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第4話 鬼の目にも
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体育祭から一週間が経った。
僕は静岡くん、黒木くんとよく行動するようになった。
静岡くんは聡明で思慮深く、かつクラスをまとめる器量がある人物で、この短期間に見習いたいところがいくつも見つかった。
黒木くんは、自己主張がハッキリしている一方で、広い視野と繊細な感覚を持っているようだ。そして、ぶっきらぼうな言動には、他者を思いやる優しさが見え隠れしてる。
尊敬できる素敵な友人に恵まれ、僕の高校生活は好スタートを切った。
それと同時に、ある一つの問題が僕の胸に影を落としていた。
花の金曜日、放課後。委員会に出席する静岡くんと別れ、黒木くんと二人で綿来川沿いの親水公園を歩いていると、おもむろに黒木くんが足を止めた。
「どうしたの?」
黒木くんは僕にだけ見えるように、胸の前で小さく後ろを指さし、「う・し・ろ」と唇を動かした。
視線が悟られないギリギリの角度で、彼女を視界の隅に収める。
「あ~、やっぱりか……」
「やっぱりって、気づいてたのか。じゃあ、俺じゃなくて志藤に用があるんだな?」
沿道の木に隠れてこちらの様子を伺っていた彼女は、僕たちが立ち話を始めたのを見て、ベンチに腰掛けスマホを取り出した。
「だと思う。月曜からずっとだし」
「マジ? 俺気づいたの一昨日なんだけど…」
「月火は朝だけだったんだよね。水曜から放課後も跡をつけてくるようになって流石に……」
「ちと怖えな」
嫌がらせか、何かの機を伺っているのか、彼女の動機は分からないけど、あの日――体育祭後の教室での出来事がきっかけにあるのは間違いないはずだ。
だから、僕にとって外枝という人間は、怖いというより不可解な存在というのがやはり適切だと思う。
去年の夏から、ずっと。
しかし、それは黒木くんの知るところではないので、今は訝しむ彼の言葉にうなづいておく。
外枝はスマホを眺めながら、しきりにこちらへ視線を向けている。
そろそろ新しい動きがあると思っていたんだけどな。
来週以降もこんな時間が続くのは鬱陶しいし、不本意だけど、こちらから声を掛けてしまおうか、なんて考えていると――
「俺が聞いてきてやるよ」
黒木くんの思いがけない提案だ。いや、この提案こそが、彼の真骨頂かもしれない。
「そんなビビった顔すんなよ、同中なんだろ?」
どうやら短い思案の間に、表情が強張ってしまっていたようだ。それを見逃さなかった黒木くんは、僕が外枝へ何かしらのネガティブな意識を持っている、と推察して助けようとしてくれたんだと思う。
もっとも、僕が外枝に抱いているのは、恐怖ではなく不明瞭な憤りと負の好奇心だ。
「えっ、そんな顔だった?! 恥ずかしいな…」
少し大げさに反応する僕に、黒木くんは、安心しろ、と笑いかけてくれる。
「でも、大丈夫だよ、ありがとう」
できる限りの柔らかな笑顔を意識して、答える。
僕の余裕と意思が、伝わるように。
これは、僕自身で解決するべき問題だ。
「…そ?」
「うん、それじゃあ、ちょっと話してくるからさ。申し訳ないけど、今日はここで」
僕の振る舞いが、黒木くんの目にどう映ったのかはわからない。
「オーケー、また来週な」
それだけ言って、彼は再び家路を辿り始めた。
「うん、またね」
そう言いながら、僕から外枝までの距離と同じくらいのところで曲がって姿が見えなくなるまで、その背中を見つめてみた。
彼は一度も振り返らなかった。
ただ、途中、沿道で座り込んでしまっている小学校低学年くらいの男の子に、ポケットから何かを取り出し、渡すのを見た。
「さて…」
少し深く息を吐いて、お腹に力を入れる。
振り返れば、相変わらずスマホに視線を落として上げてを繰り返す外枝がいた。
僕がしばらく見つめたままでいると、外枝の忙しなかった動きが落ち着き、というより固まった。
少し顎を引いて、一歩ずつ、確実に距離を縮める。
10歩歩いたところで、互いが互いの視線を完全に捉えた。
逃げる様子はないから、そのままの歩調で、更に近づく。
そうして、ベンチに腰掛ける外枝の真正面に立ち、見下ろしながら問う。
「何の用」
「アッ、あぁ~、その」
しどろもどろになった外枝の顔をのぞくと、誰かに磁石で遊ばれているかのように、黒目だけがひたすらぐるぐると渦巻いている。
「何」
更にプレッシャーをかけてみると、みるみるうちに耳が赤く染まっていく。
「か、カッかん」
うまく聞き取れない。
「閣下?」
「監視!!」
「いぎっ!!」
「いだぁ?!」
いきなり視界が塞がって、謎の衝撃が脳天を突き抜けた!
「……ぃってぇ~~!!!!!」
じんわりと広がる痛みを感じながら、反射的に滲んだ涙を拭うと、頭頂部を擦る外枝の姿が見えた。
「ったぁ……」
「いきなり立ち上がるなよ! そしてまず謝れよ!!」
「あっごめ、アッ」
外枝が間抜けな声を上げると同時に、鼻から何かが伝うのを感じた。
「おわっ最悪だよ~」
とりあえず鼻の頭を押さえながら、悪態をつく。
ティッシュを取り出そうと片手でリュックのポケットをまさぐるも、なかなかみつけられない。
「ふぉぁー」
苛立ちを乗せたため息が、はー、でもふー、でもない間抜けな発音になる。
外枝が下手に出るからとりあえず被害者ヅラしてみたけど、変にのぞき込んでた僕も悪いし、そもそも調子に乗って高圧的に接しなきゃ激突することもなかった。
おまけに鼻血出して変な声で悪態ついて、自業自得という言葉の意味を身をもって知った。
僕が身勝手に凹んでいると、外枝がティッシュを差し出してきた。
包装がマットな質感の、柔らかくてちょっと良いヤツだ。
「使って」
「…ありがとう」
ティッシュを一枚取り出して、鼻に優しく詰めて、余った部分を千切る。
僕が千切った方で手に付着した血を拭き取っているのを見て、外枝がもう一度「ごめん」と謝った。
「いいよ、自業自得だし」
「? とにかく、ごめんね」
自分から仕掛けておきながら、ここからは外枝が申し訳なさそうな態度を取る度、罪悪感が募りそうだ。
「もういいって」
そう言っても、外枝は眉を八の字したまま目をきょろきょろさせている。
もういいって言ってるんだよ、いい加減話を進めたい……。
「ほら、座って」
ベンチに腰掛け、外枝にも座るよう促す。
「うん……」
三人は座れるサイズにも関わらず、彼女は肩が触れ合うほどの位置に腰を落ち着ける。
コイツの距離感はどうなってるんだ……。
「で。結局何の用なんだ」
こうなったら、さっさと本題に入って、この問題を片づけてしまおう。
「えっと、か、監視」
「監視ィ?」
「監視、見張ってるの」
「誰を」
「志藤だよ」
「何で」
「君が本当に誰にも話さないかが心配で」
「何を」
「……あの日のことだよ」
「あの日?」
「体育祭の後の」
「何だっけ」
「……」
一丁前に外枝の声色が怒気を帯び始めたのが面白くて、ついとぼけてしまう。
「誰にも言わないって約束したよね?!」
「ああ、した」
「うそ、今忘れてたじゃん」
「からかっただけだよ」
「ハッ、何それ」
外枝の眉は依然八の字を保っている。ただし、眉間には跡が残りそうなほど深い皺が寄っている。
「あのさ……、君はそうやって強気に出られる立場なのかな」
トーンダウンした僕の言葉に、外枝の表情が強張る。
「教室であんなことしてた人間が、どうして俺を疑えるんだよ、責められるんだよ、なあ?」
追い打ちを掛けてみると、今度はどんどん弱弱しい目つきになっていく。
おそらく、彼女の中で今、あの日の失態がフラッシュバックしていることだろう。
――一週間前。
忘れものを取りに帰った教室で、突然ロッカーから首にタオルを巻いた状態で現れた外枝と遭遇した。
タオルを取り上げ、落ち着きを取り戻した彼女に「何をしていた」と尋ねたところ、次のように返ってきた。
「首を絞めるのが、その、癖で」
とても勇気の要る告白だったと思う。
「癖とかは知らないよ、好きにしたらいいさ」
僕は一枚のタオルを手に握って、再び尋ねた。
「これ、マッチョのタオルだよね?」
外枝が机に手をついて、前のめりになって答える。
「あ、や、それはたまたま拾っただけで…!」
勢いづく彼女を手で制す。
「そうじゃなくてさ」
「……」
外枝が落ち着いたのを確認して、言葉を続ける。
「他人のモノ拾って、自分の癖のために使うってどんな神経してんの?」
「や、その……」
「放課後勝手に居残って、他人のタオル使って、ロッカーに隠れてオナニーってなんだよ、トリプルアウトだ馬鹿、退場だよ」
「んふっ……ぁごめ」
「謝るの僕じゃないよね」
「え、え、あ」
「マッチョにも謝るなよ、こんな気持ち悪い話聞かせていいわけないだろ、考えろ」
外枝を断罪する絶好のチャンスに乗じて、彼女の退路を塞いでいく。
「とりあえず、タオルは俺が洗ってマッチョに返しておく、お前はもう帰れ」
やつ当たるようにまくし立てたからだろうか、外枝はまだ僕の言葉を処理できていないようだった。
額に汗を滲ませ、虚ろな目をしているところに、再び追い打ちをかけたい。
「早く帰れって」
「今日のことは誰にも言わないで…っ」
かぶせ気味に発した保身の言葉に辟易する。
「心配しなくても言わない、誰も喜ばないから」
「本当に?」
「本当だから早く帰れ」
追い出すように手を払うと、数秒の沈黙の後、ゆっくりと帰っていった。
それから十分ほど経ってから、僕も帰路に就いたのだった。
あの日は、もやが晴れたような、そうでもないような、不思議な余韻があった。
あの感覚を反芻していると、肩越しに微かな振動が伝わってきた。
隣を見ると、外枝が瞳を濡らして、口をつぐんでいる。
「あの……」
「泣いてない」
「いや泣いてるよ」
「泣いてない」
「残念だけど泣いてるんだよ」
「泣いてないってぇ~」
「泣いてるよね」
「もぉ~泣いてるんだよぉ~」
「泣いてるじゃないか」
「あぁ~だってぇ~」
「何」
「教室でへ、変なとこみられてぇ~」
それは事故だ。
「めっちゃ怒られてぇ~」
あれは気持ちよかった。
「久しぶりに話したのに、全然信用できないぃ~」
先ほどの会話で大分信用を損なってしまったみたいだ。
「のにまた怒られてぇ~」
えぐえぐと泣き続けるので、ハンカチを貸してやる。
「教室で変態的な自慰にふけるのが悪いよね」
「わがってるってぇぇ~!!」
またボルテージが一段上がった。
「でも辞められないんだよぉ~」
「どうして」
「わがんないぃぃ~~」
「辞めたい?」
「辞めないぃぃ~~」
「どうして?」
「わぁぁ~~」
それ以降、ぐしゃぐしゃに泣く外枝から言葉を聞き出すことはできなかった。
それからしばらく綿来川の水面の輝きと、たまに雑草をつつく雀を眺めていた。
目の前を通り過ぎる人々は、泣きじゃくる外枝を見て種々の反応を見せた。
無視するおばさん、ぎょっとして足早に去る人男子中学生、無遠慮に俺と外枝を交互に凝視するおじさん、まだ声が聞こえる距離でひそひそと話し始める女子高生など、老若男女が通過した。
気づけば隣から聞こえる嗚咽が鼻をすする音に変わり、肩の震えもなくなっていた。
外枝が再び話せそうな状態になったので、僕は再び口を開く。
「誰にも迷惑かけないなら辞める必要もないんじゃない」
「……うん」
「あの日は、マッチョと俺だけじゃなくて、下手したらクラスや学校にも迷惑かけたかもしれないけど」
「う……うん」
「あと……というか、これが本題か」
「何?」
「監視していいよ」
「え?」
君が言い出したんだよ。
「信用できないんでしょ」
「うん」
「じゃあ好きなだけ監視しなよ」
「する」
「ただ、やり方は変えてほしい、今までのはストーカーだよ」
「すとっ……うん」
「よし」
「どうすればいい?」
「それ、は……例えば、始めと終わりに連絡、とか……じゃぁ今と変わらないか…」
それくらい自分で考えてほしい。
「……考えておくから今日は解散」
「わかった」
そう言うと外枝は立ち上がって、スマホを差し出してきた。
「ん?」
「連絡先」
画面を見ると、QRコードが表示されている。
「考えとくんでしょ? 思いついたら教えて」
僕は黙ってスマホを取り出し、QRコードを写真に収める。
「分かった」
「またね」
「…また」
外枝と、まるで友達みたいな挨拶をする日が来るとは思わなかった。
確か最寄り駅が同じはずだから、一本ずらして帰ろう。
歩き出した外枝を横目に、再び綿来川の水面に視線を落とす。
「あ、跳ねた」
波紋の広がりを目で追っていると、次第にせせらぎだけが鮮明に鼓膜を揺らし始める。
ゆっくりとまぶたを閉じて、空気の揺らぎを感じながら、鼓動を重ねるように、ゆっくりと息を吸って、吐く。
二回、三回と呼吸を繰り返すうちに、心が凪いでいく。
おもむろに瞼を持ち上げて、再び光を受け取る。先ほど波立っていた水面は、ただ上から下へ流れる平常の姿を取り戻していた。
「ねぇ」
「何ですか……」
駅へ向かったはずの外枝が隣に座る。
「志藤くんって最寄り一緒だったよね」
「そうなんだ……」
嫌な予感がする……。
「一緒に帰ろうよ」
「…うんぇえ……」
外枝が立ち上がって、俺の手を取る。
「私も考えたよ、新しい監視の仕方」
くいくいと引っ張られるので、仕方なく立ち上がる。
「何……」
「一緒に通学しようよ」
「わぁぁ~~」
「泣いてる?」
「泣いてない」
僕は静岡くん、黒木くんとよく行動するようになった。
静岡くんは聡明で思慮深く、かつクラスをまとめる器量がある人物で、この短期間に見習いたいところがいくつも見つかった。
黒木くんは、自己主張がハッキリしている一方で、広い視野と繊細な感覚を持っているようだ。そして、ぶっきらぼうな言動には、他者を思いやる優しさが見え隠れしてる。
尊敬できる素敵な友人に恵まれ、僕の高校生活は好スタートを切った。
それと同時に、ある一つの問題が僕の胸に影を落としていた。
花の金曜日、放課後。委員会に出席する静岡くんと別れ、黒木くんと二人で綿来川沿いの親水公園を歩いていると、おもむろに黒木くんが足を止めた。
「どうしたの?」
黒木くんは僕にだけ見えるように、胸の前で小さく後ろを指さし、「う・し・ろ」と唇を動かした。
視線が悟られないギリギリの角度で、彼女を視界の隅に収める。
「あ~、やっぱりか……」
「やっぱりって、気づいてたのか。じゃあ、俺じゃなくて志藤に用があるんだな?」
沿道の木に隠れてこちらの様子を伺っていた彼女は、僕たちが立ち話を始めたのを見て、ベンチに腰掛けスマホを取り出した。
「だと思う。月曜からずっとだし」
「マジ? 俺気づいたの一昨日なんだけど…」
「月火は朝だけだったんだよね。水曜から放課後も跡をつけてくるようになって流石に……」
「ちと怖えな」
嫌がらせか、何かの機を伺っているのか、彼女の動機は分からないけど、あの日――体育祭後の教室での出来事がきっかけにあるのは間違いないはずだ。
だから、僕にとって外枝という人間は、怖いというより不可解な存在というのがやはり適切だと思う。
去年の夏から、ずっと。
しかし、それは黒木くんの知るところではないので、今は訝しむ彼の言葉にうなづいておく。
外枝はスマホを眺めながら、しきりにこちらへ視線を向けている。
そろそろ新しい動きがあると思っていたんだけどな。
来週以降もこんな時間が続くのは鬱陶しいし、不本意だけど、こちらから声を掛けてしまおうか、なんて考えていると――
「俺が聞いてきてやるよ」
黒木くんの思いがけない提案だ。いや、この提案こそが、彼の真骨頂かもしれない。
「そんなビビった顔すんなよ、同中なんだろ?」
どうやら短い思案の間に、表情が強張ってしまっていたようだ。それを見逃さなかった黒木くんは、僕が外枝へ何かしらのネガティブな意識を持っている、と推察して助けようとしてくれたんだと思う。
もっとも、僕が外枝に抱いているのは、恐怖ではなく不明瞭な憤りと負の好奇心だ。
「えっ、そんな顔だった?! 恥ずかしいな…」
少し大げさに反応する僕に、黒木くんは、安心しろ、と笑いかけてくれる。
「でも、大丈夫だよ、ありがとう」
できる限りの柔らかな笑顔を意識して、答える。
僕の余裕と意思が、伝わるように。
これは、僕自身で解決するべき問題だ。
「…そ?」
「うん、それじゃあ、ちょっと話してくるからさ。申し訳ないけど、今日はここで」
僕の振る舞いが、黒木くんの目にどう映ったのかはわからない。
「オーケー、また来週な」
それだけ言って、彼は再び家路を辿り始めた。
「うん、またね」
そう言いながら、僕から外枝までの距離と同じくらいのところで曲がって姿が見えなくなるまで、その背中を見つめてみた。
彼は一度も振り返らなかった。
ただ、途中、沿道で座り込んでしまっている小学校低学年くらいの男の子に、ポケットから何かを取り出し、渡すのを見た。
「さて…」
少し深く息を吐いて、お腹に力を入れる。
振り返れば、相変わらずスマホに視線を落として上げてを繰り返す外枝がいた。
僕がしばらく見つめたままでいると、外枝の忙しなかった動きが落ち着き、というより固まった。
少し顎を引いて、一歩ずつ、確実に距離を縮める。
10歩歩いたところで、互いが互いの視線を完全に捉えた。
逃げる様子はないから、そのままの歩調で、更に近づく。
そうして、ベンチに腰掛ける外枝の真正面に立ち、見下ろしながら問う。
「何の用」
「アッ、あぁ~、その」
しどろもどろになった外枝の顔をのぞくと、誰かに磁石で遊ばれているかのように、黒目だけがひたすらぐるぐると渦巻いている。
「何」
更にプレッシャーをかけてみると、みるみるうちに耳が赤く染まっていく。
「か、カッかん」
うまく聞き取れない。
「閣下?」
「監視!!」
「いぎっ!!」
「いだぁ?!」
いきなり視界が塞がって、謎の衝撃が脳天を突き抜けた!
「……ぃってぇ~~!!!!!」
じんわりと広がる痛みを感じながら、反射的に滲んだ涙を拭うと、頭頂部を擦る外枝の姿が見えた。
「ったぁ……」
「いきなり立ち上がるなよ! そしてまず謝れよ!!」
「あっごめ、アッ」
外枝が間抜けな声を上げると同時に、鼻から何かが伝うのを感じた。
「おわっ最悪だよ~」
とりあえず鼻の頭を押さえながら、悪態をつく。
ティッシュを取り出そうと片手でリュックのポケットをまさぐるも、なかなかみつけられない。
「ふぉぁー」
苛立ちを乗せたため息が、はー、でもふー、でもない間抜けな発音になる。
外枝が下手に出るからとりあえず被害者ヅラしてみたけど、変にのぞき込んでた僕も悪いし、そもそも調子に乗って高圧的に接しなきゃ激突することもなかった。
おまけに鼻血出して変な声で悪態ついて、自業自得という言葉の意味を身をもって知った。
僕が身勝手に凹んでいると、外枝がティッシュを差し出してきた。
包装がマットな質感の、柔らかくてちょっと良いヤツだ。
「使って」
「…ありがとう」
ティッシュを一枚取り出して、鼻に優しく詰めて、余った部分を千切る。
僕が千切った方で手に付着した血を拭き取っているのを見て、外枝がもう一度「ごめん」と謝った。
「いいよ、自業自得だし」
「? とにかく、ごめんね」
自分から仕掛けておきながら、ここからは外枝が申し訳なさそうな態度を取る度、罪悪感が募りそうだ。
「もういいって」
そう言っても、外枝は眉を八の字したまま目をきょろきょろさせている。
もういいって言ってるんだよ、いい加減話を進めたい……。
「ほら、座って」
ベンチに腰掛け、外枝にも座るよう促す。
「うん……」
三人は座れるサイズにも関わらず、彼女は肩が触れ合うほどの位置に腰を落ち着ける。
コイツの距離感はどうなってるんだ……。
「で。結局何の用なんだ」
こうなったら、さっさと本題に入って、この問題を片づけてしまおう。
「えっと、か、監視」
「監視ィ?」
「監視、見張ってるの」
「誰を」
「志藤だよ」
「何で」
「君が本当に誰にも話さないかが心配で」
「何を」
「……あの日のことだよ」
「あの日?」
「体育祭の後の」
「何だっけ」
「……」
一丁前に外枝の声色が怒気を帯び始めたのが面白くて、ついとぼけてしまう。
「誰にも言わないって約束したよね?!」
「ああ、した」
「うそ、今忘れてたじゃん」
「からかっただけだよ」
「ハッ、何それ」
外枝の眉は依然八の字を保っている。ただし、眉間には跡が残りそうなほど深い皺が寄っている。
「あのさ……、君はそうやって強気に出られる立場なのかな」
トーンダウンした僕の言葉に、外枝の表情が強張る。
「教室であんなことしてた人間が、どうして俺を疑えるんだよ、責められるんだよ、なあ?」
追い打ちを掛けてみると、今度はどんどん弱弱しい目つきになっていく。
おそらく、彼女の中で今、あの日の失態がフラッシュバックしていることだろう。
――一週間前。
忘れものを取りに帰った教室で、突然ロッカーから首にタオルを巻いた状態で現れた外枝と遭遇した。
タオルを取り上げ、落ち着きを取り戻した彼女に「何をしていた」と尋ねたところ、次のように返ってきた。
「首を絞めるのが、その、癖で」
とても勇気の要る告白だったと思う。
「癖とかは知らないよ、好きにしたらいいさ」
僕は一枚のタオルを手に握って、再び尋ねた。
「これ、マッチョのタオルだよね?」
外枝が机に手をついて、前のめりになって答える。
「あ、や、それはたまたま拾っただけで…!」
勢いづく彼女を手で制す。
「そうじゃなくてさ」
「……」
外枝が落ち着いたのを確認して、言葉を続ける。
「他人のモノ拾って、自分の癖のために使うってどんな神経してんの?」
「や、その……」
「放課後勝手に居残って、他人のタオル使って、ロッカーに隠れてオナニーってなんだよ、トリプルアウトだ馬鹿、退場だよ」
「んふっ……ぁごめ」
「謝るの僕じゃないよね」
「え、え、あ」
「マッチョにも謝るなよ、こんな気持ち悪い話聞かせていいわけないだろ、考えろ」
外枝を断罪する絶好のチャンスに乗じて、彼女の退路を塞いでいく。
「とりあえず、タオルは俺が洗ってマッチョに返しておく、お前はもう帰れ」
やつ当たるようにまくし立てたからだろうか、外枝はまだ僕の言葉を処理できていないようだった。
額に汗を滲ませ、虚ろな目をしているところに、再び追い打ちをかけたい。
「早く帰れって」
「今日のことは誰にも言わないで…っ」
かぶせ気味に発した保身の言葉に辟易する。
「心配しなくても言わない、誰も喜ばないから」
「本当に?」
「本当だから早く帰れ」
追い出すように手を払うと、数秒の沈黙の後、ゆっくりと帰っていった。
それから十分ほど経ってから、僕も帰路に就いたのだった。
あの日は、もやが晴れたような、そうでもないような、不思議な余韻があった。
あの感覚を反芻していると、肩越しに微かな振動が伝わってきた。
隣を見ると、外枝が瞳を濡らして、口をつぐんでいる。
「あの……」
「泣いてない」
「いや泣いてるよ」
「泣いてない」
「残念だけど泣いてるんだよ」
「泣いてないってぇ~」
「泣いてるよね」
「もぉ~泣いてるんだよぉ~」
「泣いてるじゃないか」
「あぁ~だってぇ~」
「何」
「教室でへ、変なとこみられてぇ~」
それは事故だ。
「めっちゃ怒られてぇ~」
あれは気持ちよかった。
「久しぶりに話したのに、全然信用できないぃ~」
先ほどの会話で大分信用を損なってしまったみたいだ。
「のにまた怒られてぇ~」
えぐえぐと泣き続けるので、ハンカチを貸してやる。
「教室で変態的な自慰にふけるのが悪いよね」
「わがってるってぇぇ~!!」
またボルテージが一段上がった。
「でも辞められないんだよぉ~」
「どうして」
「わがんないぃぃ~~」
「辞めたい?」
「辞めないぃぃ~~」
「どうして?」
「わぁぁ~~」
それ以降、ぐしゃぐしゃに泣く外枝から言葉を聞き出すことはできなかった。
それからしばらく綿来川の水面の輝きと、たまに雑草をつつく雀を眺めていた。
目の前を通り過ぎる人々は、泣きじゃくる外枝を見て種々の反応を見せた。
無視するおばさん、ぎょっとして足早に去る人男子中学生、無遠慮に俺と外枝を交互に凝視するおじさん、まだ声が聞こえる距離でひそひそと話し始める女子高生など、老若男女が通過した。
気づけば隣から聞こえる嗚咽が鼻をすする音に変わり、肩の震えもなくなっていた。
外枝が再び話せそうな状態になったので、僕は再び口を開く。
「誰にも迷惑かけないなら辞める必要もないんじゃない」
「……うん」
「あの日は、マッチョと俺だけじゃなくて、下手したらクラスや学校にも迷惑かけたかもしれないけど」
「う……うん」
「あと……というか、これが本題か」
「何?」
「監視していいよ」
「え?」
君が言い出したんだよ。
「信用できないんでしょ」
「うん」
「じゃあ好きなだけ監視しなよ」
「する」
「ただ、やり方は変えてほしい、今までのはストーカーだよ」
「すとっ……うん」
「よし」
「どうすればいい?」
「それ、は……例えば、始めと終わりに連絡、とか……じゃぁ今と変わらないか…」
それくらい自分で考えてほしい。
「……考えておくから今日は解散」
「わかった」
そう言うと外枝は立ち上がって、スマホを差し出してきた。
「ん?」
「連絡先」
画面を見ると、QRコードが表示されている。
「考えとくんでしょ? 思いついたら教えて」
僕は黙ってスマホを取り出し、QRコードを写真に収める。
「分かった」
「またね」
「…また」
外枝と、まるで友達みたいな挨拶をする日が来るとは思わなかった。
確か最寄り駅が同じはずだから、一本ずらして帰ろう。
歩き出した外枝を横目に、再び綿来川の水面に視線を落とす。
「あ、跳ねた」
波紋の広がりを目で追っていると、次第にせせらぎだけが鮮明に鼓膜を揺らし始める。
ゆっくりとまぶたを閉じて、空気の揺らぎを感じながら、鼓動を重ねるように、ゆっくりと息を吸って、吐く。
二回、三回と呼吸を繰り返すうちに、心が凪いでいく。
おもむろに瞼を持ち上げて、再び光を受け取る。先ほど波立っていた水面は、ただ上から下へ流れる平常の姿を取り戻していた。
「ねぇ」
「何ですか……」
駅へ向かったはずの外枝が隣に座る。
「志藤くんって最寄り一緒だったよね」
「そうなんだ……」
嫌な予感がする……。
「一緒に帰ろうよ」
「…うんぇえ……」
外枝が立ち上がって、俺の手を取る。
「私も考えたよ、新しい監視の仕方」
くいくいと引っ張られるので、仕方なく立ち上がる。
「何……」
「一緒に通学しようよ」
「わぁぁ~~」
「泣いてる?」
「泣いてない」
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バスト105cm巨乳チアガール”妙子” 地獄の学園生活
アダルト小説家 迎夕紀
青春
バスト105cmの美少女、妙子はチアリーディング部に所属する女の子。
彼女の通う聖マリエンヌ女学院では女の子達に売春を強要することで多額の利益を得ていた。
ダイエットのために部活でシゴかれ、いやらしい衣装を着てコンパニオンをさせられ、そしてボロボロの身体に鞭打って下半身接待もさせられる妙子の地獄の学園生活。
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主人公の女の子
名前:妙子
職業:女子学生
身長:163cm
体重:56kg
パスト:105cm
ウェスト:60cm
ヒップ:95cm
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*こちらは表現を抑えた少ない話数の一般公開版です。大幅に加筆し、より過激な表現を含む全編32話(プロローグ1話、本編31話)を読みたい方は以下のURLをご参照下さい。
https://note.com/adult_mukaiyuki/m/m05341b80803d
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令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
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