
 なるほど、これは問題ありだ。大ありだ。
 これまでのことを鑑みて、俺は深いため息と共に振り返る。

「やっぱり……」

 栗毛の長い髪を揺らし、あどけない年相応のくりっとした紅茶色の瞳が俺をまっすぐ捉えていた。その傍らには、背より高い魔法杖。ぶかぶかのローブと大きな魔法帽子は、昔に俺が買ってやったものそのままだ。

「ようやく、会えましたね」

 心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべる少女。

「ユーニャ、どうしてここに……!?」

 やっぱり、俺のスローライフはまだ始まりそうもない。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

幼い公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端家族が溺愛してくるのはなぜですか??~

朱色の谷
ファンタジー
公爵家の末娘として生まれた6歳のティアナ お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。 お父様やお兄様は私に関心がないみたい。愛されたいと願い、愛想よく振る舞っていたが一向に興味を示してくれない… そんな中、夢の中の本を読むと、、、

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

雪月 夜狐
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

母の中で私の価値はゼロのまま、家の恥にしかならないと養子に出され、それを鵜呑みにした父に縁を切られたおかげで幸せになれました

珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたケイトリン・オールドリッチ。跡継ぎの兄と母に似ている妹。その2人が何をしても母は怒ることをしなかった。 なのに母に似ていないという理由で、ケイトリンは理不尽な目にあい続けていた。そんな日々に嫌気がさしたケイトリンは、兄妹を超えるために頑張るようになっていくのだが……。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い

平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。 ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。 かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

処理中です...