わたしを殺そうとしてきた王子様から溺愛されて逃れられません!

藤原ライラ

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8.代償

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 わたしの恐れていたことはすぐに現実になった。
 ぱたりとアズラク様のお召しがなくなった。

 聞けば、かといって他の女をお呼びになることもないという。誰にも会わず食事もろくに取らず、部屋に引きこもっているらしい。

 お加減が悪いのかもしれない。なにか流行病に罹ったのかもしれない。アズラク様が付けてくれた侍女にお見舞いに行きたいと言っても、彼女は首を横に振るだけだった。

 アズラク様に会えないこの城で、どんな風に過ごせばいいのかも分からなかった。

 ぽん、と履いた靴を蹴り上げる。くるりとひっくり返ったそれは、底を天井に向けたまま動かなくなった。なんだかひどく嫌な予感がした。

 閨に呼ばれれば、殺される。きっと生きては帰れない。
 あまり会いたくないと思っていたその人に、気付けばわたしは会いたくてしょうがなかった。一目だけでもいい。その姿を見たかった。

 拾って靴を履き直した。そして思いだけが体から抜け出したかのように、ふらふらと来てしまった。

 アズラク様の居室の前。不思議と、護衛の者も誰もいなかった。中からは、獣が呻くような声がした。もしかしてアズラク様は本当に何か、ご病気なのだろうか。だとしたら。

「アズラク様。わたしです。ネージュです! 開けてください!!」

 扉に体を近づけて呼びかける。とんとんとん、と三回ノックをした。

「……ばかか……お前から来て、どうするんだ」

 苦し気な呼吸の合間に、アズラク様の声がする。居ても立っても居られなくなって、わたしは扉を開けた。

「だめなんだ。もう、お前のことを考えるだけで、勝手に」

 大好きな青い瞳が、変わっていた。見つめ合ったのは、金瞳きんどう。まるでアズラク様じゃないみたいようだった。

 寝台にしがみつき広い背を震わせて、彼は必死で耐えていた。
 悪魔の一族の、その代償に。

「俺は……お前を殺しっ、たくない」

 その瞬間、心にかかっていた霧が晴れるかのように全てが納得がいった。
 分かったことは二つ。

 この人は真に、わたしを愛してくれたのだということ。だからこそ、今、この地獄のような衝動に身を焼かれているのだ。

 そしてもう一つは。
 わたしは『運命の乙女』ではなかったということだ。

 頭のどこかでは分かっていた。わたしなんかが、アズラク様と釣り合うわけがないということを。

 城で伝えられている言葉の意味が、やっと分かった。
 わたしはずっと、なぜ「愛してはいけない」なのかと疑問に思っていた。殺されるのは愛された女だけだ。それなら、「決して愛されてはいけないよ」になるはずなのに。

 けれど、これでいいのだ。
 運命の乙女でないのなら、この城から去らねばならない。

 その時王子を愛してしまったら、別れが辛くなる。あれはきっと、彼らを愛した女たちが残した言葉だったのだ。

 今更そんなことに気づくぐらい、わたしは大ばか者だった。
 どうせここのほかに、行けるところなんてないのだ。

「なんて顔だ……。こんな時にっ、笑うやつがあるか」

 わたしの顔を見た彼は、はっとして怯えたように顔を引き攣らせた。ちゃんと笑えていたらいいのだけれど。

 一番の鬼畜と言われた第三王子は、なんてことはない。笑ってしまうほどに、ただやさしくて不器用な人だった。

 愛した女を殺してしまうという己自身に一番悩んでいたのは、アズラク様本人だった。だから、一度も女を抱くことはおろか、間近に寄ったことすらなかったらしい。殺したことにして、ひっそりと城から逃がした。彼女たちは皆、今は名前を変えて別のところで暮らしている。

 王太子のように、義務的に女を抱くこともできず。
 第二王子のように、享楽に溺れることもできず。
 独りぼっちで、孤独と呪いに耐えていた。

 この人は本当に、そういう人なのだ。

 あの夜、アズラク様が投げ捨てた剣が壁に立て掛けてあった。手に取るとずっしりと重い。アズラク様はあなにも、軽々と持っていたのに。

「アズラク様、おつらいですよね」

 死ぬことよりも怖いことが、わたしにはある。

「わたしのことは、忘れてください」

 生まれてきた以上、人は死ぬ。それが早いか遅いかだけのことだ。どんな大地の上にも、等しく雪が降り積もるみたいに。

「お前、一体なにを、言ってるんだ……」

 元よりあの夜。はじめてアズラク様に会った夜に、死んでいたのだと思えば。
 わたしはそこから多くのものを得た。

 やさしい人。やわらかな靴。甘い果実。
 その思い出だけ抱いていられればいい。

「約束ですよ」
 そう言って、わたしはアズラク様の剣を抜いた。
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