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第1話 雪村さんとアオイさん
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僕は信じる。
小さい頃に、お祖母ちゃんが教えてくれた、「お米の一粒に七人の神様がいる」という教えを。
中学生の時、20年も前に卒業したお笑い芸人が語った、「夢は必ず叶う」という言葉を。
高校の掃除の時間、一週間毎日「家族が熱を出したから」と、僕に代わるよう頼んできたクラスメイトの嘘を。
僕は信じる。
人間の素晴らしさを。
良いところも、悪いところも、それが人間だと信じて、丸ごと愛することができたら、それが一番幸せだから。
僕が何か良くないことをこうむった時、それはどんな場合でも、全部僕のせいだ。
逆に何か良いことが起きたなら、それはきっと僕が信じた人たちのおかげだ。
僕が生きる世界では、間違えるのも悪いのも僕一人だ。
そういう世界は、たまにとても苦しいような気がするけれど、きっと一番楽だ。
*
「あの、プリント見せてくれない?」
4限の終わりを知らせる音楽が鳴り終わると同時に、声を掛けられる。
声の主は、空席を一つ挟んで腰掛ける女の子だ。
僕は教材を片付ける手を止めることなく答える。
「プリントなら前にありますよ、前回の分も」
「や、あの。や、さっきのとこ、メモ取り忘れちゃって」
女の子は前髪をなおしながら言う。
「そういうことなら、どうぞ」
僕はたった今ファイルにしまったばかりのプリントを差し出す。
女の子は、A4の紙一枚を、両手で受け取る。
「あ、ありがとう」
「読みづらいとこがあったら、ごめんなさい」
小さく頭を下げ、断りを入れる。
「や、あの、全然助かる。ありがとう」
そう言いながらスマホを取り出して、パシャパシャと写真を撮る。
「大丈夫そう?」
シャッター音が止んでから尋ねると、女の子は、何枚か写真をスクロールするそぶりを見せてから、うなずいた。
「あの、ありがとう、ほんとに。助かった」
女の子は両手でプリントを持って、向きもこちらに合わせて丁寧に返してくる。
「助けになれたなら良かったです」
僕も両手で受け取って、女の子と目を合わせる。
すると、既にこちらを向いていた女の子の視線とぶつかる。
微妙な空気が流れる。
「それじゃ、お疲れさまでした」
沈黙を振り切るように荷物をまとめ、席を立とうとすると、女の子が再び口を開いた。
「あのっ」
「はい……?」
浮かせた腰を落ち着けて、再び女の子に向き直る。
「ライン、聞いてもい?」
女の子の頬が、ほんのりと赤みを帯びている。
「いいですけど、どうして……?」
「…れは、その」
女の子の耳は、燃えているように真っ赤に染まっている。
反対に、目の横を落ちる触覚と耳にかけた髪の間からみえる素肌は、脱色したように真っ白だ。
長くて豊かなまつげが、パチパチと上下している。
僕が無遠慮に視線を向けている間も、女の子は二の句が出ない。
「体調悪い?」
努めて優しく尋ねると、女の子はハッとして答えた。
「プリント…! もらい忘れて」
「前回の分なら、前にありますよ」
教壇を指すと、ちょうど教授が教材をまとめているところだった。
「や、その、もう一個前の、なくて」
しどろもどろな言葉が、腑に落ちる。
「ああ、アレ、テストに出るって言ってましたよね」
「そう、それそれ。だから、写真、送ってほしい」
女の子がQRコードを表示させたスマホの画面を、こちらに向ける。
「いや、それなら今そのプリント持ってるので、コピーして渡しますよ」
僕は再びファイルを取り出す。
日付順に重ねたプリントをパラパラとめくっている間、「あ…」と女の子が再び何かを言いかけたのが聞こえた。
「しまった、家で復習に使って、そのまま置いてきてしまったみたいです」
「じゃ、じゃあ…!」
「少しお待たせすることになりますけど、後で写真、送りますね」
今度は僕から、QRコードを提示する。
「あ、りがと……」
女の子はやはり両手でスマホを持って、慎重にQRコードを読み取る。
「ばん、くん……」
呟く声に、どこか聞き覚えがあるような気がした。
「あっ。や、その、引き留めてごめんね…?」
恐る恐る、という様子で女の子が言う。
「いや、急いでないし、大丈夫ですよ」
腕時計を確認して、答える。
「あ、そっか、よかった……」
再び、微妙な空気が流れる。
今度こそ、席を立とうとすると、僕がお尻を浮かせるよりも早く、女の子が立ち上がった。
「あ、わたしバイトだ。それじゃ…」
足早に立ち去ろうとする女の子に、僕は慌てて別れの挨拶を投げかける。
「えっと、バイト頑張って! 写真、後で送るから!」
一瞬、スマホに目線を落とす。
「またね! 雪村さん!」
名前を呼ぶと、ドアを開けたままの体勢で雪村さんが振り返る。
遠目にわかるほど、その顔は赤い。
「うん!」
ここまで一番の声量で答えて、小走りに去っていった。
それから、僕も席を立ち、リュックを背負う。
雪村さんの開けたドアを通って、教室に誰も残っていないのを確認してから、閉じる。
ゆっくり、廊下に音が響かないように、ゆっくりドアノブから手を放す。
「ん……?」
そういえば、どうして雪村さんは、あのプリントがテストに出ると知っていたんだろう。
プリントをもらっていないってことは、授業に出なかったってこと。
授業に出てないなら、そのプリントがテストに出ること自体、知らないはずだ。
「まあ、いいか」
頭の片隅で生まれた小さな疑問を追い出して、僕は家路を急ぐ。
さっき、「急いでない」といったのは、嘘じゃない。
この後、時間を急ぐような約束事があるわけじゃない。
ならばどうして急ぐのかというと、今日は、同居人が夕飯を作ってくれる日だからだ。
*
ドアを開けると、間髪入れずに同居人が胸に飛び込んでくる。
「おかえりなさいっ」
その声は少女のように可憐で、しかし淑女のような安らぎさえ感じさせる。
「ただいま」
僕は彼女の髪が乱れないように、頭をそっと指で撫でる。
ほんのりと甘い、フローラルの香りがふわりと漂う。
「えへへ、くすぐったいよ」
彼女が少し照れて言うけれど、僕の手を止めることはしない。
「あんまり綺麗な髪だから、つい触れたくなってしまうんだ」
後ろ手にドアを閉めながら、部屋に入る。
僕が靴を脱いでいる間に、同居人はぱたぱたとリビングへ駆けていく。
「確認! 夕ご飯、まだだよね?」
後ろから鼓膜を揺らす、優しい声色に、僕の心は温かくなって、ふわふわする。
「うん、食べてない」
スニーカーの向きを揃えながら答える。
隣に置いてある同居人の靴は、白くて小さくて、とても綺麗だ。
僕の28cmのスニーカーと並べるともっと小さく見えて、それがなんだか可愛らしくて、自然と口角が上がる。
「もしかして、もうご飯出来てる?」
僕は半ば確信して聞く。
換気扇の音。わずかに残った香ばしい匂い。
「ピンポーン」
穏やかな声が、弾む。それだけで、世界が木漏れ日のような幸せに満たされる。
「さっき、連絡くれたでしょ? それで、伴くんがお家に着く時間に合わせて、作っちゃいました」
「えー! ありがとう」
父、母、祖父、祖母。
僕に繋がるまで、連綿と紡がれてきた命の連なりは、この時のためにあったのかもしれない。
この気持ちが、そっくりそのまま、同期するように伝わればいいのに、と思う。
形のない心の代謝を表すのに、秩序ある言葉じゃ少し足りない。
だから、せめて、精一杯心を込めて、大切に「ありがとう」の五文字を言うんだ。
「へへ、時間、ぴったりだったね!」
軽やかな声に、僕の胸が高鳴る。
「ベストタイミングで帰ってこられたみたいで、良かった」
手を洗い、興奮を落ち着けてから、洗面所を出る。
「うんうん! あ、ちょっと暗いよね、電気点ける」
同居人がピ、っと唱えて、部屋の中は暖かいオレンジ色の明かりに照らされる。
「ジャーン! 今日のご飯はオムライスです!」
得意げな同居人の表情が、美しくて、可愛い。
「めっちゃ美味しそう……」
「ふふん、でしょ。更に、ここから美味しくなるよ」
同居人が、両手で真っ赤なチューブを持って、オムライスに口を向ける。
「よいしょーっ、ほっ、はっ」
威勢のいい掛け声と裏腹に、ゆっくりと黄色いキャンパスに赤い文字が描かれていく。
「ば、ん、く、ん……」
眉間に皺を寄せた表情は、まさに真剣そのものだ。
「よし、できたーっ」
完成したオムライスには、「伴くん」と僕の名前、そして最後に、皿にはみ出るほどのハートマークがあしらわれていた。
「わあ、ありがとう」
感極まった僕の声に、同居人は照れ隠しに頬をかく。
「ちょっとはみ出しちゃったけど……」
「めちゃくちゃ嬉しいよ…!」
「そ? そう言ってくれて、私もうれしー」
同居人の緩い笑顔には、引力があると思う。
「それじゃ、さっそく……」
僕はデザート用の小さいスプーンを手に取り、オムライスを一口分、浅い小皿に取り分ける。
「はい、アオイさん」
「ありがとう」
アオイさんが手をかざすと、小皿は瞬く間に、一円玉と同じくらいまで縮んだ。
テーブルの上に置いてある、木目調の小さな丸テーブルと丸椅子は、百均で買ったものだ。
そこに腰かけたアオイさんが、僕を見上げながら、口元に手を添えてささやく。
「せーの」
「「いただきます」」
二人の声が重なる。
僕は、この味や、アオイさんが料理に掛けた時間、気持ち、お皿に乗った何もかもを取りこぼしたくなくて、そして万が一にも、下品な咀嚼音なんて聞かせたくなくて、口を結んで、ゆっくりと下あごを動かす。
アオイさんはといえば、一度に頬張りすぎたのか、両の頬を膨らませながら、もぐもぐと一生懸命に噛んでいる。
僕はそれを見て、ああ、アオイさんも生き物なんだな、なんて思う。
生きるための食事。
かけがけのない時間を、僕はアオイさんと、アオイさんは僕と共に過ごしている。
その事実がたまらなく愛おしくて、オムライスがもっと、何倍にも美味しくなる。
僕の喉の隆起が上下して、アオイさんの頬がしぼんだ時、もう一度二人の声が重なる。
「「美味しいねっ」」
僕の同居人は、アオイさんという。
ある日、ひょんなことから出会った、妖精である。
小さい頃に、お祖母ちゃんが教えてくれた、「お米の一粒に七人の神様がいる」という教えを。
中学生の時、20年も前に卒業したお笑い芸人が語った、「夢は必ず叶う」という言葉を。
高校の掃除の時間、一週間毎日「家族が熱を出したから」と、僕に代わるよう頼んできたクラスメイトの嘘を。
僕は信じる。
人間の素晴らしさを。
良いところも、悪いところも、それが人間だと信じて、丸ごと愛することができたら、それが一番幸せだから。
僕が何か良くないことをこうむった時、それはどんな場合でも、全部僕のせいだ。
逆に何か良いことが起きたなら、それはきっと僕が信じた人たちのおかげだ。
僕が生きる世界では、間違えるのも悪いのも僕一人だ。
そういう世界は、たまにとても苦しいような気がするけれど、きっと一番楽だ。
*
「あの、プリント見せてくれない?」
4限の終わりを知らせる音楽が鳴り終わると同時に、声を掛けられる。
声の主は、空席を一つ挟んで腰掛ける女の子だ。
僕は教材を片付ける手を止めることなく答える。
「プリントなら前にありますよ、前回の分も」
「や、あの。や、さっきのとこ、メモ取り忘れちゃって」
女の子は前髪をなおしながら言う。
「そういうことなら、どうぞ」
僕はたった今ファイルにしまったばかりのプリントを差し出す。
女の子は、A4の紙一枚を、両手で受け取る。
「あ、ありがとう」
「読みづらいとこがあったら、ごめんなさい」
小さく頭を下げ、断りを入れる。
「や、あの、全然助かる。ありがとう」
そう言いながらスマホを取り出して、パシャパシャと写真を撮る。
「大丈夫そう?」
シャッター音が止んでから尋ねると、女の子は、何枚か写真をスクロールするそぶりを見せてから、うなずいた。
「あの、ありがとう、ほんとに。助かった」
女の子は両手でプリントを持って、向きもこちらに合わせて丁寧に返してくる。
「助けになれたなら良かったです」
僕も両手で受け取って、女の子と目を合わせる。
すると、既にこちらを向いていた女の子の視線とぶつかる。
微妙な空気が流れる。
「それじゃ、お疲れさまでした」
沈黙を振り切るように荷物をまとめ、席を立とうとすると、女の子が再び口を開いた。
「あのっ」
「はい……?」
浮かせた腰を落ち着けて、再び女の子に向き直る。
「ライン、聞いてもい?」
女の子の頬が、ほんのりと赤みを帯びている。
「いいですけど、どうして……?」
「…れは、その」
女の子の耳は、燃えているように真っ赤に染まっている。
反対に、目の横を落ちる触覚と耳にかけた髪の間からみえる素肌は、脱色したように真っ白だ。
長くて豊かなまつげが、パチパチと上下している。
僕が無遠慮に視線を向けている間も、女の子は二の句が出ない。
「体調悪い?」
努めて優しく尋ねると、女の子はハッとして答えた。
「プリント…! もらい忘れて」
「前回の分なら、前にありますよ」
教壇を指すと、ちょうど教授が教材をまとめているところだった。
「や、その、もう一個前の、なくて」
しどろもどろな言葉が、腑に落ちる。
「ああ、アレ、テストに出るって言ってましたよね」
「そう、それそれ。だから、写真、送ってほしい」
女の子がQRコードを表示させたスマホの画面を、こちらに向ける。
「いや、それなら今そのプリント持ってるので、コピーして渡しますよ」
僕は再びファイルを取り出す。
日付順に重ねたプリントをパラパラとめくっている間、「あ…」と女の子が再び何かを言いかけたのが聞こえた。
「しまった、家で復習に使って、そのまま置いてきてしまったみたいです」
「じゃ、じゃあ…!」
「少しお待たせすることになりますけど、後で写真、送りますね」
今度は僕から、QRコードを提示する。
「あ、りがと……」
女の子はやはり両手でスマホを持って、慎重にQRコードを読み取る。
「ばん、くん……」
呟く声に、どこか聞き覚えがあるような気がした。
「あっ。や、その、引き留めてごめんね…?」
恐る恐る、という様子で女の子が言う。
「いや、急いでないし、大丈夫ですよ」
腕時計を確認して、答える。
「あ、そっか、よかった……」
再び、微妙な空気が流れる。
今度こそ、席を立とうとすると、僕がお尻を浮かせるよりも早く、女の子が立ち上がった。
「あ、わたしバイトだ。それじゃ…」
足早に立ち去ろうとする女の子に、僕は慌てて別れの挨拶を投げかける。
「えっと、バイト頑張って! 写真、後で送るから!」
一瞬、スマホに目線を落とす。
「またね! 雪村さん!」
名前を呼ぶと、ドアを開けたままの体勢で雪村さんが振り返る。
遠目にわかるほど、その顔は赤い。
「うん!」
ここまで一番の声量で答えて、小走りに去っていった。
それから、僕も席を立ち、リュックを背負う。
雪村さんの開けたドアを通って、教室に誰も残っていないのを確認してから、閉じる。
ゆっくり、廊下に音が響かないように、ゆっくりドアノブから手を放す。
「ん……?」
そういえば、どうして雪村さんは、あのプリントがテストに出ると知っていたんだろう。
プリントをもらっていないってことは、授業に出なかったってこと。
授業に出てないなら、そのプリントがテストに出ること自体、知らないはずだ。
「まあ、いいか」
頭の片隅で生まれた小さな疑問を追い出して、僕は家路を急ぐ。
さっき、「急いでない」といったのは、嘘じゃない。
この後、時間を急ぐような約束事があるわけじゃない。
ならばどうして急ぐのかというと、今日は、同居人が夕飯を作ってくれる日だからだ。
*
ドアを開けると、間髪入れずに同居人が胸に飛び込んでくる。
「おかえりなさいっ」
その声は少女のように可憐で、しかし淑女のような安らぎさえ感じさせる。
「ただいま」
僕は彼女の髪が乱れないように、頭をそっと指で撫でる。
ほんのりと甘い、フローラルの香りがふわりと漂う。
「えへへ、くすぐったいよ」
彼女が少し照れて言うけれど、僕の手を止めることはしない。
「あんまり綺麗な髪だから、つい触れたくなってしまうんだ」
後ろ手にドアを閉めながら、部屋に入る。
僕が靴を脱いでいる間に、同居人はぱたぱたとリビングへ駆けていく。
「確認! 夕ご飯、まだだよね?」
後ろから鼓膜を揺らす、優しい声色に、僕の心は温かくなって、ふわふわする。
「うん、食べてない」
スニーカーの向きを揃えながら答える。
隣に置いてある同居人の靴は、白くて小さくて、とても綺麗だ。
僕の28cmのスニーカーと並べるともっと小さく見えて、それがなんだか可愛らしくて、自然と口角が上がる。
「もしかして、もうご飯出来てる?」
僕は半ば確信して聞く。
換気扇の音。わずかに残った香ばしい匂い。
「ピンポーン」
穏やかな声が、弾む。それだけで、世界が木漏れ日のような幸せに満たされる。
「さっき、連絡くれたでしょ? それで、伴くんがお家に着く時間に合わせて、作っちゃいました」
「えー! ありがとう」
父、母、祖父、祖母。
僕に繋がるまで、連綿と紡がれてきた命の連なりは、この時のためにあったのかもしれない。
この気持ちが、そっくりそのまま、同期するように伝わればいいのに、と思う。
形のない心の代謝を表すのに、秩序ある言葉じゃ少し足りない。
だから、せめて、精一杯心を込めて、大切に「ありがとう」の五文字を言うんだ。
「へへ、時間、ぴったりだったね!」
軽やかな声に、僕の胸が高鳴る。
「ベストタイミングで帰ってこられたみたいで、良かった」
手を洗い、興奮を落ち着けてから、洗面所を出る。
「うんうん! あ、ちょっと暗いよね、電気点ける」
同居人がピ、っと唱えて、部屋の中は暖かいオレンジ色の明かりに照らされる。
「ジャーン! 今日のご飯はオムライスです!」
得意げな同居人の表情が、美しくて、可愛い。
「めっちゃ美味しそう……」
「ふふん、でしょ。更に、ここから美味しくなるよ」
同居人が、両手で真っ赤なチューブを持って、オムライスに口を向ける。
「よいしょーっ、ほっ、はっ」
威勢のいい掛け声と裏腹に、ゆっくりと黄色いキャンパスに赤い文字が描かれていく。
「ば、ん、く、ん……」
眉間に皺を寄せた表情は、まさに真剣そのものだ。
「よし、できたーっ」
完成したオムライスには、「伴くん」と僕の名前、そして最後に、皿にはみ出るほどのハートマークがあしらわれていた。
「わあ、ありがとう」
感極まった僕の声に、同居人は照れ隠しに頬をかく。
「ちょっとはみ出しちゃったけど……」
「めちゃくちゃ嬉しいよ…!」
「そ? そう言ってくれて、私もうれしー」
同居人の緩い笑顔には、引力があると思う。
「それじゃ、さっそく……」
僕はデザート用の小さいスプーンを手に取り、オムライスを一口分、浅い小皿に取り分ける。
「はい、アオイさん」
「ありがとう」
アオイさんが手をかざすと、小皿は瞬く間に、一円玉と同じくらいまで縮んだ。
テーブルの上に置いてある、木目調の小さな丸テーブルと丸椅子は、百均で買ったものだ。
そこに腰かけたアオイさんが、僕を見上げながら、口元に手を添えてささやく。
「せーの」
「「いただきます」」
二人の声が重なる。
僕は、この味や、アオイさんが料理に掛けた時間、気持ち、お皿に乗った何もかもを取りこぼしたくなくて、そして万が一にも、下品な咀嚼音なんて聞かせたくなくて、口を結んで、ゆっくりと下あごを動かす。
アオイさんはといえば、一度に頬張りすぎたのか、両の頬を膨らませながら、もぐもぐと一生懸命に噛んでいる。
僕はそれを見て、ああ、アオイさんも生き物なんだな、なんて思う。
生きるための食事。
かけがけのない時間を、僕はアオイさんと、アオイさんは僕と共に過ごしている。
その事実がたまらなく愛おしくて、オムライスがもっと、何倍にも美味しくなる。
僕の喉の隆起が上下して、アオイさんの頬がしぼんだ時、もう一度二人の声が重なる。
「「美味しいねっ」」
僕の同居人は、アオイさんという。
ある日、ひょんなことから出会った、妖精である。
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