26 / 68
第一部
26.眠れない夜
しおりを挟む
ああ、だから魔術師はタダでは願いを叶えてくれないのだと腑に落ちた。
願いを叶えることは、自分の魔力を分け与えるのに等しい。
それは魔術師が対価を払って契約した力だ。それを『願い』として得るなら、願った側もそれに見合う対価を払うのは当然だ。そう思えた。
「ハーディは元から『器』が大きかったの?」
「そうらしいね。おれも師匠からそう聞いただけだけど」
「魔術師の師匠がいるのね」
ハーディの師匠はどんな人なのだろう。魔術師はみんなこんなに長生きで、見目麗しいのかしら。
「なんでもよかったんだけどな、対価は。師匠は酒が好きで、これがないと生きていけないって言ってた。だったら、それを捨てたら大きい魔力が得られるかと思ったから、酒を対価にしたんだ。次はこれにしよう」
ブラウニーを取って口に入れる。料理長のブラウニーはショコラの味がしっかりしていて、それでいて重たくないので何個でも食べられてしまう。
もぐもぐとブラウニーを咀嚼するハーディと見つめ合う。
「何?」
「なにって、なによ」
わたしが好きなブラウニーを食べているからって、別に恨めしそうな顔をしていたわけではないと思いたい。
ハーディがもう一つブラウニーを取って、差し出してくる。手を出して受け取ろうとしたら首を横に振られた。
「ほら、口開けて」
「え……」
青い目は食い入るようにわたしを見ている。
大きく口を開けて何かを食べるなんて、淑女の振る舞いではない。
けれど、これは口を開けるまでやめてくれなさそう。観念して、わたしは口をおずおずと開けた。
ハーディの長い指がわたしの口にブラウニーを差し入れる。わたしは口を閉じて、ゆっくりとそれを咀嚼する。
ハーディの人差し指が、わたしの唇をそっと撫でた。
それだけで、心臓がきゅっ、となる。
「おいしい?」
こんなことをされたら、もう味なんてわからないじゃない。
無言でハーディを見たら、頬杖をついて満足そうに笑っている。顔に熱が集まっていくのを誤魔化したくて、わたしはちびちとガレットを齧ることにした。
「ハーディはどうして『嘘』を捨てたの?」
「人と関わる気がなかったから、かな」
彼が魔術師になったのはいつなのだろう。歳が三百歳を超えているのだから、随分と昔なのだと思う。 遥か昔、流れてしまった歳月を懐かしむようにハーディは遠くを見ていた。
「独りでいたら、嘘をつくこともない。人と関わるから自分を飾ったり偽ったり、嘘をつく必要が出てくる。おれには必要のないものだと思ったんだよ」
「ほんとうに?」
「最近、ちょっと後悔してるよ」
「どうして?」
「さあ? どこかの王女様のせいじゃないかな」
「あら、随分と手のかかる王女様なのね」
「本当にね」
そのままわたし達は気の向くままにお菓子を食べた。ハーディはどれもおいしいと機嫌がよさそうに食べていた。一番気に入っていたのはマドレーヌ。わたしはなんだかそれを見ているだけで満足してしまって、クッキーを二枚ほど齧っただけだった。
「さて、そろそろ帰るか」
「そんなにお腹いっぱいじゃ飛べないんじゃないかしら」
「かもね」
立ち上がったハーディは、少しだけ眠そうな目をして大きく伸びをした。
前みたいに、「おやすみのキス」をしてほしいなと思った。勿論あの後全然眠れなかったのだけど。
けれど、どんな風に言えばいいだろう。「キスしてほしい」なんて、そんなことを想像するだけで、顔が真っ赤になりそうだ。
背伸びをしても、わたしがハーディにキスすることはできない。身長差がありすぎる。
「なに、どうかした?」
長身が屈みこんで、わたしの顔を覗き込んだ。訝し気な青い目と見つめ合う。
「な、なんでもないわよ」
「ならいいけど。じゃあね、王女様」
わたしの黒髪をひと房掬って、耳元に口を寄せて、
「今日はごちそうさま」
どんなお菓子よりも甘い声が、囁いた。
飲み込めないぐらい心臓が跳ねて。
結局、わたしは今夜も眠れない夜を過ごすことになりそうだ。
願いを叶えることは、自分の魔力を分け与えるのに等しい。
それは魔術師が対価を払って契約した力だ。それを『願い』として得るなら、願った側もそれに見合う対価を払うのは当然だ。そう思えた。
「ハーディは元から『器』が大きかったの?」
「そうらしいね。おれも師匠からそう聞いただけだけど」
「魔術師の師匠がいるのね」
ハーディの師匠はどんな人なのだろう。魔術師はみんなこんなに長生きで、見目麗しいのかしら。
「なんでもよかったんだけどな、対価は。師匠は酒が好きで、これがないと生きていけないって言ってた。だったら、それを捨てたら大きい魔力が得られるかと思ったから、酒を対価にしたんだ。次はこれにしよう」
ブラウニーを取って口に入れる。料理長のブラウニーはショコラの味がしっかりしていて、それでいて重たくないので何個でも食べられてしまう。
もぐもぐとブラウニーを咀嚼するハーディと見つめ合う。
「何?」
「なにって、なによ」
わたしが好きなブラウニーを食べているからって、別に恨めしそうな顔をしていたわけではないと思いたい。
ハーディがもう一つブラウニーを取って、差し出してくる。手を出して受け取ろうとしたら首を横に振られた。
「ほら、口開けて」
「え……」
青い目は食い入るようにわたしを見ている。
大きく口を開けて何かを食べるなんて、淑女の振る舞いではない。
けれど、これは口を開けるまでやめてくれなさそう。観念して、わたしは口をおずおずと開けた。
ハーディの長い指がわたしの口にブラウニーを差し入れる。わたしは口を閉じて、ゆっくりとそれを咀嚼する。
ハーディの人差し指が、わたしの唇をそっと撫でた。
それだけで、心臓がきゅっ、となる。
「おいしい?」
こんなことをされたら、もう味なんてわからないじゃない。
無言でハーディを見たら、頬杖をついて満足そうに笑っている。顔に熱が集まっていくのを誤魔化したくて、わたしはちびちとガレットを齧ることにした。
「ハーディはどうして『嘘』を捨てたの?」
「人と関わる気がなかったから、かな」
彼が魔術師になったのはいつなのだろう。歳が三百歳を超えているのだから、随分と昔なのだと思う。 遥か昔、流れてしまった歳月を懐かしむようにハーディは遠くを見ていた。
「独りでいたら、嘘をつくこともない。人と関わるから自分を飾ったり偽ったり、嘘をつく必要が出てくる。おれには必要のないものだと思ったんだよ」
「ほんとうに?」
「最近、ちょっと後悔してるよ」
「どうして?」
「さあ? どこかの王女様のせいじゃないかな」
「あら、随分と手のかかる王女様なのね」
「本当にね」
そのままわたし達は気の向くままにお菓子を食べた。ハーディはどれもおいしいと機嫌がよさそうに食べていた。一番気に入っていたのはマドレーヌ。わたしはなんだかそれを見ているだけで満足してしまって、クッキーを二枚ほど齧っただけだった。
「さて、そろそろ帰るか」
「そんなにお腹いっぱいじゃ飛べないんじゃないかしら」
「かもね」
立ち上がったハーディは、少しだけ眠そうな目をして大きく伸びをした。
前みたいに、「おやすみのキス」をしてほしいなと思った。勿論あの後全然眠れなかったのだけど。
けれど、どんな風に言えばいいだろう。「キスしてほしい」なんて、そんなことを想像するだけで、顔が真っ赤になりそうだ。
背伸びをしても、わたしがハーディにキスすることはできない。身長差がありすぎる。
「なに、どうかした?」
長身が屈みこんで、わたしの顔を覗き込んだ。訝し気な青い目と見つめ合う。
「な、なんでもないわよ」
「ならいいけど。じゃあね、王女様」
わたしの黒髪をひと房掬って、耳元に口を寄せて、
「今日はごちそうさま」
どんなお菓子よりも甘い声が、囁いた。
飲み込めないぐらい心臓が跳ねて。
結局、わたしは今夜も眠れない夜を過ごすことになりそうだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
234
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる