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Ⅳ
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「どうされたんですか、博士」
「どうって、君を迎えにきたんだよ」
またよれよれのシャツを着ている。家にあったシャツには全てアイロンをかけてから出てきたのに。全部着てしまったんだろうか。
「帰ろう、ゼロイチゼロハチちゃん」
「私はもう交代を命じられたはずですが」
「手違いだったんだ。僕が今まで『交代』のところにしかチェックをつけたことがないからってさ。ひどいよね。今回はちゃんと『継続』にしたのに」
「継続、にされたのですか」
「うん、そうだよ」
博士の両腕が私に向かって伸ばされて。そのまま抱き締められた。
「あの」
「なんだい?」
「ものすごく見られてますが」
光を反射するアンドロイドの無数の瞳が、私と博士に向けられている。
「気にしない、気にしない」
「博士が気になさらなくても私は気になります」
自分と同じ顔に一斉に見つめられるのは、あまりいい気分ではない。
何が、違ったのだろう。
「私は、彼女達と同型のアンドロイドです」
「違うよ。君は、君だ」
博士は一つ大きく息を吸った。ぎゅっと、私を抱き締める腕に力を込める。
「はじめてだったんだ」
ゆっくりと、博士は言った。いつもの明るいものと違って、落ち着いた静かな声だった。
「僕のことを主人って呼ばなかったの。他の子はどんなに頼んでも、ずっと主人って呼んだ」
というかそれが当然の反応なのだろう。私が片付けしたさに変な譲歩をしてしまっただけだ。
「それに見てよ、このシャツ」
体を離して、博士は着ていたシャツを引っ張って見せる。
「次来たイチニヨンロクちゃんはシャツにアイロンをかけてくれないんだ……!」
「それは、困りましたね」
欠陥だろうか。それならば、修理でなんとかなるような気もするけれど。
「ね、だから一緒に帰ろう」
肩に博士の手が置かれる。本物の血の通った人間の手。この手はあたたかい。
「ゼロイチゼロハチちゃん……?」
「仕方ないですね」
このシャツの感じから見るに、部屋もなかなかの惨状だろう。想像すると自然と大きな溜息が漏れた。
私が帰らないと、博士はきっと一人では部屋を片付けられない。
私はちらりと警備ロボットを見た。彼は私の意図を理解したのか、ぴこん、と電子音を鳴らして、レンズの周りをまた緑色に輝かせた。帰ってもいいらしい。
「帰りましょうか」
「ほんとう? 僕と帰ってくれる?」
「はい、博士」
「やった、帰ろう! 早く帰ろう!!」
目線の位置が急に高くなる。
私を抱き上げたかと思うと、博士はくるくると回り始めた。HFタイプは特殊軽量金属を骨格としているけれど、それでも同体格の人間の女性よりは重い。ひょろりとしたその腕のどこに、こんな力を隠していたのだろう。
私を抱き上げたまま、博士は元来た道を戻り始める。同型の私達が、なぜだがぱちぱちとまばらな拍手をする。博士はまんざらでもなさそうに「どうもどうも」と会釈をした。
「お幸セニ」
警備ロボットは、ぴろぴろと電子音を鳴らした。レンズの周りの色はピンク色だった。
私と博士は、外に待たせていた自律運転車に乗り込んだ。
「そうだ、ずっとゼロイチゼロハチちゃんって呼ぶのも情緒がないよね。この際名前を付けちゃおう」
「はあ」
そもそもアンドロイドに情緒があるわけもない。あるのは演算規則だけだ。
「0108だから、そうだな……『オトハ』っていうのはどう?」
博士にそう呼ばれた時、動力源がきゅるるると蠢いた気がした。
「オトハ、ですか」
これは欠陥だろうか。修理すれば治るのだろうか。自律運転車はドームの中を滑るように走り、処理場はみるみるうちに遠ざかっていく。
本当は、私はここにいてはいけないのではないだろうか。
「ねえ、改めてまたよろしくね、オトハ」
けれど、博士があんまりにも嬉しそうにそういうものだから、私は何も言えなくなってしまった。
そうして、私――HF-0108は分不相応にも『オトハ』という名前を得てしまったのだった。
「どうって、君を迎えにきたんだよ」
またよれよれのシャツを着ている。家にあったシャツには全てアイロンをかけてから出てきたのに。全部着てしまったんだろうか。
「帰ろう、ゼロイチゼロハチちゃん」
「私はもう交代を命じられたはずですが」
「手違いだったんだ。僕が今まで『交代』のところにしかチェックをつけたことがないからってさ。ひどいよね。今回はちゃんと『継続』にしたのに」
「継続、にされたのですか」
「うん、そうだよ」
博士の両腕が私に向かって伸ばされて。そのまま抱き締められた。
「あの」
「なんだい?」
「ものすごく見られてますが」
光を反射するアンドロイドの無数の瞳が、私と博士に向けられている。
「気にしない、気にしない」
「博士が気になさらなくても私は気になります」
自分と同じ顔に一斉に見つめられるのは、あまりいい気分ではない。
何が、違ったのだろう。
「私は、彼女達と同型のアンドロイドです」
「違うよ。君は、君だ」
博士は一つ大きく息を吸った。ぎゅっと、私を抱き締める腕に力を込める。
「はじめてだったんだ」
ゆっくりと、博士は言った。いつもの明るいものと違って、落ち着いた静かな声だった。
「僕のことを主人って呼ばなかったの。他の子はどんなに頼んでも、ずっと主人って呼んだ」
というかそれが当然の反応なのだろう。私が片付けしたさに変な譲歩をしてしまっただけだ。
「それに見てよ、このシャツ」
体を離して、博士は着ていたシャツを引っ張って見せる。
「次来たイチニヨンロクちゃんはシャツにアイロンをかけてくれないんだ……!」
「それは、困りましたね」
欠陥だろうか。それならば、修理でなんとかなるような気もするけれど。
「ね、だから一緒に帰ろう」
肩に博士の手が置かれる。本物の血の通った人間の手。この手はあたたかい。
「ゼロイチゼロハチちゃん……?」
「仕方ないですね」
このシャツの感じから見るに、部屋もなかなかの惨状だろう。想像すると自然と大きな溜息が漏れた。
私が帰らないと、博士はきっと一人では部屋を片付けられない。
私はちらりと警備ロボットを見た。彼は私の意図を理解したのか、ぴこん、と電子音を鳴らして、レンズの周りをまた緑色に輝かせた。帰ってもいいらしい。
「帰りましょうか」
「ほんとう? 僕と帰ってくれる?」
「はい、博士」
「やった、帰ろう! 早く帰ろう!!」
目線の位置が急に高くなる。
私を抱き上げたかと思うと、博士はくるくると回り始めた。HFタイプは特殊軽量金属を骨格としているけれど、それでも同体格の人間の女性よりは重い。ひょろりとしたその腕のどこに、こんな力を隠していたのだろう。
私を抱き上げたまま、博士は元来た道を戻り始める。同型の私達が、なぜだがぱちぱちとまばらな拍手をする。博士はまんざらでもなさそうに「どうもどうも」と会釈をした。
「お幸セニ」
警備ロボットは、ぴろぴろと電子音を鳴らした。レンズの周りの色はピンク色だった。
私と博士は、外に待たせていた自律運転車に乗り込んだ。
「そうだ、ずっとゼロイチゼロハチちゃんって呼ぶのも情緒がないよね。この際名前を付けちゃおう」
「はあ」
そもそもアンドロイドに情緒があるわけもない。あるのは演算規則だけだ。
「0108だから、そうだな……『オトハ』っていうのはどう?」
博士にそう呼ばれた時、動力源がきゅるるると蠢いた気がした。
「オトハ、ですか」
これは欠陥だろうか。修理すれば治るのだろうか。自律運転車はドームの中を滑るように走り、処理場はみるみるうちに遠ざかっていく。
本当は、私はここにいてはいけないのではないだろうか。
「ねえ、改めてまたよろしくね、オトハ」
けれど、博士があんまりにも嬉しそうにそういうものだから、私は何も言えなくなってしまった。
そうして、私――HF-0108は分不相応にも『オトハ』という名前を得てしまったのだった。
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