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68.帰るべき場所

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「女が白を着るのは二回だけ。一度目はデビュタント、二度目は婚姻の時」

 ああ、そうか。だからマダム・ローランは「今回は不要」だと言っていたのだ。

「あの人はそれを、自分で選びたいと言ったのね」
 たった二度だけ許される色の服のうち、最初の一回を仕立てる権利を、悪魔は願った。

 彼はどんな思いで、このドレスを選んで作らせたのだろう。これだけのものを作るならそれなりの時間がかかるはずだ。それを踏まえれば、アネットの考えていた“悪魔が思い描いた絵”の見え方が全く変わる。シャルルはいつから、準備をしていたのだろう。

「彼のもう一つの条件はなんですか?」

 ――母たるあなたに、私のようなものが願うことではないことは十分承知しております。
 それでも、彼は膝を突き、オリアンヌに愚直にこいねがった。

「あなたの幸せよ」
 ――どうか、あの子……いえ、あの方が悲しむことがないように、これから先、笑って過ごせるように。それだけが、私の願いです。

「どう、して……」
 その言葉だけが口をついてきて、あとはもう言葉にならなかった。

 あの賭けだけが、アネットと彼の絆で、互いを縛る契約が運命の赤い糸だった。
 それがなくなった今、わたし達の間に残るものはなんだろう。
 膝から床に崩れ落ちるようにして、そのドレスを見上げて涙を流すことしかできなかった。

 泣きじゃくるアネットに、ただオリアンヌは肩に手を置いてくるだけだった。母と呼ぶにはあまりにも遠すぎる人だけれども、今はその控えめな在り様がありがたかった。

 シャルルとともに見た劇の語り手の言葉が脳裏に蘇る。自分の手に残る知らない指輪を目にした妖精の心情を、こう語る。


 どうしてでしょう。
 帰らなくては。
 途端に妖精は、そう思いました。帰るべき場所は、楽園ここだというのに。
 妖精はたまらなく悲しくなったのです。会いたくなったのです。
 けれど、もうその人が誰かも思い出せないのです。
 
 
 アネットはありとあらゆることを忘れない悪魔でもない。けれど、妖精でもない。ただのちいさく無力な人間だ。
 こんなことをされたらもう、忘れることなどできないじゃないか。

 帰してくれなくてもいいと言ったのに。あなたのそばにいたかったのに。
 やさしい悪魔は、その手を離してしまった。

 どうやって幸せになれというのだろう。シャルルは隣にいてはくれないのに。
 それでも、どこか彼らしいなと思ってしまった。そのことがまるで過ごした月日の証左のようで、たまらなく悲しくなったのだ。
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