大好きな許嫁の弟と結婚することになりました

藤原ライラ

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二、寒竹の傘

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 まるで子犬みたいだ。こんなところは、昔とちっとも変っていない。
 もう一度、強く手を押し出すと、翔はやっとそれを受け取ってくれた。躊躇いがちに、額と首筋を拭う。

 そしてすっと、彼は、彩恵の手から傘を抜き取った。

「持ちます」
「あ、ありがとう」

 返事の声が裏返ってしまった。本音を言えば助かったのだ。自分よりも背が高い人に傘を差し続けるのは腕が疲れる。

 すらりと長い指が、見慣れた寒竹の傘の柄に触れている。翔の手の中にあるそれは、彩恵が持っている時よりもいくらか小さく見えた。

 骨ばった大きな手は、確かに男のもの。指先でそっと節をなぞる、その手から目が離せなくなる。

「どうかしましたか」

 向けられたのは吸い込まれそうな黒い目。星を浮かべた夜の海に似た奥深さに囚われてしまいそうになる。

「なんでもありませんわ」

 慌てて明後日の方向を向いたところで、ぐっと、腰に手が回されて引き寄せられた。

 逞しい尊の腕とは違う。若木のようなしなやかさだ。細いけれど、確かな力をもって伸ばされたその腕に逆らうことができない。そのまま、翔の胸に抱き止められて心臓がどくんと脈打った。

 雨の匂いに混じって、新緑のような香りがする。それを心地よく感じてしまった。

「な、なにを」

 ほとんど叫ぶようにした彩恵の声は、走り抜けていく自動車のエンジン音にかき消された。車輪が水たまりを横切って、さっきまで自分が立っていたところに、ぴしゃりと、泥水が飛んだ。

 ああ、これが彼には見えていたんだ。

「すみません、濡れましたか」
 彩恵はぼんやりとしていたから、向かいから来る自動車に気づいていなかった。

「いいえ、助かりました」

 あのままあそこに立っていたらワンピースが汚れてしまうところだった。幾分か翔のシャツの水分が彩恵の服にも移ったが、それに比べたら大したことはない。

 何を話せばいいのか分からなかった。二人っきりで話すのなんていつぶりだろう。いつも翔と彩恵の間には尊がいたから。

「大学はどう? 楽しい?」
「まあ、普通ですね」

 話しかけてみても、会話が続かない。
 言葉は素っ気ないが、翔は彩恵の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる。気を遣ってくれているのだろう。肩が触れあうほどの距離感ではない。現に彼の右肩には雨が降り注いでいた。

「尊さんがね、翔、さんはとても優秀だと言っていたわ」

 結局悩んだところで、尊と同じさん付にしてみるが少し違和感がある。尊を呼ぶ時はそんなふうに思わないのに。
 長めの前髪に隠れた眉間に一瞬だが皺が寄る。彼はちらりと彩恵を一瞥したあと、「そうですか」と返しただけだった。
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