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56.全部わたしのせい
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恐る恐る目を開けると、整いきった顔がすぐそこで狼狽えている。何度打たれても、一度もそんな顔をしなかったのに。
「わたしは、大丈夫です。それより」
どう考えても人の心配なんてしている場合ではないだろう。手当てが必要なのはシャルルの方だ。
「僕はいい。これぐらいなら慣れている」
慣れている? 一体どういうことだ?
混乱するアネットを他所に、不機嫌そうな視線が首元に注がれる。エミリアンが吸い上げて残した赤い花。
「あの野郎……」
シャルルは指が手のひらに食い込みそうなほど強く手を握りしめて、その痕を睨みつけていた。
「これは、その、違うんですっ!」
なんと説明していいのか分からない。刻まれた時もおぞましかったが、シャルルに見られたくはなかった。
彼を裏切った証のように、アネットの体にこれが残っている。掛けられた上着の襟元をかき集めるようして握る。
「エミリアン様が来て少し待ちたいと仰って。あの部屋で話をしていたんですけど、途中で、旦那様が奴隷の子だとかよく分からないことを言い始めて、それから、」
思い出すと、また震えがくる。アネットはぎゅっと自分で自分を抱き締めた。
「キスされて、それがその、すごく嫌で。わたし、噛んでしまって。エミリアン様は……処女を抱くのがすきだって言ってて」
そうだ。全部わたしのせいだ。
だからこんなことになったのだ。代わりに、シャルルが打たれた。
「もういい。思い出すのも、怖いだろう。悪いことをした」
一度シャルルが目を閉じる。もう一度開いたその目は凪いだ湖面のようで、何の感情も読み取れなかった。
「湯を沸かそう。着替えも用意させるから」
立ち上がったシャルルのシャツをぎゅっと掴む。
「申し訳、ございません」
謝らなければ、どんなふうにすれば許してもらえるだろう。
「ネックレスも、大事にしようと思っていたのに」
部屋中にばら巻かれた真珠が転がって、鈍い光を放っていた。あんなにも、きれいだったのに。これからもずっとアネットの手元にあると疑わなかったのに。
「そんなもの、また買ってやる」
違う、あのネックレスがいいのだ。シャルルが笑って着けてくれたあれが。あの日、誕生日が着けてくれたものは、たとえ買い直したとしてももう違うものだ。
首を横に振れば、はらはらと涙が零れて今自分は泣いているのだと気が付いた。
「わたしがちゃんと我慢出来ていたら、旦那様はこんな目に遭わずに済んだのに」
「それは違う」
紫色の目が静かにアネットを捉えて否定する。
「あの人は、いつも僕を殴りたくてしょうがないんだ。それが先にあるから、理由はなんだっていい。今回はたまたまお前が選ばれたというだけの話だ。気にすることはない」
「でもっ」
頭の中で考えがまとまらない。エミリアンがシャルルに吐き捨てた言葉の数々が、ぐるぐると回っている。あの怒鳴るような声がずっとガンガンと、鳴り響いている。
「ちゃんと説明をするから。だから、今はお前も少し、落ち着いた方がいい」
一番つらいはずのその人は、平然とそんなことを言う。だからアネットはもう、何も言えなくなってしまった。
「わたしは、大丈夫です。それより」
どう考えても人の心配なんてしている場合ではないだろう。手当てが必要なのはシャルルの方だ。
「僕はいい。これぐらいなら慣れている」
慣れている? 一体どういうことだ?
混乱するアネットを他所に、不機嫌そうな視線が首元に注がれる。エミリアンが吸い上げて残した赤い花。
「あの野郎……」
シャルルは指が手のひらに食い込みそうなほど強く手を握りしめて、その痕を睨みつけていた。
「これは、その、違うんですっ!」
なんと説明していいのか分からない。刻まれた時もおぞましかったが、シャルルに見られたくはなかった。
彼を裏切った証のように、アネットの体にこれが残っている。掛けられた上着の襟元をかき集めるようして握る。
「エミリアン様が来て少し待ちたいと仰って。あの部屋で話をしていたんですけど、途中で、旦那様が奴隷の子だとかよく分からないことを言い始めて、それから、」
思い出すと、また震えがくる。アネットはぎゅっと自分で自分を抱き締めた。
「キスされて、それがその、すごく嫌で。わたし、噛んでしまって。エミリアン様は……処女を抱くのがすきだって言ってて」
そうだ。全部わたしのせいだ。
だからこんなことになったのだ。代わりに、シャルルが打たれた。
「もういい。思い出すのも、怖いだろう。悪いことをした」
一度シャルルが目を閉じる。もう一度開いたその目は凪いだ湖面のようで、何の感情も読み取れなかった。
「湯を沸かそう。着替えも用意させるから」
立ち上がったシャルルのシャツをぎゅっと掴む。
「申し訳、ございません」
謝らなければ、どんなふうにすれば許してもらえるだろう。
「ネックレスも、大事にしようと思っていたのに」
部屋中にばら巻かれた真珠が転がって、鈍い光を放っていた。あんなにも、きれいだったのに。これからもずっとアネットの手元にあると疑わなかったのに。
「そんなもの、また買ってやる」
違う、あのネックレスがいいのだ。シャルルが笑って着けてくれたあれが。あの日、誕生日が着けてくれたものは、たとえ買い直したとしてももう違うものだ。
首を横に振れば、はらはらと涙が零れて今自分は泣いているのだと気が付いた。
「わたしがちゃんと我慢出来ていたら、旦那様はこんな目に遭わずに済んだのに」
「それは違う」
紫色の目が静かにアネットを捉えて否定する。
「あの人は、いつも僕を殴りたくてしょうがないんだ。それが先にあるから、理由はなんだっていい。今回はたまたまお前が選ばれたというだけの話だ。気にすることはない」
「でもっ」
頭の中で考えがまとまらない。エミリアンがシャルルに吐き捨てた言葉の数々が、ぐるぐると回っている。あの怒鳴るような声がずっとガンガンと、鳴り響いている。
「ちゃんと説明をするから。だから、今はお前も少し、落ち着いた方がいい」
一番つらいはずのその人は、平然とそんなことを言う。だからアネットはもう、何も言えなくなってしまった。
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