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第六章
青と碧の島(2)-2
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翌朝、ロレンツォは昨夜確かにあった温もりがないことに酷く焦った。
「アリサっ、アリサっ!」
呼んでみても返事はない。その代わり、日本の朝の匂いが鼻腔をくすぐった。その匂いをたどった先に有紗の姿はなかった。その代りにテーブルにはお弁当、コンロには出来たばかりの味噌汁があった。どこへ行ったのか? 不安になり、外へ駈け出した。いた! 二人分の洗濯物が風に靡いているその中に有紗がいた。そしてロレンツォは衝動のままに有紗を後ろから抱きしめた。突然のことに有紗はものすごく驚いて変な声をあげた。
「いなくなってしまったかと思ったよ……」
「び、びび、びっくりしました……」
「だって、起きたらアリサがいないから……昨日のことが全て夢だったんじゃないかって、不安だった……」
ロレンツォのその様に有紗は子供みたいだと思った。お昼寝から目を覚ましたら母親がいなくて、泣いて母親を探す子供のようで。
「大丈夫です。ずっとロレンツォ様のおそばにいますから」
ロレンツォに向き直り、その寂しがっている背中に手を回した。愛しいという思いが込み上げてくる。彼はどんなに孤独だっただろう。傷ついたのは自分だけではない、ロレンツォも同じように傷ついただろう。そしてこの優しい人は自分を責めたのだろう。
「朝ごはん作ったの。食べてくれますか?」
「うん。食べる……」
ロレンツォはなかなか有紗から離れない。でも、それでいい。ロレンツォが有紗の傷を癒すように、有紗もまたロレンツォの心を癒してあげたい。と思い、腕を伸ばしてロレンツォの頭をよしよしと撫でた。
「ごめんねアリサ。こんな情けない姿、見せたくはなかったけど」
「ううん。もっと見たい。ロレンツォ様のいろんな顔を見せてください。どんなあなただって、私にとっては大切な人だから。かっこいいあなたも、かっこ悪いあなたも、私にとっては大切なの」
「アリサ……うん。ありがとう」
ロレンツォが笑顔になると、胸がドキリと鳴った。
そのまま有紗は目を閉じる。唇が重なるその直前……
『ぐぅ~~~~』
間抜けな音がして、二人とも我に返った。そうだ。今は朝で、朝ごはんも出来上がっていたのだった。
「お、おなかすいたな」
「ふふ、ロレンツォ様かわいい」
「かわいいって……は、恥ずかしいな」
本当にロレンツォは恥ずかしそうにしていた。
「そうやって、たくさんのあなたを私に見せてください」
「うん。でも、アリサだけにね」
「はい」
洗濯かごを持とうとすると、すっとロレンツォに奪われた。私が持つよと。そして二人手を繋いで温かい朝食が待つ室内へ戻って行った。
朝食はいたってシンプル。炊き立てのご飯と味噌汁、卵焼き、そしてこの地方の名産の油味噌。卵焼きと味噌汁は上手にできたと思う。
ロレンツォは有紗の料理を絶賛しながら全て綺麗に食べた。食後のコーヒーを出したところでロレンツォは有紗の料理に感想の述べた。
「昨夜の食事もそうだけど、有紗の作る料理は美味しいね」
「また作ったら食べてくれますか?」
「もちろんだよ。あー、そうなるとシェフを解雇しないといけないな」
「えっ! たまにでいいの。たまにお料理させてくれたらそれでいいの。だから……」
「分かっているよ。でもここにいる間は有紗の料理を堪能させてもらおうかな」
「が、頑張ります」
二人は顔を見合わせて笑った。
朝食後、二人は夏美と夏美の父親のボートでハテの浜へでかけた。ここは島の中でも一番の観光スポットだ。エメラルドグリーンに浮かぶ白い砂浜は誰もが一度は行ってみたいと思う景色だ。シーズン前の平日ということもあり、人は疎らだ。
有紗もこの浜を気に入っていた。だから余計に二人で行きたかったのだ。そしてその景色はロレンツォもたいそう気に入ったようだった。
「驚いたな。日本にもこんなところがあったなんて」
「ね、とっても素敵でしょ」
「あぁ、最高だ」
浜を一周した二人はレジャーシートを敷いてそこに座り、有紗の作ったお弁当を広げ、持ってきたビールも出してランチにした。おにぎりもおかずも手の込んだことはしていないのに、相変わらずロレンツォは絶賛してくれた。抜けるような青空の下で昼間からビールを飲み、お弁当をつまむというのは何とも至福な時間だった。
「貝殻、拾って帰ろうかな」
「じゃぁ、何か入れ物を買わないとね。ベネチアングラスにする?」
「いえ、そんなに高価なものじゃなくていいの。一緒に選んでくれる?」
「もちろんだよ」
ランチの後、まだ帰るまでに時間があったこともあり、浜に打ち上げられた貝殻を拾って、形のいいものを選んで、その後は並んで海を眺めた。
優しい風が頬を撫でる。その風が自分の辛かった思いも消してくれたらと有紗は口を開いた。
「天国って、こんな感じかな?」
「どうだろうね、行ったことがないから分からないけれど、こんな素敵な所だったらいいね」
「誰にも言ってなかったけどね、本当は死のうと思ったの」
「えっ……?」
有紗の突然の告白にロレンツォは驚いた。まさか、死のうとしていただなんて……
「日本に帰ってきてからしばらくはそんなこと考えてた。誰の子かも分からない子を妊娠してしまっていたらって考えたら怖くて。でも、妊娠してなかった。よかったって思ったらすごく泣けて」
「アリサ……」
その告白に返す言葉が見当たらず、ロレンツォはただ名前を呼ぶことしかできなかった。
「でもね、いっぱい泣いたらね、何バカなこと考えたんだろうって思ったの。自分はまだ生きてる。これから何だってできるんだって」
「……それでここへ?」
「うん。お母さんが気分転換してきなさいって言ってくれたの」
「髪の毛を切ったのも?」
「うん。髪はいつかは伸びるから。全部リセットしようって」
「そう……」
長かった有紗の黒髪は今は肩に付くかつかないかという短さだ。この長さも嫌いではないが、やはり有紗は長い方が似合っているとロレンツォは思う。
「来てよかったって思ってる。だから、もう一度、あなたを愛したいの。また新しい私で、あなたを愛したい。あなたに愛されたい」
ポンと有紗の頭にロレンツォの手が触れた。
「アリサは強い子だね。強くて、美しい。私はね、随分と遠回りをしてしまったけれど、この歳になってやっと心から愛せる人に出会えたと思ってるんだ。それはもちろん君だよ? 私も君を愛したいし、君に愛してもらいたいと思ってる」
「私たち、同じだね」
そう言ってにこりと笑う姿にロレンツォは鼻の奥がツンとした。
「そうだね」
「なんかすっきりした。聞いてくれてありがとう」
「当たり前じゃないか。君は私のフィアンセなんだから」
「うん」
それからボートが迎えにくるまで二人は寄り添って海を眺めていた。
+ + +
その夜、ロレンツォは有紗を抱いた。有紗は拒まなかった。「君を抱きたい」と言えば、「抱いてください」と少し頬を染めて言うのだった。有紗の心と身体に残る辛い記憶が少しでも薄れるように、自分のことしか考えられなくなるくらいに優しく、そして深く繋がった。久しぶりの行為は慣らしたといっても痛くて、有紗はその身を貫く痛みに涙を流した。
「ロレンツォ様……」
「ん? 辛い? 大丈夫?」
「ううん。私のなか、ロレンツォ様でいっぱい……ねぇ、ロレンツォ様……気持ちいい?」
「あぁ、すごく熱くて、溶けてしまいそうだよ」
「このまま一緒に溶けちゃえばいいのに……」
「ダメだよ? まだ足りない……もっともっと君がほしい……」
「体力……もつかな」
「ふふ、どうだろうね」
そして律動を繰り返し、お互いに熱と快楽を分け合う。有紗は浅い呼吸を繰り返しながら、ぎゅっとロレンツォにしがみついた。
「ねぇ、ロレンツォ様……きもちいい……」
「私もだよ……」
「あのね……」
「もうおしゃべりはお終い。今は私だけを見て、私だけを感じて?」
そう囁くロレンツォに有紗は強請った。
「……もっとロレンツォ様でいっぱいにして……? ロレンツォ様しかいらない……」
有紗のその言葉に抑えていた感情が抑えきれなくて、有紗を上に乗せ、向き合うと力いっぱい有紗を抱きしめた。そして何度も何度も名前を呼んだ。
「アリサは私のものだ! 私だけの……誰にも触れさせない!」
その言葉に、有紗は泣きながらロレンツォに縋った。それからも二人は明け方近くまで夢中でお互いを求めた。足りなかったものを補うように。幸せだった。
疲れて眠りにつく前、うっすらと白み始めた空がカーテンの隙間から見えた。もうすぐ夜が明ける。
+ + +
翌朝、有紗がロレンツォの腕の中で目を覚ましたのは十時を過ぎた頃だった。寝すぎてしまったと腕の中から出ようとして気づいた。全裸だ……さらにがっちりと抱きかかえられていて脱出は困難。時間も時間なのでロレンツォを起こすことにするのだが。
「ロレンツォ様、起きて?」
「……ん?」
「ねぇ、もう十時だよ?」
「ん? まだいいだろう?」
「でも……あっ、ロレンツォ様、ダメ……」
明らかな意思を持った手が、有紗の身体を這い回った。
「ね、もういっかい」
掠れた男の声が囁けば、身体はビクリと自然と反応し、下半身が疼いた。嫌ではない。こんなことを口にしたらはしたないのかも知れないけれど、有紗はもっともっとロレンツォと繋がっていたいと思った。
まどろみの中で行われる行為は、ふわふわした感覚があって、ものすごく気持ちがよかった。
「……結局お昼じゃないですか」
「歯止めが利かなくなってしまってね」
「もぅ……」
昼を兼ねた遅めの朝食をとり、二人は散歩へ出かけた。もうすぐ夏美がやって来る。浜へ出て、有紗はいつもの場所で海を眺め、ロレンツォはここへ来てから見つけたお気に入りの木陰でお昼寝と思い思いの時を過ごした。
「あれ? おじさんは?」
「あっちでお休み中」
ロレンツォのいる場所を指差すと、夏美はクスクスと笑った。
「やっぱり年だから長旅の疲れが取れないのかなぁ」
「どうだろうね」
本当はそれが原因じゃないんだけど。と思っていたがそれは言わないでおいた。
「ねえ、有紗さん、帰っちゃうの?」
「どうして?」
夏美は分かっていた。有紗がずっとここにはいないということを。ロレンツォは有紗に会いに来たのではなく、迎えに来たのだということ。
「有紗さん変わった。おじさんが来てからすごく楽しそう。それに悲しい顔しなくなった」
「そ、そうかなぁ」
「うん。ねぇ、イタリアに帰っちゃうの?」
「……そうだね。まだ日にちは決めていないけど、一回東京に戻って、それから行くのかな」
「さみしくなるね……」
一人っ子の夏美にとって有紗は本当の姉のようだった。その姉がいなくなる。
「なっちゃん、ロレンツォ様とも話したんだけどね、遊びにおいでよ」
「えぇ! 無理だよ。イタリアなんて行けないよ」
確かに、おいでと言われて行ける距離ではない。それに運賃だってそれなりにかかる。有紗もそんなことを考えずに言うのではない。
「ロレンツォ様がね、結婚しようって言ってくれたの。私、嬉しかった。でね、結婚式にはなっちゃんを呼びたいって言ったの。そしたら、いいよ。って。だからなっちゃんは何も心配しなくていいの。もちろん、なっちゃんのお父さんとお母さんにはちゃんとお話するから。だからね、その時は遊びに来てくれる?」
「いいの? 行ってもいいの?」
夏美の目はキラキラとしていた。
「もちろん。また会えるって思ったら、ちょっとは寂しさも紛れるでしょ?」
「うん。ありがとう。……でも、やっぱり寂しいな」
夏美はこらえきれずに泣いた。有紗は何も言わずに夏美を抱きしめ、小さな背中を撫でた。夏美がいたから自分は変われた。ロレンツォとも再び出会えた。だからありがとう。そんな気持ちを込めて背中を撫でていた。
しばらくして泣き止んだ夏美は少し恥ずかしそうにしていたが、笑いながら言った。
「ね、ずっと気になってたんだけど、おじさんて何者なの?」
分かる範囲で正直に答えてもよかったのだが、有紗はそうはしなかった。会社の社長さんで、すごく立派なお屋敷に住んでいて、執事さんもいて……と言うよりも、もっと夏美に親近感を持ってもらえる分かりやすい答えがあると思った。
「うーん……ただのおじさん。かな」
そして二人で声を出して笑った。
そう遠くない日にここを去ることになるだろう。またいつか二人で来たいと有紗は強く思う。再び巡り合い、前に進む力をくれたこの青と碧の島に。
「アリサっ、アリサっ!」
呼んでみても返事はない。その代わり、日本の朝の匂いが鼻腔をくすぐった。その匂いをたどった先に有紗の姿はなかった。その代りにテーブルにはお弁当、コンロには出来たばかりの味噌汁があった。どこへ行ったのか? 不安になり、外へ駈け出した。いた! 二人分の洗濯物が風に靡いているその中に有紗がいた。そしてロレンツォは衝動のままに有紗を後ろから抱きしめた。突然のことに有紗はものすごく驚いて変な声をあげた。
「いなくなってしまったかと思ったよ……」
「び、びび、びっくりしました……」
「だって、起きたらアリサがいないから……昨日のことが全て夢だったんじゃないかって、不安だった……」
ロレンツォのその様に有紗は子供みたいだと思った。お昼寝から目を覚ましたら母親がいなくて、泣いて母親を探す子供のようで。
「大丈夫です。ずっとロレンツォ様のおそばにいますから」
ロレンツォに向き直り、その寂しがっている背中に手を回した。愛しいという思いが込み上げてくる。彼はどんなに孤独だっただろう。傷ついたのは自分だけではない、ロレンツォも同じように傷ついただろう。そしてこの優しい人は自分を責めたのだろう。
「朝ごはん作ったの。食べてくれますか?」
「うん。食べる……」
ロレンツォはなかなか有紗から離れない。でも、それでいい。ロレンツォが有紗の傷を癒すように、有紗もまたロレンツォの心を癒してあげたい。と思い、腕を伸ばしてロレンツォの頭をよしよしと撫でた。
「ごめんねアリサ。こんな情けない姿、見せたくはなかったけど」
「ううん。もっと見たい。ロレンツォ様のいろんな顔を見せてください。どんなあなただって、私にとっては大切な人だから。かっこいいあなたも、かっこ悪いあなたも、私にとっては大切なの」
「アリサ……うん。ありがとう」
ロレンツォが笑顔になると、胸がドキリと鳴った。
そのまま有紗は目を閉じる。唇が重なるその直前……
『ぐぅ~~~~』
間抜けな音がして、二人とも我に返った。そうだ。今は朝で、朝ごはんも出来上がっていたのだった。
「お、おなかすいたな」
「ふふ、ロレンツォ様かわいい」
「かわいいって……は、恥ずかしいな」
本当にロレンツォは恥ずかしそうにしていた。
「そうやって、たくさんのあなたを私に見せてください」
「うん。でも、アリサだけにね」
「はい」
洗濯かごを持とうとすると、すっとロレンツォに奪われた。私が持つよと。そして二人手を繋いで温かい朝食が待つ室内へ戻って行った。
朝食はいたってシンプル。炊き立てのご飯と味噌汁、卵焼き、そしてこの地方の名産の油味噌。卵焼きと味噌汁は上手にできたと思う。
ロレンツォは有紗の料理を絶賛しながら全て綺麗に食べた。食後のコーヒーを出したところでロレンツォは有紗の料理に感想の述べた。
「昨夜の食事もそうだけど、有紗の作る料理は美味しいね」
「また作ったら食べてくれますか?」
「もちろんだよ。あー、そうなるとシェフを解雇しないといけないな」
「えっ! たまにでいいの。たまにお料理させてくれたらそれでいいの。だから……」
「分かっているよ。でもここにいる間は有紗の料理を堪能させてもらおうかな」
「が、頑張ります」
二人は顔を見合わせて笑った。
朝食後、二人は夏美と夏美の父親のボートでハテの浜へでかけた。ここは島の中でも一番の観光スポットだ。エメラルドグリーンに浮かぶ白い砂浜は誰もが一度は行ってみたいと思う景色だ。シーズン前の平日ということもあり、人は疎らだ。
有紗もこの浜を気に入っていた。だから余計に二人で行きたかったのだ。そしてその景色はロレンツォもたいそう気に入ったようだった。
「驚いたな。日本にもこんなところがあったなんて」
「ね、とっても素敵でしょ」
「あぁ、最高だ」
浜を一周した二人はレジャーシートを敷いてそこに座り、有紗の作ったお弁当を広げ、持ってきたビールも出してランチにした。おにぎりもおかずも手の込んだことはしていないのに、相変わらずロレンツォは絶賛してくれた。抜けるような青空の下で昼間からビールを飲み、お弁当をつまむというのは何とも至福な時間だった。
「貝殻、拾って帰ろうかな」
「じゃぁ、何か入れ物を買わないとね。ベネチアングラスにする?」
「いえ、そんなに高価なものじゃなくていいの。一緒に選んでくれる?」
「もちろんだよ」
ランチの後、まだ帰るまでに時間があったこともあり、浜に打ち上げられた貝殻を拾って、形のいいものを選んで、その後は並んで海を眺めた。
優しい風が頬を撫でる。その風が自分の辛かった思いも消してくれたらと有紗は口を開いた。
「天国って、こんな感じかな?」
「どうだろうね、行ったことがないから分からないけれど、こんな素敵な所だったらいいね」
「誰にも言ってなかったけどね、本当は死のうと思ったの」
「えっ……?」
有紗の突然の告白にロレンツォは驚いた。まさか、死のうとしていただなんて……
「日本に帰ってきてからしばらくはそんなこと考えてた。誰の子かも分からない子を妊娠してしまっていたらって考えたら怖くて。でも、妊娠してなかった。よかったって思ったらすごく泣けて」
「アリサ……」
その告白に返す言葉が見当たらず、ロレンツォはただ名前を呼ぶことしかできなかった。
「でもね、いっぱい泣いたらね、何バカなこと考えたんだろうって思ったの。自分はまだ生きてる。これから何だってできるんだって」
「……それでここへ?」
「うん。お母さんが気分転換してきなさいって言ってくれたの」
「髪の毛を切ったのも?」
「うん。髪はいつかは伸びるから。全部リセットしようって」
「そう……」
長かった有紗の黒髪は今は肩に付くかつかないかという短さだ。この長さも嫌いではないが、やはり有紗は長い方が似合っているとロレンツォは思う。
「来てよかったって思ってる。だから、もう一度、あなたを愛したいの。また新しい私で、あなたを愛したい。あなたに愛されたい」
ポンと有紗の頭にロレンツォの手が触れた。
「アリサは強い子だね。強くて、美しい。私はね、随分と遠回りをしてしまったけれど、この歳になってやっと心から愛せる人に出会えたと思ってるんだ。それはもちろん君だよ? 私も君を愛したいし、君に愛してもらいたいと思ってる」
「私たち、同じだね」
そう言ってにこりと笑う姿にロレンツォは鼻の奥がツンとした。
「そうだね」
「なんかすっきりした。聞いてくれてありがとう」
「当たり前じゃないか。君は私のフィアンセなんだから」
「うん」
それからボートが迎えにくるまで二人は寄り添って海を眺めていた。
+ + +
その夜、ロレンツォは有紗を抱いた。有紗は拒まなかった。「君を抱きたい」と言えば、「抱いてください」と少し頬を染めて言うのだった。有紗の心と身体に残る辛い記憶が少しでも薄れるように、自分のことしか考えられなくなるくらいに優しく、そして深く繋がった。久しぶりの行為は慣らしたといっても痛くて、有紗はその身を貫く痛みに涙を流した。
「ロレンツォ様……」
「ん? 辛い? 大丈夫?」
「ううん。私のなか、ロレンツォ様でいっぱい……ねぇ、ロレンツォ様……気持ちいい?」
「あぁ、すごく熱くて、溶けてしまいそうだよ」
「このまま一緒に溶けちゃえばいいのに……」
「ダメだよ? まだ足りない……もっともっと君がほしい……」
「体力……もつかな」
「ふふ、どうだろうね」
そして律動を繰り返し、お互いに熱と快楽を分け合う。有紗は浅い呼吸を繰り返しながら、ぎゅっとロレンツォにしがみついた。
「ねぇ、ロレンツォ様……きもちいい……」
「私もだよ……」
「あのね……」
「もうおしゃべりはお終い。今は私だけを見て、私だけを感じて?」
そう囁くロレンツォに有紗は強請った。
「……もっとロレンツォ様でいっぱいにして……? ロレンツォ様しかいらない……」
有紗のその言葉に抑えていた感情が抑えきれなくて、有紗を上に乗せ、向き合うと力いっぱい有紗を抱きしめた。そして何度も何度も名前を呼んだ。
「アリサは私のものだ! 私だけの……誰にも触れさせない!」
その言葉に、有紗は泣きながらロレンツォに縋った。それからも二人は明け方近くまで夢中でお互いを求めた。足りなかったものを補うように。幸せだった。
疲れて眠りにつく前、うっすらと白み始めた空がカーテンの隙間から見えた。もうすぐ夜が明ける。
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翌朝、有紗がロレンツォの腕の中で目を覚ましたのは十時を過ぎた頃だった。寝すぎてしまったと腕の中から出ようとして気づいた。全裸だ……さらにがっちりと抱きかかえられていて脱出は困難。時間も時間なのでロレンツォを起こすことにするのだが。
「ロレンツォ様、起きて?」
「……ん?」
「ねぇ、もう十時だよ?」
「ん? まだいいだろう?」
「でも……あっ、ロレンツォ様、ダメ……」
明らかな意思を持った手が、有紗の身体を這い回った。
「ね、もういっかい」
掠れた男の声が囁けば、身体はビクリと自然と反応し、下半身が疼いた。嫌ではない。こんなことを口にしたらはしたないのかも知れないけれど、有紗はもっともっとロレンツォと繋がっていたいと思った。
まどろみの中で行われる行為は、ふわふわした感覚があって、ものすごく気持ちがよかった。
「……結局お昼じゃないですか」
「歯止めが利かなくなってしまってね」
「もぅ……」
昼を兼ねた遅めの朝食をとり、二人は散歩へ出かけた。もうすぐ夏美がやって来る。浜へ出て、有紗はいつもの場所で海を眺め、ロレンツォはここへ来てから見つけたお気に入りの木陰でお昼寝と思い思いの時を過ごした。
「あれ? おじさんは?」
「あっちでお休み中」
ロレンツォのいる場所を指差すと、夏美はクスクスと笑った。
「やっぱり年だから長旅の疲れが取れないのかなぁ」
「どうだろうね」
本当はそれが原因じゃないんだけど。と思っていたがそれは言わないでおいた。
「ねえ、有紗さん、帰っちゃうの?」
「どうして?」
夏美は分かっていた。有紗がずっとここにはいないということを。ロレンツォは有紗に会いに来たのではなく、迎えに来たのだということ。
「有紗さん変わった。おじさんが来てからすごく楽しそう。それに悲しい顔しなくなった」
「そ、そうかなぁ」
「うん。ねぇ、イタリアに帰っちゃうの?」
「……そうだね。まだ日にちは決めていないけど、一回東京に戻って、それから行くのかな」
「さみしくなるね……」
一人っ子の夏美にとって有紗は本当の姉のようだった。その姉がいなくなる。
「なっちゃん、ロレンツォ様とも話したんだけどね、遊びにおいでよ」
「えぇ! 無理だよ。イタリアなんて行けないよ」
確かに、おいでと言われて行ける距離ではない。それに運賃だってそれなりにかかる。有紗もそんなことを考えずに言うのではない。
「ロレンツォ様がね、結婚しようって言ってくれたの。私、嬉しかった。でね、結婚式にはなっちゃんを呼びたいって言ったの。そしたら、いいよ。って。だからなっちゃんは何も心配しなくていいの。もちろん、なっちゃんのお父さんとお母さんにはちゃんとお話するから。だからね、その時は遊びに来てくれる?」
「いいの? 行ってもいいの?」
夏美の目はキラキラとしていた。
「もちろん。また会えるって思ったら、ちょっとは寂しさも紛れるでしょ?」
「うん。ありがとう。……でも、やっぱり寂しいな」
夏美はこらえきれずに泣いた。有紗は何も言わずに夏美を抱きしめ、小さな背中を撫でた。夏美がいたから自分は変われた。ロレンツォとも再び出会えた。だからありがとう。そんな気持ちを込めて背中を撫でていた。
しばらくして泣き止んだ夏美は少し恥ずかしそうにしていたが、笑いながら言った。
「ね、ずっと気になってたんだけど、おじさんて何者なの?」
分かる範囲で正直に答えてもよかったのだが、有紗はそうはしなかった。会社の社長さんで、すごく立派なお屋敷に住んでいて、執事さんもいて……と言うよりも、もっと夏美に親近感を持ってもらえる分かりやすい答えがあると思った。
「うーん……ただのおじさん。かな」
そして二人で声を出して笑った。
そう遠くない日にここを去ることになるだろう。またいつか二人で来たいと有紗は強く思う。再び巡り合い、前に進む力をくれたこの青と碧の島に。
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