わたしを殺そうとしてきた王子様から溺愛されて逃れられません!

藤原ライラ

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9.寂しさと寒さ

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 寂しさと寒さは似ている。

 どちらも気が付いたら染み込んで、いつの間にか逃れられなくなっている。体が囚われて、動けなくなる。一度あたたかさを知ったら余計に堪えるところが、また質が悪い。

 七年前の冬、母が死んだ。

 その冬は例年よりも雪が多くて、飢えと寒さで死んでいく人が絶えなかった。見かねた母は村中からかき集めた銅貨で、麓の町まで買い物に出かけた。

 母は、帰ってくることはなかった。村の少し手前のところで吹雪が強くなって雪に埋もれて、そのままだった。

 まるで眠っているかのように、美しかった。もしかしたら生きている時よりも。
 母を独りで死なせてしまった。そのことが、わたしの中でずっと見えない棘のように引っかかっている。

 それでも、わたしは母のことを忘れていった。あんなに大好きだったのに、その声も、体温も、笑顔も。手から砂粒が落ちていくみたいに零れ落ちていく。

「誰からも忘れられた人は、生きたまま死んでいるのと同じね」

 冬の曇天を見上げて、母はよくそう言っていた。誰の記憶からも消えた、透明な人。生きている幽霊。
 死ぬことよりもそのことの方がずっと怖かった。

 同じことだ。

 アズラク様がたとえ今どんなにわたしを愛していても、いつか忘れるだろう。
 けれど、これから先彼がどんな女と出会うとしても、彼が最初に抱いた女がわたしであることに変わりはない。

「ネージュ、やめろ……やめてくれ」

 いつも精悍な顔立ちが、まるで迷子の子供のように歪む。

「お前を殺さなくていい方法を、考えるから。だからっ!」

 わたしがここにいたら、アズラク様はきっと『運命の乙女』を探すことはできない。義理立てして、他の女を侍らせることはしないからだ。

 そして、わたしを殺してしまったアズラク様が正気ではいられないことも分かっていた。

「ネージュ、俺は、お前のことをっ!!」

 アズラク様は、寝台から這うようにしてわたしに寄ってくる。額に浮いた玉のような汗。今もわたしを切り裂いてしまいたい衝動と戦っているのだろう。

「知っていましたよ」

 神様なのか悪魔なのか、はたまた魔女なのか。わたしには分からないけれど。
 残酷で意地の悪い“あなた”にこれだけは一つ感謝をしておこう。

 どんなに愛の言葉を囁かれても、高価な贈り物をもらっても。そこに心は見えないから。みんなほんとうなのかと迷って、不安になる。やわらかな宝物のような気持ちを、試して、確かめて、その度に細かな傷がついてその愛はすり減っていく。

 けれど、わたしは違う。
 時折見せる少年のような顔も。何度も名前を呼んでくれたその声も。

 そして、何よりその殺意が、わたしを愛していると教えてくれた。
 疑う余地もない人の愛を、こんなにも知ることができたという意味で、わたしは幸せだったのだろう。

「わたしも同じ気持ちです」

 絶対に知ることはないと思っていた愛し愛される喜びを、全部彼がくれた。
 だから、今度はそれをちゃんとアズラク様に返したいと思う。『運命の乙女』ではないわたしが、彼にしてあげられることはもう、これくらいだろう。

 重たい剣を抜く。本当は誰の血も吸っていなかった剣は、蝋燭の火に銀色の輝きを放つ。
 首元に当てた剣はひやりとしていた。

「ネージュ、いやだ。俺は……ネージュ!!」

 金の瞳から、透明な雫が零れる。飲み干してしまいたいほど、きれいな涙だった。泣かないでと思うのと同じくらい、もっと見ていたいと思う。

 アズラク様に出会えてよかった。

「次はきっと、運命に出会えますように」

 剣を一直線に横に引き抜く。

「だいすきでした」


 ああ、でもわがままを言うことが許されるなら一つだけ。
 最後にあの、青い空のような瞳を見られればよかったのに。
 そう思って目を閉じた。
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