65 / 87
65.鈴蘭の姫君
しおりを挟む
シャルルの屋敷よりも、たどり着いた屋敷は大きかった。
案内の侍女の後をシャルルが歩いて、その後ろをさらにアネットが歩く。
きょろきょろしてはいけないと思うのに、柱の装飾も窓枠の金の飾りもはっと目を引くものばかりだ。全ての造りが洗練されていて、気品と美しさがある。
「お連れいたしました」
「入りなさい」
侍女の言葉に、部屋の中から静かな声がする。誰かに命じることに慣れた者にしかない響きだ。
扉を開く。窓から差し込んだ陽光の中で、その者の姿を見た。銀色の髪はふわりと淡い輝きを放つ。自分と同じ青い瞳が、アネットを捉えて見開かれた。
はじめて会うというのに、どうしてだろう。ひどく懐かしく感じた。
「オリアンヌ様、こちらが鈴蘭の姫君です」
椅子から立ち上ったオリアンヌが、アネットへと駆け寄ってくる。きちんと礼をしなければ、そう思うのに体が動かない。
「ああ、ユーベルの色ね」
白魚のような手が愛おし気に、巻かれた赤毛に触れる。かの人の名前を、彼女はとても大切そうに紡いだ。
「シャルル」
僅かに滲んだ涙を拭うと、オリアンヌは男へと目をやった。シャルルは静かに頭を下げる。
「はい」
「あなたは本当に、地獄の門を開けてくれたのね」
首にかかった鈴蘭のネックレスを、整えられた指先がなぞる。母が自分に残してくれたもの。
「ほかならぬオリアンヌ様の為とあれば」
二人の間では成立している会話の意味がアネットには全く分からない。戸惑うアネットに、彼女は言う。
「あなたはわたくしの娘よ」
オリアンヌの言葉はまるで、雷のように飛び込んで来た。
そんなことがあり得るのだろうか。いいや、あり得るはずがない。
けれど、どこかそれが正しいのだとも分かる気がした。マリエットはアネットをとても大切にしてくれたけれど、茶髪に茶色の目で自分とはひとつも色を分かち合ってはいなかった。
シャルルは流れる様に美しく、アネットの前に膝をついた。貴人に対する最敬礼を彼は示す。
「アンヌ=マリー様」
恭しく手を取って、紫水晶が見上げてくる。大好きな声が呼ぶ、知らない他人の名前。
「あなた様は、プランタン公爵家のご令嬢であらせられます」
布越しのその手の温度も、作法に乗っ取って手の甲に落とされる口づけの感触も、もう何も分からない。窓の向こうの景色のように、ただ自分を通り過ぎていく。そんな気がした。
案内の侍女の後をシャルルが歩いて、その後ろをさらにアネットが歩く。
きょろきょろしてはいけないと思うのに、柱の装飾も窓枠の金の飾りもはっと目を引くものばかりだ。全ての造りが洗練されていて、気品と美しさがある。
「お連れいたしました」
「入りなさい」
侍女の言葉に、部屋の中から静かな声がする。誰かに命じることに慣れた者にしかない響きだ。
扉を開く。窓から差し込んだ陽光の中で、その者の姿を見た。銀色の髪はふわりと淡い輝きを放つ。自分と同じ青い瞳が、アネットを捉えて見開かれた。
はじめて会うというのに、どうしてだろう。ひどく懐かしく感じた。
「オリアンヌ様、こちらが鈴蘭の姫君です」
椅子から立ち上ったオリアンヌが、アネットへと駆け寄ってくる。きちんと礼をしなければ、そう思うのに体が動かない。
「ああ、ユーベルの色ね」
白魚のような手が愛おし気に、巻かれた赤毛に触れる。かの人の名前を、彼女はとても大切そうに紡いだ。
「シャルル」
僅かに滲んだ涙を拭うと、オリアンヌは男へと目をやった。シャルルは静かに頭を下げる。
「はい」
「あなたは本当に、地獄の門を開けてくれたのね」
首にかかった鈴蘭のネックレスを、整えられた指先がなぞる。母が自分に残してくれたもの。
「ほかならぬオリアンヌ様の為とあれば」
二人の間では成立している会話の意味がアネットには全く分からない。戸惑うアネットに、彼女は言う。
「あなたはわたくしの娘よ」
オリアンヌの言葉はまるで、雷のように飛び込んで来た。
そんなことがあり得るのだろうか。いいや、あり得るはずがない。
けれど、どこかそれが正しいのだとも分かる気がした。マリエットはアネットをとても大切にしてくれたけれど、茶髪に茶色の目で自分とはひとつも色を分かち合ってはいなかった。
シャルルは流れる様に美しく、アネットの前に膝をついた。貴人に対する最敬礼を彼は示す。
「アンヌ=マリー様」
恭しく手を取って、紫水晶が見上げてくる。大好きな声が呼ぶ、知らない他人の名前。
「あなた様は、プランタン公爵家のご令嬢であらせられます」
布越しのその手の温度も、作法に乗っ取って手の甲に落とされる口づけの感触も、もう何も分からない。窓の向こうの景色のように、ただ自分を通り過ぎていく。そんな気がした。
13
お気に入りに追加
87
あなたにおすすめの小説
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道
Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道
周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。
女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。
※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

散りきらない愛に抱かれて
泉野ジュール
恋愛
傷心の放浪からひと月ぶりに屋敷へ帰ってきたウィンドハースト伯爵ゴードンは一通の手紙を受け取る。
「君は思う存分、奥方を傷つけただろう。これがわたしの叶わぬ愛への復讐だったとも知らずに──」
不貞の疑いをかけ残酷に傷つけ抱きつぶした妻・オフェーリアは無実だった。しかし、心身ともに深く傷を負ったオフェーリアはすでにゴードンの元を去り、行方をくらましていた。
ゴードンは再び彼女を見つけ、愛を取り戻すことができるのか。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
朝日みらい
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
腹黒宰相との白い結婚
黎
恋愛
大嫌いな腹黒宰相ロイドと結婚する羽目になったランメリアは、条件をつきつけた――これは白い結婚であること。代わりに側妻を娶るも愛人を作るも好きにすればいい。そう決めたはずだったのだが、なぜか、周囲が全力で溝を埋めてくる。
婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!
柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

女性執事は公爵に一夜の思い出を希う
石里 唯
恋愛
ある日の深夜、フォンド公爵家で女性でありながら執事を務めるアマリーは、涙を堪えながら10年以上暮らした屋敷から出ていこうとしていた。
けれども、たどり着いた出口には立ち塞がるように佇む人影があった。
それは、アマリーが逃げ出したかった相手、フォンド公爵リチャードその人だった。
本編4話、結婚式編10話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる