63 / 68
前日譚:青百合の王と灰の魔術師
5.今も昔も
しおりを挟む
「それで、どうだい? 我が妻は」
今宵エアハルトの部屋を訪れたのは、ティーナではなくマルコだった。
「どうって言われてもなあ」
一応言われた通り断って手は出していないが、詳細を話すのは些か憚られた。それにいい歳をして人間の若い娘に手玉に取られたというのはあまりいい気はしない。
「美しい娘だろ? といってもあなたの前では霞んでしまうかもしれないけれど」
「美人であることを否定はしないよ」
問題はそれが急に一糸まとわぬ姿になって誘惑などしてくることだ。思い出しただけでも顔が険しくなってしまう。
「あまり好みじゃない? ハーディはどういうのがいいの?」
持参した酒を飲みながら、軽い調子でマルコは尋ねた。エアハルトが酒を飲めないことを知っている彼は、一緒にこの国特産の桃の果実水も持ってきていた。エアハルトはグラスに注がれた果実水に口をつけた。
「当分、金髪の女は勘弁してほしい」
桃特有のねっとりとした甘さが喉を通り過ぎていく。飲み干したら逆に喉が渇くようなこの濃厚さはなんだろう。
「ははは、それはよっぽどだね。あなたのそんな顔を見られるだなんて」
飲んだことはないが、マルコが呷っているのは相当強い酒のはずだ。それでも彼の顔色は一つも変わらない。こんなに酒が強いとは知らなかった。
「ハーディは今までどんな人を好きになったの?」
どんな人をと言われても。口の中に残る桃の甘さを感じながら考えてみる。
そもそも好きになるとはどういうことなのだろう。
女はみんな簡単にこの“顔”を好きだと言って熱を上げるけれど、マルコが言っているのはそういうことではないはずだ。
師匠は確かにエアハルトを育てて、一人前の魔術師にしてくれた。そのことにはそれなりに恩も感じている。けれど、人間にはしてくれなかった。
人間の愛し方なんてわからない。
「おれは、人を好きになったことなんてないよ」
人はみんな、ただエアハルトの前を通り過ぎていくだけのものだ。
マルコは一瞬驚いたように黒い目を見開いて、けれど二度ほど瞬きするとまた元のように柔和な表情で酒を口に運んだ。
「そうなの? ハーディが笑いかけたら誰の心だって手に入りそうなのに」
それに、マルコの目を見ていたら思う。人を愛するのは多分、とても苦しい。
「おれはそういう面倒はごめんだよ」
「ハーディには、気が強い子が合うと思うんだけどね。あなたは優しいから」
「おれの? どこが?」
言いなりになる女が都合よかったのは最初の百年ぐらいで、マルコの言うように気が強い女の方が唆られるのは確かだ。けれど、優しいとはどういうことだ。
「優しいよ、今も昔も、あなたはずっと」
やわらかく微笑むだけで、マルコはそれ以上何も言ってはこなかった。
「マルコ」
ただ酒を飲むためにこの部屋にきたのではないだろう。マルコには叶えたい願いがあるのだから。
見逃す二回は、もう過ぎた。
「本当に、いいのか」
マルコは静かに頷く。グラスの中で琥珀色の酒がゆらゆらと揺れた。
「呪いをかけるために、おれは彼女を抱くけど、それでも?」
呪いをかけるためには、相手に自分の魔力を注ぎ込むのが一番効率がいい。
「ああ、構わない」
黒曜石のような瞳に浮かぶ光には全く迷いがなくて、それゆえに不安になる。どうやっても、彼の心は変わらないようだった。
魔術師として、人の願いを叶え続けて、気づいたことが一つある。
それは望んだ願いが叶ったとしても、必ずしも望んだ結果が得られるわけではないということだ。
わたくしはわたくしのものと言った、ティーナ。
マルコの願いを呪いで叶えたとしても、それでマルコの望んだ結果が得られるのか、エアハルトには分からなかった。
だからといって何をどうすればいい。おれはただの魔術師で、対価をもらって願いを叶えるだけだ。
「僕はあなたに、何を差し出せばいい」
「おれが君に望むものは二つ」
エアハルトは長い指を二本立てた。
「一つは金塊」
エアハルトはこの国の国庫をほとんど空にするような量の金塊を要求した。吹っ掛けたと言ってもいい、法外な対価だった。
けれど、マルコは眉一つ動かさない。
「分かった。すぐに用意させよう」
「もう一つは――――」
最初に話を聞いた時から、この対価は決めていた。
今宵エアハルトの部屋を訪れたのは、ティーナではなくマルコだった。
「どうって言われてもなあ」
一応言われた通り断って手は出していないが、詳細を話すのは些か憚られた。それにいい歳をして人間の若い娘に手玉に取られたというのはあまりいい気はしない。
「美しい娘だろ? といってもあなたの前では霞んでしまうかもしれないけれど」
「美人であることを否定はしないよ」
問題はそれが急に一糸まとわぬ姿になって誘惑などしてくることだ。思い出しただけでも顔が険しくなってしまう。
「あまり好みじゃない? ハーディはどういうのがいいの?」
持参した酒を飲みながら、軽い調子でマルコは尋ねた。エアハルトが酒を飲めないことを知っている彼は、一緒にこの国特産の桃の果実水も持ってきていた。エアハルトはグラスに注がれた果実水に口をつけた。
「当分、金髪の女は勘弁してほしい」
桃特有のねっとりとした甘さが喉を通り過ぎていく。飲み干したら逆に喉が渇くようなこの濃厚さはなんだろう。
「ははは、それはよっぽどだね。あなたのそんな顔を見られるだなんて」
飲んだことはないが、マルコが呷っているのは相当強い酒のはずだ。それでも彼の顔色は一つも変わらない。こんなに酒が強いとは知らなかった。
「ハーディは今までどんな人を好きになったの?」
どんな人をと言われても。口の中に残る桃の甘さを感じながら考えてみる。
そもそも好きになるとはどういうことなのだろう。
女はみんな簡単にこの“顔”を好きだと言って熱を上げるけれど、マルコが言っているのはそういうことではないはずだ。
師匠は確かにエアハルトを育てて、一人前の魔術師にしてくれた。そのことにはそれなりに恩も感じている。けれど、人間にはしてくれなかった。
人間の愛し方なんてわからない。
「おれは、人を好きになったことなんてないよ」
人はみんな、ただエアハルトの前を通り過ぎていくだけのものだ。
マルコは一瞬驚いたように黒い目を見開いて、けれど二度ほど瞬きするとまた元のように柔和な表情で酒を口に運んだ。
「そうなの? ハーディが笑いかけたら誰の心だって手に入りそうなのに」
それに、マルコの目を見ていたら思う。人を愛するのは多分、とても苦しい。
「おれはそういう面倒はごめんだよ」
「ハーディには、気が強い子が合うと思うんだけどね。あなたは優しいから」
「おれの? どこが?」
言いなりになる女が都合よかったのは最初の百年ぐらいで、マルコの言うように気が強い女の方が唆られるのは確かだ。けれど、優しいとはどういうことだ。
「優しいよ、今も昔も、あなたはずっと」
やわらかく微笑むだけで、マルコはそれ以上何も言ってはこなかった。
「マルコ」
ただ酒を飲むためにこの部屋にきたのではないだろう。マルコには叶えたい願いがあるのだから。
見逃す二回は、もう過ぎた。
「本当に、いいのか」
マルコは静かに頷く。グラスの中で琥珀色の酒がゆらゆらと揺れた。
「呪いをかけるために、おれは彼女を抱くけど、それでも?」
呪いをかけるためには、相手に自分の魔力を注ぎ込むのが一番効率がいい。
「ああ、構わない」
黒曜石のような瞳に浮かぶ光には全く迷いがなくて、それゆえに不安になる。どうやっても、彼の心は変わらないようだった。
魔術師として、人の願いを叶え続けて、気づいたことが一つある。
それは望んだ願いが叶ったとしても、必ずしも望んだ結果が得られるわけではないということだ。
わたくしはわたくしのものと言った、ティーナ。
マルコの願いを呪いで叶えたとしても、それでマルコの望んだ結果が得られるのか、エアハルトには分からなかった。
だからといって何をどうすればいい。おれはただの魔術師で、対価をもらって願いを叶えるだけだ。
「僕はあなたに、何を差し出せばいい」
「おれが君に望むものは二つ」
エアハルトは長い指を二本立てた。
「一つは金塊」
エアハルトはこの国の国庫をほとんど空にするような量の金塊を要求した。吹っ掛けたと言ってもいい、法外な対価だった。
けれど、マルコは眉一つ動かさない。
「分かった。すぐに用意させよう」
「もう一つは――――」
最初に話を聞いた時から、この対価は決めていた。
1
お気に入りに追加
250
あなたにおすすめの小説
責任を取らなくていいので溺愛しないでください
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。
だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。
※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。
※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

執着系皇子に捕まってる場合じゃないんです!聖女はシークレットベビーをこっそり子育て中
鶴れり
恋愛
◆シークレットベビーを守りたい聖女×絶対に逃さない執着強めな皇子◆
ビアト帝国の九人目の聖女クララは、虐げられながらも懸命に聖女として務めを果たしていた。
濡れ衣を着せられ、罪人にさせられたクララの前に現れたのは、初恋の第二皇子ライオネル殿下。
執拗に求めてくる殿下に、憧れと恋心を抱いていたクララは体を繋げてしまう。執着心むき出しの包囲網から何とか逃げることに成功したけれど、赤ちゃんを身ごもっていることに気づく。
しかし聖女と皇族が結ばれることはないため、極秘出産をすることに……。
六年後。五歳になった愛息子とクララは、隣国へ逃亡することを決意する。しかしライオネルが追ってきて逃げられなくて──?!
何故か異様に執着してくるライオネルに、子どもの存在を隠しながら必死に攻防戦を繰り広げる聖女クララの物語──。
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞に選んでいただきました。ありがとうございます!】
薄幸の王女は隻眼皇太子の独占愛から逃れられない
宮永レン
恋愛
エグマリン国の第二王女アルエットは、家族に虐げられ、謂れもない罪で真冬の避暑地に送られる。
そこでも孤独な日々を送っていたが、ある日、隻眼の青年に出会う。
互いの正体を詮索しない約束だったが、それでも一緒に過ごすうちに彼に惹かれる心は止められなくて……。
彼はアルエットを幸せにするために、大きな決断を……!?
※Rシーンにはタイトルに「※」印をつけています。
不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない
かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」
婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。
もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。
ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。
想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。
記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…?
不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。
12/11追記
書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。
たくさんお読みいただきありがとうございました!

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
獣人公爵のエスコート
ざっく
恋愛
デビューの日、城に着いたが、会場に入れてもらえず、別室に通されたフィディア。エスコート役が来ると言うが、心当たりがない。
将軍閣下は、番を見つけて興奮していた。すぐに他の男からの視線が無い場所へ、移動してもらうべく、副官に命令した。
軽いすれ違いです。
書籍化していただくことになりました!それに伴い、11月10日に削除いたします。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた
狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている
いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった
そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた
しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた
当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった
この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる