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前日譚:青百合の王と灰の魔術師

5.今も昔も

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「それで、どうだい? 我が妻は」
 今宵エアハルトの部屋を訪れたのは、ティーナではなくマルコだった。

「どうって言われてもなあ」
 一応言われた通り断って手は出していないが、詳細を話すのは些か憚られた。それにいい歳をして人間の若い娘に手玉に取られたというのはあまりいい気はしない。

「美しい娘だろ? といってもあなたの前では霞んでしまうかもしれないけれど」
「美人であることを否定はしないよ」

 問題はそれが急に一糸まとわぬ姿になって誘惑などしてくることだ。思い出しただけでも顔が険しくなってしまう。

「あまり好みじゃない? ハーディはどういうのがいいの?」
 持参した酒を飲みながら、軽い調子でマルコは尋ねた。エアハルトが酒を飲めないことを知っている彼は、一緒にこの国特産のペシュ果実水ジュースも持ってきていた。エアハルトはグラスに注がれた果実水に口をつけた。

「当分、金髪の女は勘弁してほしい」
 桃特有のねっとりとした甘さが喉を通り過ぎていく。飲み干したら逆に喉が渇くようなこの濃厚さはなんだろう。

「ははは、それはよっぽどだね。あなたのそんな顔を見られるだなんて」
 飲んだことはないが、マルコが呷っているのは相当強い酒のはずだ。それでも彼の顔色は一つも変わらない。こんなに酒が強いとは知らなかった。

「ハーディは今までどんな人を好きになったの?」

 どんな人をと言われても。口の中に残る桃の甘さを感じながら考えてみる。
 そもそも好きになるとはどういうことなのだろう。
 女はみんな簡単にこの“顔”を好きだと言って熱を上げるけれど、マルコが言っているのはそういうことではないはずだ。

 師匠は確かにエアハルトを育てて、一人前の魔術師にしてくれた。そのことにはそれなりに恩も感じている。けれど、人間にはしてくれなかった。

 人間の愛し方なんてわからない。

「おれは、人を好きになったことなんてないよ」
 人はみんな、ただエアハルトの前を通り過ぎていくだけのものだ。
 マルコは一瞬驚いたように黒い目を見開いて、けれど二度ほど瞬きするとまた元のように柔和な表情で酒を口に運んだ。

「そうなの? ハーディが笑いかけたら誰の心だって手に入りそうなのに」
 それに、マルコの目を見ていたら思う。人を愛するのは多分、とても苦しい。

「おれはそういう面倒はごめんだよ」
「ハーディには、気が強い子が合うと思うんだけどね。あなたは優しいから」
「おれの? どこが?」

 言いなりになる女が都合よかったのは最初の百年ぐらいで、マルコの言うように気が強い女の方が唆られるのは確かだ。けれど、優しいとはどういうことだ。

「優しいよ、今も昔も、あなたはずっと」
 やわらかく微笑むだけで、マルコはそれ以上何も言ってはこなかった。

「マルコ」
 ただ酒を飲むためにこの部屋にきたのではないだろう。マルコには叶えたい願いがあるのだから。
 見逃す二回は、もう過ぎた。

「本当に、いいのか」
 マルコは静かに頷く。グラスの中で琥珀色の酒がゆらゆらと揺れた。

「呪いをかけるために、おれは彼女を抱くけど、それでも?」
 呪いをかけるためには、相手に自分の魔力を注ぎ込むのが一番効率がいい。

「ああ、構わない」
 黒曜石のような瞳に浮かぶ光には全く迷いがなくて、それゆえに不安になる。どうやっても、彼の心は変わらないようだった。

 魔術師として、人の願いを叶え続けて、気づいたことが一つある。
 それは望んだ願いが叶ったとしても、必ずしも望んだ結果が得られるわけではないということだ。
 わたくしはわたくしのものと言った、ティーナ。
 マルコの願いを呪いで叶えたとしても、それでマルコの望んだ結果が得られるのか、エアハルトには分からなかった。

 だからといって何をどうすればいい。おれはただの魔術師で、対価をもらって願いを叶えるだけだ。

「僕はあなたに、何を差し出せばいい」
「おれが君に望むものは二つ」
 エアハルトは長い指を二本立てた。

「一つは金塊」
 エアハルトはこの国の国庫をほとんど空にするような量の金塊を要求した。吹っ掛けたと言ってもいい、法外な対価だった。

 けれど、マルコは眉一つ動かさない。

「分かった。すぐに用意させよう」
「もう一つは――――」

 最初に話を聞いた時から、この対価は決めていた。
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