上 下
5 / 42

【5】『固定』という魔法

しおりを挟む
 まるでせき止めていた何かがふいに消えたように、意識が濁流のごとく脳を揺らした。覚醒に至らない微睡まどろみのなか、鼻腔をくすぐる香りが空腹を刺激する。
 あれ? 今って……。
 瞼をすり抜けて感じる朝焼けの気配。頬をなぞる若草もどこか湿り気を感じた。
 そろそろ、夜番変わらなきゃな……。
 そう思い、ようやく矛盾に気が付く。
 ぱっと目を開けると、周囲の明るさに少しだけ眼球の裏がきしきしと痛みを帯びる。未だはっきりしない脳が、状況を必死に読み解こうとしていた。
 陽が出てる? あれ? なんで……。
 冒険者が寝過ごすなんて絶対にありえない。確かに私は四時間で起きて、丑三つ時から朝まで夜番をするつもりだった。どんなに疲労が蓄積していようが、魔物の蔓延る地で熟睡なんてするはずがない。
 じゃあ、どうして今が朝なのだ。
 勢いよく身体を起こすと、すぐそばに腰をかけていた男が気配に気づき、振り向く。

「おはよう」

 何気ない一言だった。実に白々しい。

「……ロア、私に何かしたでしょ」

「さあね」

 ロアは口元に小さく笑みをつくり、湯気の立つ鍋を玉杓子たまじゃくしでかき混ぜる。彼が私に魔法か何かを仕掛けたことは明白だ。でなければ、起きれないなんてことは考えられない。
 ロアは一言で言えば奇妙な人だ。こんな何もない土地に住むとか言い出すし、なにより、珍妙な強さだった。ひょろひょろな身体で、武器も持たずに、私を圧倒した。それもまぐれの一度や二度じゃない。この人には勝てない。そう心から思わされるほどだった。
 ロアに触れた瞬間、人間の四肢など簡単に吹き飛ばす蹴りも、竜の鱗も貫く剣撃も、全てがすっと吸い付くように衝撃すらなく、彼とくっついた。さらには、触れていない足まで棒のように固まって動かなくなる始末。相対したことのない魔法だった。相手に殺意があったなら、本当に手も足も出ずに首をはねられていただろう。
 少し、ぞっとした。同じS級冒険者だとは思えなかった。
 私が弱すぎる……? いや、そんなはずはない。他のS級冒険者との模擬戦はむしろ勝ち越し続けた。滅多に人を褒めない師匠にだって、胸を張っていいと太鼓判を押されたくらいだ。
 初めてのSランク地帯で、さらに不眠でパフォーマンスが落ちていたとしても、ボロボロに負けるはずがなかった。きっと、万全の状態で戦っても結果は変わらないだろう。
 彼ならば、に勝つことも可能かもしれない。

 改めて、ロアを見る。背は私より頭一つ分高く、人族には珍しい黒髪、そして黒目。お世辞にも褒められない筋肉量の身体。身体を纏う魔力のオーラはそこら辺の商人と同じくらいだ。とても冒険者には見えない。貴族のぼんぼんに比べれば落ち着いた顔立ちだけど、素の素材は悪くない。十分整っていると思う。むしろ社交界にうんざりしていた私には、魅力的に思える。

「ロアの魔法って、一体何なの?」

 私の純粋な問いに、ロアはスープを器によそいながら「うーん……」と軽く首を傾げる。

「魔法は人に極力教えない方がいいって習っただろ?」

「いいじゃない。これから生涯一緒なんだし」

 見合い話にうんざりしていた私にとっては、むしろ好都合だ。ロアは引退したと言っているが、ギルドカードは返却していないみたいだし、S級冒険者で地位も確立されている。さらに、私を圧倒する強さ。そして、自分を殺しに来る相手を女だとしても絶対に傷つけない人柄。まあ、これに関しては少々難ありではあるのだけれど。
 あの時は勢いで言ったものの、冷静に見ても超優良物件だ。

「その話、まだ続いてたんだ……」

「当たり前でしょ。裸見たんだから。あー、私お嫁にいけなくなっちゃったなぁ」

「うぐっ……」

 ロアは観念したのか、黙りこくって私にスープをよそった器を差し出す。じんわりと器から温かさが冷えた手に伝わる。温かい食事は、四日ぶりだろうか。

「だから、ほら教えてよ。もちろん私の魔法も教えるから!」

 ロアはちょっと嫌そうに顔をしかめる。そして、軽くため息をついて口を開いた。

「昨日、ユズリアに使ったのは『固定』って魔法。指定した物体と物体を文字通り固定するんだ」

 ロアが右の人差し指と中指を立て、シュッと振り下ろす。そして、広げた左手に乗せた器を鍋の上で逆さにした。器は彼の手から離れず、中身だけが鍋に落下する。手を伸ばし、器を引っ張ってみるけれど、びくともしない。

「へえ~、面白い魔法ね」

「範囲は限られるけれど、目に見えているもの同士なら自由に発動できるよ。例えば、ユズリアの靴とそれを撫でる草をくっ付けたりね」

 ロアがもう一度、右手を振り下ろす。彼が私の右足を指さすから、足を上げてみる。ほんの少しだけ足が浮いて、すぐに靴の上皮で止まる。まるでびくともしない。重いとか、そんなんじゃない。魔法障壁を手で押すような、絶対に動かすことのできない、そういう感覚だ。

「他の使い方もあるけど、主な使い方はそんな感じ。もちろん、弱点もある。見えていない箇所、今だとユズリアの足自体は見えていないから、指定することはできない。だから、靴を指定するしかない。脱げば、簡単に抜けられるしね」

 濁した他の使い方とやらが気になるところではあるが、どうせ聞いても教えてくれないのだろう。
 靴から足を引き抜く。確かに、足自体に魔法がかかっているわけじゃなかった。

「でも、そうしたら今度は私の足を指定できるじゃない」

「もちろん」

「やっぱり、弱点なんて無いじゃない」

「も、もちろん?」

 思わず息が零れる。なんて地味で、理不尽な魔法なのだろう。

「効果時間は?」

「俺が解除するまでずっと。もしくは、『解除魔法リリースマジック』をかけられるまでかな」

 『解除魔法』は魔法による麻痺や毒といった状態異常を解くための、冒険者には必須の魔法だ。ただし、発動までに早くとも二十秒はかかる。二十秒もあれば、相手の命を奪うなど容易い話だ。

「はぁ……ロアが化け物だってことは分かったわ」

「そうでもないよ。視認できない速さで心臓が貫かれれば終わりだし、何より、視界が奪われたら『固定』は発動できない」

「……確かに」

「まあ、もちろんそれなりに対処法はあるから、あまり問題は無いんだけどね」

「もしかして、まだ何か隠してる……?」

 ロアがゆっくり目をそらす。これは、まだ手の内を隠しているな。当たり前にそう感じた。

「ユ、ユズリアの魔法は何なんだ?」

 若干、上擦った声のロアにわざとらしく眉をひそめておいた。隠している手札も、そのうち見る機会はあるだろう。

「私は『雷撃魔法』と『身体強化魔法パミューム』の組み合わせね」

「なるほど、『身体強化魔法』か。どうりで、あの速さに身体が付いて行ってるわけだ」

 スプーンが器の底を叩く。気が付けば、よそってもらったスープは全て胃に収まってしまっていった。
 ロアは小さく微笑み、手を差し出す。ちょっと恥ずかしかったけれど、器を渡した。ロアがスープをよそう。

「誰かさんに動きを止められちゃ、何の意味も無いけどね。こんなことなら、閃光でも放ってロアの目を潰しておくんだった」

「ははっ、そしたら俺はユズリアに貫かれるしかなかったね」

「それなりに対処法があるんでしょ?」

「あるけれど、俺がそれを人間に使うことはないよ」

 ロアが視線を落とす。前髪がその悲し気な瞳を暗く隠した。

「自分の命がかかってても?」

「そうだね」

「じゃあ、私の命がかかっていたら?」

「……流石に使っちゃうかな」
 
 そう言いながら、ロアは頬を掻く。
 頬が赤くなるのが自分でも分かった。まさか、そう返って来るとは。

「もういいだろ? さっ、飯食い終わったら、家でもつくろう」

 気まずそうに話を切り上げて背を向ける彼から、しばらく目が離せなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

砕けた愛は、戻らない。

豆狸
恋愛
「殿下からお前に伝言がある。もう殿下のことを見るな、とのことだ」 なろう様でも公開中です。

姉の婚約者に愛人になれと言われたので、母に助けてと相談したら衝撃を受ける。

window
恋愛
男爵令嬢のイリスは貧乏な家庭。学園に通いながら働いて学費を稼ぐ決意をするほど。 そんな時に姉のミシェルと婚約している伯爵令息のキースが来訪する。 キースは母に頼まれて学費の資金を援助すると申し出てくれました。 でもそれには条件があると言いイリスに愛人になれと迫るのです。 最近母の様子もおかしい?父以外の男性の影を匂わせる。何かと理由をつけて出かける母。 誰かと会う約束があったかもしれない……しかし現実は残酷で母がある男性から溺愛されている事実を知る。 「お母様!そんな最低な男に騙されないで!正気に戻ってください!」娘の悲痛な叫びも母の耳に入らない。 男性に恋をして心を奪われ、穏やかでいつも優しい性格の母が変わってしまった。 今まで大切に積み上げてきた家族の絆が崩れる。母は可愛い二人の娘から嫌われてでも父と離婚して彼と結婚すると言う。

おっぱいみるく~乳首からミルクが出るようになっちゃった~

多崎リクト
BL
徹也(てつや)と潮(うしお)はラブラブの恋人同士。乳首好きの徹也。気持ちいいことに弱い潮。 ある日、潮の乳首からミルクが出るようになってしまって……! タイトル通りとっても頭の悪い話です。頭を空っぽにして読んでね! Twitterで連載したものをたまったら加筆修正してます。 他、ムーンライトノベルズ様と自サイトにも掲載中。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

異世界転生したら最上位種族の「銀龍」になりました。

黒瀬 瞬
ファンタジー
転生したら…銀色の龍になっていた!? 魔法と剣の世界で王道ファンタジー物語!!!

乳白色のランチ

ななしのちちすきたろう
恋愛
君江「次郎さん、ここが私のアパートなの。」 「よかったらお茶でもしながら家の中で打ち合わせします?この子も寝てるし…」 このとき次郎は、心の中でガッツポーズを決めていた。 次郎の描く乳白色のランチタイムはここから始まるのだから…

え……私……クビですか?宮廷庭園勤めだった私、突然追放なんて!でも、辺境国で働く事に……戻ってこいと言われても、王子から求婚されててもう遅い

織侍紗(@'ω'@)ん?
恋愛
 「フローラ、もうあなたはこの宮廷に来る必要はないわ」  前王妃様が無くなってちょうど一年。後妻であるソフィー様から私はそう告げられた。  この庭園は前王妃様から守ってくれと直接告げられただけでなく、枯らしてしまうとこの国の植物が全て枯れ果ててしまう! と、私はソフィー様にそう進言したにも関わらず、水をあげてれば枯れないでしょ。と、聞く耳を持たないソフィー様。  そして宮廷からも、なんならこの国からも出ていけと仰り、私は困り果ててしまっていた。  そんな光景を挨拶に来ていた辺境国の王子アルフレッド様が知ることになる。そこで私はアルフレッド様に国に来てくれとお願いされて、アルフレッド様に付いていくことになったのだけど……  植物が枯れ果てて、国が滅亡の危機だから帰ってきてくれと言われても、アルフレッド様から求婚されてるしもう遅いです!

結婚式の日取りに変更はありません。

ひづき
恋愛
私の婚約者、ダニエル様。 私の専属侍女、リース。 2人が深い口付けをかわす姿を目撃した。 色々思うことはあるが、結婚式の日取りに変更はない。 2023/03/13 番外編追加

処理中です...