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前日譚:青百合の王と灰の魔術師
1.王の願い
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「いつかあなたにもわかるはずだよ」
あの時、王はエアハルトに静かにそう言った。
到底そんな日が来るとは思えなかった。だから、もしそんな日が来たら笑ってやると返したはずだ。
エアハルトは、結果として肌身離さず持ち歩いているハンカチを取り出した。丁寧に刺繍されたEのイニシャル。これを作るのに、王女様がかけた時間。その間、彼女は何を考えていたんだろう。小鳥として盗み見たけれど、それは分からなかった。
規則的に雨が窓を叩く。
そういえば、彼女は雷が苦手だった。小さな体を震わせてひどく怯えていた。今夜は大丈夫だろうか。
***
「久しぶりだね、ハーディ」
彼――マルコシアスに会うのは何年ぶりだろう。最初の願いを叶えたのは二十年ほど前で、この何年かは会っていなかった。彼は見違えるような大人に成長し、今では立派な一国の王だ。
「あなたは出会った頃からちっとも変わらない」
寿命の長さは魔力の多さに比例する。大抵の魔術師より多い魔力を持つエアハルトは、もう二百年ほど容姿が変わらない。ずっと青年のような姿のままだ。
人間は大変だなと思う。すぐ傷つくし、すぐ死んでしまう。
「もうすぐあなたを追い越してしまうかもしれないね」
「そうかもな」
自分を見上げてくるばかりだった少年は、横に立ってエアハルトを見ていた。
エアハルトはこの王のことを比較的気に入っていた。だから、最初の願いの他にも、国の情勢が落ち着くまでは何個か小さな願いを叶えてやったし、いつか困ったことがあったら願いを叶えてやると約束をした。
今は、その黒曜石のような瞳が何を考えているのか全く読めなかった。彼はこんな目をする人だっただろうか。
「さて、マルコ。何のためにおれを呼んだ? 君の願いはなんだ?」
「話が早いね、ハーディ」
くすりと笑った彼が続けた言葉は、エアハルトを驚かせるには十分なものだった。
「僕の妻をね、呪ってほしいんだ」
「はあ?」
呪いはエアハルトの最も得意とする魔術の一つだし、正直もう数えきれないほどの人を呪ったから、今更心が痛むとかそんな清らかな精神は持ち合わせていない。けれど、自分の妻を―――彼の妻なら王妃ということになるがーーー呪ってほしいとはどういうことだ。
「彼女をね、僕だけのものにしたいんだ」
その為だったらなんだってすると呟いた声は氷のように冷たくて、流れた時間の残酷さを感じざるを得なかった。
おれにとっては瞬きするほどの時間でも、人間にとってはそうではないのかもしれない。
「おれはただでは願いを叶えることはしないよ」
魔術師は願いを叶えるのに、必ず対価を要求する。
要は試しているのだ。
お前は、願いの為に何を賭けられるか。何を差し出せるか。
その願いが、叶えるに値するものか、そうではないかを。
「もちろん知っているよ」
マルコの最初の願いを叶えた時の対価は何だっただろう。涙を浮かべてあまりにも必死に願うものだから、願いを叶える気になったことだけは覚えている。
「なんでも、あなたの望むものを」
真っ直ぐにエアハルトを見て答える瞳に曇りはなくて、ああ彼は本気なんだと思った。
この答えは実は一番厄介だ。願いに対価を要求する以上、裏を返せばふさわしい対価さえ払えば願いを叶えると言っているのに等しい。なんでも払うと言われれば、断ることができない。
エアハルトは髪を掻き上げて天を仰いだ。
あの時、王はエアハルトに静かにそう言った。
到底そんな日が来るとは思えなかった。だから、もしそんな日が来たら笑ってやると返したはずだ。
エアハルトは、結果として肌身離さず持ち歩いているハンカチを取り出した。丁寧に刺繍されたEのイニシャル。これを作るのに、王女様がかけた時間。その間、彼女は何を考えていたんだろう。小鳥として盗み見たけれど、それは分からなかった。
規則的に雨が窓を叩く。
そういえば、彼女は雷が苦手だった。小さな体を震わせてひどく怯えていた。今夜は大丈夫だろうか。
***
「久しぶりだね、ハーディ」
彼――マルコシアスに会うのは何年ぶりだろう。最初の願いを叶えたのは二十年ほど前で、この何年かは会っていなかった。彼は見違えるような大人に成長し、今では立派な一国の王だ。
「あなたは出会った頃からちっとも変わらない」
寿命の長さは魔力の多さに比例する。大抵の魔術師より多い魔力を持つエアハルトは、もう二百年ほど容姿が変わらない。ずっと青年のような姿のままだ。
人間は大変だなと思う。すぐ傷つくし、すぐ死んでしまう。
「もうすぐあなたを追い越してしまうかもしれないね」
「そうかもな」
自分を見上げてくるばかりだった少年は、横に立ってエアハルトを見ていた。
エアハルトはこの王のことを比較的気に入っていた。だから、最初の願いの他にも、国の情勢が落ち着くまでは何個か小さな願いを叶えてやったし、いつか困ったことがあったら願いを叶えてやると約束をした。
今は、その黒曜石のような瞳が何を考えているのか全く読めなかった。彼はこんな目をする人だっただろうか。
「さて、マルコ。何のためにおれを呼んだ? 君の願いはなんだ?」
「話が早いね、ハーディ」
くすりと笑った彼が続けた言葉は、エアハルトを驚かせるには十分なものだった。
「僕の妻をね、呪ってほしいんだ」
「はあ?」
呪いはエアハルトの最も得意とする魔術の一つだし、正直もう数えきれないほどの人を呪ったから、今更心が痛むとかそんな清らかな精神は持ち合わせていない。けれど、自分の妻を―――彼の妻なら王妃ということになるがーーー呪ってほしいとはどういうことだ。
「彼女をね、僕だけのものにしたいんだ」
その為だったらなんだってすると呟いた声は氷のように冷たくて、流れた時間の残酷さを感じざるを得なかった。
おれにとっては瞬きするほどの時間でも、人間にとってはそうではないのかもしれない。
「おれはただでは願いを叶えることはしないよ」
魔術師は願いを叶えるのに、必ず対価を要求する。
要は試しているのだ。
お前は、願いの為に何を賭けられるか。何を差し出せるか。
その願いが、叶えるに値するものか、そうではないかを。
「もちろん知っているよ」
マルコの最初の願いを叶えた時の対価は何だっただろう。涙を浮かべてあまりにも必死に願うものだから、願いを叶える気になったことだけは覚えている。
「なんでも、あなたの望むものを」
真っ直ぐにエアハルトを見て答える瞳に曇りはなくて、ああ彼は本気なんだと思った。
この答えは実は一番厄介だ。願いに対価を要求する以上、裏を返せばふさわしい対価さえ払えば願いを叶えると言っているのに等しい。なんでも払うと言われれば、断ることができない。
エアハルトは髪を掻き上げて天を仰いだ。
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