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第1部

【30】足りないものがある

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 もやっと湯気を揺らめかせる泉に足を浸け、そのままバタリと背を柔草に預ける。今日の空は雲一つなく、春の穏やかな気候も相まって、瞼がつい重たくなる。

「お兄、今寝たら夜寝れなくなる」

 そういうサナも隣で欠伸を噛み殺していた。無論、無表情ではあるが兄には分かるのだ。

「この全てを終わらせたみたいなロア殿の表情、まるで御伽噺の最後のようでありまするな」

「何を言うか。幕引きどころか、今ちょうど垂れ幕があがり始めたところだ」

 全く、ようやくゆっくりできる。
 昔からの胸のつかえも取れたし、馬鹿みたいな表現だが、頭の中もきれいさっぱりだ。
 今考えることがあるとすれば、俺は切り札の魔法を失ってしまったことだけ。しかし、『消滅』は最終手段として手札に入ってはいたものの、言ってしまえば呪いみたいなものだ。使えなくなって良かったというほかない。
 文字通り、『消滅』は消滅したのだ。
 そして、全てが心機一転。これはもうスローライフが始まる以外、あり得ない展開。ここから、始まりそうで始まらなかった俺の隠遁生活が幕を開けるのだ。
 ……と、いつも問題が解決するたびに思っているわけで、その都度、俺の期待をすっぱり裏切る出来事が起こる。
 だから、今回はこんなだらしない姿ではあるが、決して油断はしていない。煩悩を捨て、謎の力を持つ泉に力を貰いながら、陽光神様にお祈りしているのだ。
 ほんっっっとうにお願いします。俺に落ち着いた生活をさせてください!
 
 繰り返すようだが、ここは魔素の森の奥深く。S級相当の手練れで無ければたどり着けない未開の地。そこに頻繁に人が訪れることも、その人物が問題をひっ連れていることも、限りなく薄い確率のはず。どんな偶然が起きれば、六人のS級冒険者+帝立魔法専門院の首席が一堂に会するというのだ。
 大体、S級冒険者はこの広い世界でせいぜい百人程度しかいないと言われているのに、これ以上この地に集まろうものなら、本当に国家侵略出来るレベルの集団になってしまうじゃないか。

 さて、惰眠を貪るだけがスローライフじゃない。畑の様子でも見に行くか。そろそろ果樹なんかを植えてもよさそうだ。
 ドワーフがいれば酒造りも出来そうだが。エルフは秘伝の酒造技術とか知らないものだろうか。自然と共存する部族だし、今度ドドリーに聞いてみよう。あの筋肉ダルマはアルコールよりも蛋白質たんぱくしつの方が詳しそうだけど。

 少し見ない間に畑はコノハとサナ、ドドリーによって範囲が倍ほどになっていた。植えてある作物も種類を増やしているようだ。
 どうやら、人が増えたから収穫量も増やさないとならないらしい。とはいえ、現状備蓄が出来る程度には余裕がある。泉の謎の力でやたらと成長も早いし、手入れも楽。いっそのこと大農園にして、魔素の森産浄化性能持ち無添加野菜(美少女とエルフがつくりました)と銘打ってブランド化してみたらどうだろう。
 どちらにせよ、出荷するのに商人が必要なわけだが、ふらっと現れて欲しいような、欲しくないような……。
 諸々加味しても多分、交渉って俺じゃん? そうなると仕事が増える。自由が減るわけだ。
 まあ、次にこの地に訪れる偏屈者がいるとするならば、百歩譲って商人であることを祈っておこう。

「いや、待てよ。足りないな……」

「何がでありまする?」

「足りないんだよ、商人以外のあと一つのピースが。それさえあれば理想の環境なのに」

 そうだ。忘れてはならないことがあった。どうして今まで気づかなかったんだろう。
 頭の中で住人を一人ずつ思い浮かべる。やはり、誰も当てはまっていない。うっかりしていた。スローライフに欠かせないものがまだあるじゃないか。是非、耳をかっぽじってでも聞いてほしい。

 ――俺は年上派だ。
 
 無邪気に尋ねるコノハに力説しようと口を開き、すんでのところで思いとどまった。
 すぐ横にいるのだ。そう、奴が。

「お兄、何が足りない?」

 ほら、悪魔のささやきが聞こえるだろう?

「いや、何でもない」

「……さては、やましいこと考えてる」

 何故分かるんだ我が妹よ。
 いや、何もやましいことではない。そこまで妄想などしていないではないか。決して、お姉さんの胸の中で朝目覚めたいとか、膝枕してもらいながら昼寝したいとか、そんなこと考えていない。

「怒らないから、早く言う」

「いや、絶対に殴ってくるじゃん……」

「じゃあ、殴らない。約束」

「……言わない」

「言わなきゃ、殴る」

 なんて理不尽だ。

「……年上の美人で性格の良いお姉さんがまだいないな、と」

 刹那、左足に鋭い痛みが駆け抜ける。足の感覚が無くなって倒れ行く身体がサナによって首根っこを掴まれる。その華奢な腕のどこに成人男性を片手で支えるだけの力があるというのだ。

「約束と違うだろ!」

「殴ってない。蹴っただけ」

 誰か早くこの世界一可愛い妹を嫁に貰ってはくれないだろうか。

「しかし、年上で美人となれば、セイラ殿では駄目なのでありまするか?」

 職人のような手つきで丸々と実った作物を収穫しながら、コノハが当然の疑問を口にする。

「セイラは人妻だろ。それに……」

 確かに見目は素晴らしい。なんたって、貴族のユズリアや俺の自慢の妹と張るほどだ。しかし、あの人だけは駄目だ。
 脳裏を破岩蛇での出来事が思い返された。
 あの狂人っぷりを見てしまうと、全てが台無しだ。セイラは同じようなぶっ飛び具合のドドリーがやはりお似合いというもの。俺が求めるのはあくまでも、美人で、かつ性格も良い年上のお姉さんだ。

「お兄に年上は駄目。尻に敷かれるのが目に見えてる」

「今だって十分敷かれてると思うんだけど……」

 もう全部の要素を加味した人物でも来ないものだろうか。酒造りに長けた年上のドワーフ商人。いや、でもドワーフ族で年上となると、そのずんぐりとして特徴的な体形も相まって、お姉さんというよりお母さん感、もしくは近所のおばちゃん感が出てしまうのではないか?
 仕方がない、酒は諦めよう。酒を取るか、お姉さんを取るかと訊かれれば、迷わず後者だ。

「そうでありまするよ、サナ殿。あまりロア殿を虐めると嫌われてしまうでありまする」

「それは困る。お兄、私の事嫌い?」

 首根っこ掴みながら訊くようなことなのだろうか。

「嫌いなわけないだろ。当たり前だ」

「良かった。お兄に嫌われたら、自分でも何するか分からない」

 まずい、俺だけでなくここら一帯が消し飛びかねん。
 そう思った時、遠くの方で微かに大きな魔力の放出を感じた……ような気がした。
 コノハが動きを止めて籠をそっと置いたのを見るに、どうやら勘違いではなさそうだ。

「妹よ、本当に何かした?」

 サナも同じ気配を悟ったようで、無表情のまま首を横に振った。
 この気配、ここ二日ほどどこか行って姿が見えないセイラやリュグ爺のものではない。今まで感じたことのない重苦しい魔力の質だった。しかし、気配はかなり遠くの方からで、それこそS級指定の魔物でも暴れているだけかもしれない。とはいえ、ここの面子ならば龍型魔物でもない限り、大した脅威にはならないだろう。

「また誰か近くにいるでありまするかねえ」

「やめなさい、そうやってすぐ旗を突き立てるのは」

 毎度、この展開だ。一向に変わりやしない。
 どうか何も起きませんように。
 色々な思いを込めて、そう願わざるを得なかった。
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