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第二部

11.名前のないもの

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 声を頼りに、自分が収束していくのがわかった。

 途端に、ぱっと目が開いた。急に世界が明るくなって、無数の泡が後ろへと流れていく。
 溶けていた体が一瞬で元のようになる。わたしがわたしに戻る。確かめるように右手を握ったり開いたりしてみたけれど、わたしの手はちゃんとそこにあった。足が地面を捉える。

 風も吹いていないのに、闇色のローブが揺れていた。
 どこでもない空間の先、彼が、いた。

「まったく、何やってんだか」

 やっぱり、前髪はぼさぼさだった。ただ、それがむしろ色っぽくて見惚れそうになってしまう。
 駆け寄って行こうとしたのに、足が動かない。見ると、黒い手がわたしの足首を掴んでいた。恐ろしさにひゅるりと喉が鳴って、隙をついて手は増えていく。

《だめだよ もらったんだから》
《かえさないよ なまえ》
《るいーゼ わたし》

 がしゃんと、鍵が閉まるような重い音がして、影でできた檻の中に閉じ込められた。

「なに、これ……」
 格子を揺すろうとしてみたけれど、勿論びくともしない。ここから出られない。

「《名無しアノヌーン》か」
 ハーディが目を眇める。

「よりによってまた面倒なやつに捕まったな」
 《名無しアノヌーン》というのがこのよくわからない影のことらしい。さしずめ、どこでもない空間の主といったところかしら。

「ちょっと下がってて、王女様」
 言われるがまま、格子を掴んでいた手を離した。

 ハーディは左手を横に一線、檻に向けて振り払うように動かした。光の波が、空間を切り裂く。

消えろVanish

 強い声が言う。それに合わせて、影が崩れ落ちるように消えた。けれど同時に、

《おなじだからね》
《ぼくらが ルいーぜ》
《はなさない いっしょ》

 刃物で切られたような鋭い痛みが、わたしの体に走った。
 痛みで体が前に傾いだ。咄嗟に体を押さえたけれど、血は出ていなかった。

 また、がしゃんと檻の扉が閉まる。
 ハーディの魔法で、この檻を壊すことはできるのだろう。けれど、その度にこの檻と同化してしまったわたしはこの痛みを味わうことになる。

《名無し》に向けて、ハーディが問いかける。
「何が望みだ」

《かたち》《なまえ》《わたし》《ほしい》

 男のような、女のような、子供のような、老人のような声が口々に返事をする。空間のそこかしこからこだまするように、重なり合う声が響く。

「おれの魔力をやる。そうすれば、形の一つや二つ保つことは容易いだろう」
 ハーディは右の手のひらを上に向けた。ぼぉっと、その手に橙色の炎が浮かぶ。ハーディの魔力の炎。
 炎に照らされて、影はより一層濃さを増したように見えた。

 《名無し》は檻から腕だけを伸ばす。ハーディはぽんぽんと、炎の塊を放っていった。影はわたしを飲み込んだ時のように、大きな口を開ける。パンを食べるように、炎をもぐもぐと飲み込んでいった。

《たりない》《おいしい》《ほしい》《おかわり》

「足りない、か」
 《名無し》はもっと魔力を欲しがっているようだった。
 ハーディは何か考えているようで、ずっと険しい顔をして、握っていない左手を見ていた。

 檻から、わたしの右手に向かって影が伸びる。粉々になるまで魔石を握っていた右手。ぱかっと、手の先から口が開いたようになって、鋭い牙が顔を覗かせた。

「痛っ」
 牙がわたしの手を噛んだ。今度は、赤い血が肘まで流れて伝っていった。長い舌のようなものが、流れた血を舐める。

《におい》《おなじ》《だけど》《ちがう》

 ハーディが青い目を瞠った。一気に、左手から青い炎が上がって、大きな火柱になる。

「“それ”に、触れるな」
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